花粉症だと認めたら、花粉症になる。だから私は花粉症にはならない。
かつては認めたら負けくらいに思っていた。
たとえ水っぽい鼻水が出ても、花粉症?と訊かれると食い気味に「違います」と答えた。
このように謎の意地を張る人は自分だけでなく、意外と存在するらしい。
よくアレルギーはコップの水にたとえられる。
軽くだが鼻の症状が出ていたということは、既にコップはいっぱいに満たされ、滴は一筋、二筋と流れ落ちていたのだろう。
ある年の春先、水は突如としてどばどばと溢れだした。噴水のような勢いで。
最もきたのは目。かゆい。こする。悶絶する。真っ赤になる白目。とにかくかゆい。
耐えかねてクリニックへ行くと、医師は診察が始まるなり言った。「まだ検査はしていないけど、これは花粉症ですねぇ」
私は悄然として敗北を受け入れ、その日から花粉症になった。
『現実逃避』
一寸の虫にも五分の魂というが、家の中に出る虫だと、小さな羽虫や蚊は見つけ次第つぶせるが、なぜか蜘蛛はできない。あの造形と柔らかそうな体のせいだろうか。
Gは別格なので触れないでおく。
蜘蛛は家の中の害虫(益虫、害虫という区分も人間の都合だが)を食べてくれるらしい。それでも視界にいると気になってしまう。
たまに小さな蜘蛛が壁やカーテンに張り付いているが、直接触れないようティッシュをかぶせて捕まえる。意外とすばしっこい。捕まえられたらそっと外に逃がす。
家の外に巨大な蜘蛛の巣が張っていて、そこに鎮座する主を見たときはどうしようかと思った。
払っても払っても、いつのまにか巨大な巣ができている。
心の中で謝りつつスプレーを噴射した。
巣の主は一寸=3.03センチより大きかった。虫が大きいほど逡巡も大きくなる。大きさで魂に差があるとは思えないのだが人間は勝手である。
『小さな命』
0からの出発はよく聞くが、自ら0に戻して再出発を繰り返す人もいて、それがいわゆるリセット癖。リセット症候群ともいうらしい。
SNSのアカウントを突然消したり、いきなり人間関係をすべて切ったり、相談もなく仕事を辞めたり、誰にも告げず引っ越したり、Resetボタンを押すように環境をゼロに戻す。
原因を心理的に探ると、人目が気になる、面倒くさい、完全主義……色々あるらしい。
確かに、悩んだり対応するより全部断ち切ってしまったほうが早いし、すっきりする。
一方では、リセットを繰り返すことによる弊害もあるだろう。自分自身のリセットはできないので、だんだん消耗していく気はする。
私にもリセット願望は少なからずある。ただ小さなリセットはできても、人生に関わるような大きなものはなかなか難しい。実行に移せる人にはそれだけの理由があるのだと思う。
もし私が、といってもNoNameですが、ここから消えたときは小さなリセットが発動したと思ってください。
『0からの』
高齢者が自動車につけるシルバーマークは、始まった当時「もみじマーク」という名で、デザインも今とは異なり文字どおり紅葉を模したものだった。
巷では枯葉マーク、落葉マークなどと呼ばれ、イメージがよろしくないということで現行のものに変えたらしい。個人的には名称はともかく見た目は若葉マークとの対比で分かりやすかったのだが……。
人生を葉っぱにたとえると、自分は今どのあたりの色づきだろうと考える。
毎日鏡に映る見慣れた顔でも、以前の身分証の写真と比べると確実に変わっている。
若葉や青葉の「成長」フェーズはとうに通過しているが、紅葉へと変化する「成熟」途中なのか、紅葉まっさかりなのか、既に枯葉へ向かっている可能性もある。
近年よく見かける、人に対する劣化という言い方はあまり好きではない。
紅葉は綺麗だし、枯葉には趣きがある。人もまた然り……と思いたい。
『枯葉』
・ほっともっとの弁当の片隅にいる緑色の漬物。
・ゆかりでお馴染みのメーカーの「瀬戸風味」というふりかけ。
・たい焼きのあんこがほぼ入っていない尻尾付近。
・ピーナッツなしの柿の種。柿の種とピーナッツの比率は7対3が多数派らしいけど10対0派。
自分の小さなお気に入りを並べて見ると、じゃないほうを好む傾向があるのかも。
でもアイスクリームの期間限定味はオリジナルの美味しさを再確認するためのものだと思っている。
『お気に入り』