ここに書いた時点でどこにも書けないことではないしなあ。
どこにも書けないけど、ここでは書けること?
何かあったかな。
昔、2……やっぱりやめておこう。
『どこにも書けないこと』
針が止まってしまった家族の腕時計はクォーツ時計で、店で電池交換するより新品を買ったほうがいいような安物だった。それでもこの時計がいいと言うので、ボタン電池を購入して、百均の精密ドライバーで交換した。
無事に針が動きだしたら時刻合わせ。昔は電話で時報を聞きながら、ピッピッポーンで針を合わせたものだが、いまは電波時計を見ながら合わせる。
電波を受信して正確に時を刻む時計が発売されたときは、これは便利なものが出たと思ったものだ。
当時ちょっと奮発して電波ソーラー腕時計を買ったが、自分のようにあまり太陽の光を浴びない人間だと、いつのまにか針が止まっていて復活するまで時間がかかる。だから普段から甲羅干し、といっても室内だが光に当てなければならない。
故障して電波を受信しなくなったときの修理費も相当だった。
そう考えると、クォーツ時計には秒単位の正確さはないし電池交換や時刻合わせの手間もかかるが、気軽に使える良さがある。
それに、どんなタイプでも使い続ければ、その人にとってはその時計の針が一番見やすくなるのだろう。
『時計の針』
1月が終わった。
今年ももう12分の1が過ぎた。
よく言われることだが、年々時間が経つスピードは速くなる。速く感じる。
子どもの頃より経験値が増えたぶん新鮮な出来事も減って、似たような毎日を過ごしているからだろうか。
ところで今年は令和何年だっけ? と暦が分からなくなることもよくある。3月頃までは。
親兄弟の年齢もとっさに出てこない。2000年生まれは計算が楽で羨ましい。というか、2000年生まれが今年で24歳なのか……。
うかうかしているうちに、元日に今年はこうしたいと考えたことが早くも崩れかけている。
気づいたら暮れになっていそうである。
いけないいけない。いや、まだワンチャン旧暦がある。2024年の旧正月は2月10日。
きたる2度目の元日にまた気持ちを新たにしたいところである。
『溢れる気持ち』
子どもの頃、ブランコの立ちこぎでどれだけ高いところまで行けるか試したことがある。ぐんぐん上がったが、一定以上は行かなかった。それとも行けなかったのか。
2人乗りもした。向かい合って立って乗る形、1人は座り1人は足を広げて立つ形。さすがに3人乗りはやったことがない。
両脇の鎖を持ってブランコの板の上で前回りもしていた。
当時はよくある光景だった。
いまはブランコの立ちこぎや2人乗りは禁止されていたり、たとえ禁止されていなくてもルール違反、マナー違反と見なされたりするらしい。
理由はまず危険であること。そして、土足で立ちこぎをすると板が汚れて次の人に迷惑だからだそうだ。
禁止と聞いたときは驚愕したが、理由を聞けばなるほどと思わないこともない。
立ちこぎで落ちたことはないけど、座り乗りしているときに滑り落ちるとスイングした板が頭に当たって痛かったな……と思い出すが、安易に昔のことを持ち出すのもいまは不適切なのだろう。
ブランコひとつとっても常識や価値観はアップデートされゆくもの。
ところでジャングルジムはどこに消えた?
『ブランコ』
“旅路”で“果て”だとどうもシリアスになる。
旅の終わり……そういえば沢木耕太郎の『深夜特急』、大昔に読んだけれど内容をほとんど忘れてしまった。最後はどうなったのだろう。
沢木耕太郎より時代は下るが、私がまだ若かった頃も若者の海外一人旅が流行った。
東南アジアやインド、南米など、当時の個人旅行先としてはマイナーな国を目指すバックパッカーが結構いた。
飛行機のチケットだけ取ってホテルも決めず日本を飛び立つ。お金をかけず安い宿で寝起きし、土地の人と同じものを食べ現地を巡る。トラブルはつきもので、それすら楽しんでいるようだった。
当時は海外の物価も安かったので、日本でバイトをして稼いでは旅に出る、を繰り返す人もいた。
旅行記を書籍やホームページで発信する人も少なからずいて、私はそんな彼らを無鉄砲だと思う一方で、羨ましさも感じていた。
旅に出たら自分も変われるかもしれないと思っていた。
いまやインターネットが全世界に普及し、良くも悪くも便利な時代、バックパッカーの醍醐味が非日常なら昔ほどは味わえなさそうだ。
私も今さらこの年で無謀な旅はしたくない。
それに、もう何も変わりはしないと分かった今、いわゆる「自分探しの旅」に出る理由もなくしてしまった。旅に出ずして果てを迎えそうである。
『旅路の果てに』