横文字がなんとなくこっぱずかしいのはさておき、「I LOVE...」の反対は「I HATE...」として、「I LOVE...」なことと「I HATE...」なこと、どちらがすらすら出てきますか?
私は悲しいかな、「I HATE...」なことのほうが圧倒的に列挙できる。
生きていると腹立つこと、嫌いなことがどうしても出てきて、一度気になるとつい目が行きがちだ。
「I LOVE...」のほうは悩む。LOVEとは理屈抜きで心をつかまれてしまうこと、言葉にできないくらい真剣な思いという固定観念があるからで、軽く答えられない。
「I LIKE...」のほうがさらっと答えやすい。英語では言わないけど。
出処は忘れたが「LOVEは意思(意志)でLIKEは感情」という言葉を聞いたことがある。人類愛とか隣人愛とか規模の大きな話だったかもしれない。
そういうことを言われると、目先の感情にとらわれがちな私は若干ばつが悪い。
ただ、毎日のように面白くないニュースが流れ、SNSにむき出しの言葉があふれ、ともすればHATEに傾きがちなこの世の中で、意識的にLOVEの視点を持つことは意味がある気もしている。
『I LOVE...』
出不精なこともあり、インターネットで買い物をすることが増えた。
時間を気にせずゆっくり選べるのが利点。
特に服は、街の店だと店員さんに話しかけられるのが苦手で通販がほとんどである(最初に声をかけられた時点でやんわりアテンドを断るのだが、その後もずっと視線を感じる状況に耐えきれない)。
しかし、出かけるといいこともある。
外出先でふらっと立ち寄った量販店で、山ほどある商品の中から希望の条件を満たすルームウェア用のスウェットを見つけたのだ。
綿100%で裏起毛で無地(謎の英語や柄が入っていない)でなおかつ安い。すべて兼ね備えたものはありそうであまりない。ほくほくで買って帰った。
単純なもので、以来、出不精もほどほどにして、一人で見て回れる量販店やショッピングセンターを覗くのもありだな、と思い始めた。
通販でも掘り出し物はあるけれど、自分の手で掘り出すとでっかい芋が穫れたような嬉しさがある。
『街へ』
優しさは流体のよう。
とらえどころがない。
言わない優しさ、言う優しさ。
同じ言葉でも発信者と受け手の関係によって、優しくなったり迷惑になったり。
優しさの皮をかぶった欲望だったり。
よかれと思ってしたことが実は優しさではなく、ひとりよがりだったと知ったときの恥ずかしさ。
心の奥にある良く思われたい願望を指摘されたかのよう。
きっと優しい人は、相手が本当に必要としていることを感じ取れるのだろう。
根が冷たいのか、そのへんまったく自信がない。
だから最近は求められたら応えるが、こちらから手を差し伸べるのはためらう。
『優しさ』
たとえば、今抱えている問題がすべて解決して、希望が叶って、なんの悩みもない安心できる状態になったら、逆に不安でたまらなくなると思う。
自分にこんな幸運があっていいのか、どこかに落とし穴があって突き落とされるのではないか、と幸せを失う不安に苛まれる自分が想像できる。
なんとなく不安なことに慣れきってしまって、安心したいのに自ら不安材料を探してしまう。
我ながら損な性分だと思うが、不安を「しない」ことへの言い訳に利用しているのもまた事実。
『安心と不安』
体の輪郭だけ浮かび上がる、椅子に腰掛けた黒幕の男。
暗いアンダーパスの向こう側からカツカツ足音を立てて近づいてくる謎の人物。
背後から襲われて仰ぎ見ると、武器を振りかざした真っ黒な人影。
必殺仕事人の登場シーン。
映像における逆光は、顔が見えない=得体の知れないものを表すときによく使われる印象がある。
風景で浮かぶのは、黒々とした山の稜線が朝日で金色に輝く瞬間。
夕焼けを背景にしたビル群。
朝日や夕日が後ろから射すと、なにげない風景にも不思議と風情が生まれる。
もっとも身近な逆光というと、やはり人を撮影するときだろうか。
今はスマホで撮ることが多いので自動調整してくれるが、かつては悲惨な仕上がりの写真が結構あった。
個人的に印象深い逆光は、昔の金曜ロードショーのオープニングかな。音楽込みで。
『逆光』