#楽園【前編】
勤め先の一駅先にあるテーマパークに、新しいアトラクションが出来たらしい。
その日奇跡的に定時で上がれたので、どんなものかちょっと覗いてみることにした。
夜の7時頃、アトラクションの前まで到着してみると、あたりは真っ暗だというのに、まだ列が出来ていた。30分待ちだそうだ。
寒空の下、この待ち時間には少し堪えたが、今日は金曜日。明日明後日は休みだからと自分を鼓舞し、並ぶことにした。
アトラクションの名前は「楽園の夢〜パラダイスタイム〜」。
並んでいる間に配られた説明書を読むと、仮想現実で遊ぶものらしい。いわゆるVRに近いものだろうか?
概要の下には、160センチ以下は入場できないこと、心疾患や心臓が弱い人は使えないこと、料金等、よくある遊園地のアトラクションの注意事項が記載されていた。
20分2500円か…結構するな。
そう考えている間に、思ったよりもするすると列は溶けていった。
自分の番になると、雰囲気づくりのためか占いの館のようなところに通された。
中にはスタッフと思われる人が一人、アラビアの踊り子のような格好をして座っている。
「ようこそ。楽園の夢、パラダイスタイムへ。説明書はご覧になりましたか?」
周りの怪しげな雰囲気に反して、口調は事務的だった。
「はい。VRのようなものですよね?」
説明書を読み込んだ上での自分なりの解釈を述べると、
「仮想空間で遊ぶという点ではそうですが、少し違います。VRではゴーグル等を用いるかと思いますが、この最新機器ではそんなものは必要ありません。このパラダイスタイムはお客様に半強制的に楽園の夢を見て頂くことが出来るのです」
どこか誇らしげに踊り子スタッフは微笑んだ。
「この最新機器では、5つのパターンからお好きな夢をお客様にお選び頂き、その夢の中に入って快適にお過ごし頂くことが出来ます。こちらから夢をお選び下さい。」
ラミネート加工された用紙を手渡された。書いてある項目に目を通してみる。
※5つの中から夢をお選び下さい※
①南の島でバカンス
②ヨーロピアンなお城で王族気分を
③気分は宇宙飛行士♪月旅行
④美男美女だらけのプールランド
⑤可愛いペット囲まれて遊ぼう
なんだか4番だけひどく世俗的だったが、まあそういうのが好きな人もいるんだろう。
自分はそういうには興味がなかったので、無難に1番を選択した。
「1番ですね。かしこまりました。」
そう言うと、スタッフは自分の斜め後ろにかかっているカーテンをめくり、ドアを出現させた。
「こちらへどうぞ」
通された部屋には紫色の薄暗い照明の中、ぼんやりと日サロマシーンのようなものが鎮座していた。
「この中に入って頂くと、貴方は夢とは思えない夢を見ます。ただし、注意としましてはあくまで夢は夢ですので、感じ方に個人差が出ます」
「というと?」
「はい。夢を見ている時、色を感じる人、味を感じる人、痛みを感じる人、色々いるんですよね。その人の夢見の傾向がこのマシーンにも反映されてしまうんです」
スタッフは早口に続けた。
「ですから、夢の中で何か食べようとするとその瞬間に目が覚めてしまう人は、この機器に入った際も同じようなことが起きると思われます。いつも見る夢が白黒の方はこの機械でもモノクロになってしまう可能性があります。」
自分はモノクロの夢を見たことはなかったが、前半の説明はまさにそのタイプに当てはまっていた。
「じゃあ、南の島に行っても、何か飲んだり食べたりしない方がいいってことですね?」
「そうです」
私が説明に了解すると、スタッフは慣れた手付きでマシーンの扉を開け、中へと誘導してきた。
中に入れられ、扉を閉められた私は、紫の怪しい光の中、ものの5秒ほどで深い眠りについてしまった…。
【中編】へ続く
思い返せばろくでもない人生だった。
シングルマザーの母親はいわゆる毒親で、夜出かけて行ってはそれきり、いつ帰ってくる分からなかった。
帰って来たかと思えばだいたい酔っ払っていて、私に家事を任せるという旨の言葉を残し、自分はそそくさと寝に行ってしまった。
公立の小・中学校ではそんな遊び歩いている母の噂をクラスの誰もが知っていて、ことあるごとに陰で笑われた。
友達もいなかった。生まれが田舎ということもあり、子ども達の関係も閉鎖的で、「そういう子」との付き合いがあるなんて恥だとでも親から言われているのか、誰も近寄ってはこなかった。
高校は意地で勉強して、県外の進学校に入学した。しかし結局、母親のお金の使い込みによって中途退学になり、私は地元に帰った。
一番最悪だったのはここからだ。地元の工場で働き出した私に近寄ってきたのは、東京から来たという男だった。
ここから抜け出したいという強い思いと、男の都会的な雰囲気に騙され、私は恋に落ちた。
そして、落ちた結果がこれだ。
私は酷い、それは酷い裏切られ方をした。薄暗い廃ビルで落ち合ったあの日…。
あの光景を、あの恨みを、私はこれからも一生忘れることはないだろう。
そんな裏切られ方をしたのに、私はまだその廃ビルで一人佇んでいた。
もういい加減、違うところに行かなければいけない気がするのに、心がそれを拒否したままだ。
そんな中。貴方は現れた。
私の大好きな百合の花束を持って、貴方は私のもとへ訪れた。
信じられなかった。その人は…中学の頃の同級生だった。
中学の時、男子たちにからかわれていた私を、唯一かばってくれたことのある人だった。
立ち止まったままの貴方を、私が信じられない思いで見つめていると、花束を持ったまま、貴方は悲しげに微笑んだ。
その顔はまるで今までの私の苦しみの全てを理解してくれているかのようだった。
こんなに慈愛に溢れた表情を向けられたのは初めてで、なんだか体と頭に渦が巻いているような感覚を覚えた。
ああ、嬉しい。嬉しい。貴方はきっと私に温かい感情を向けてくれている。
ああ、でも、あんまり優しくしないで欲しい。
あんまり優しくされたら私…
貴方に憑いて行きたくなっちゃうよ。
目覚めたら、モノクロの街にいた。
人通りの多い交差点。その中心に私はいた。
喧騒の中、行き交う人々は確実に言葉を発し、時には笑い合っているのに、何一つとして聞き取れない。
「どうなってるの?ここは、どこ?」
私の焦燥などお構いなしに人々は通り過ぎて行く。
誰かが背後から強くぶつかってきた。とっさのことで受け身が取れず、そのまま前方に倒れるように転がる。直後、膝に何かが滑るような、這うような感覚を覚えて、灰色のジャージの裾を上げてみた。
黒いドロッとした何かが傷口から漏れていた。
「ヒッ!」
これは血なのだろうか…?人差し指の腹で拭ってみる。黒くベタつくそれは素直に指先にのってきた。
臭いを嗅いでみる。なんの香りもしない。膝の痛みもない。
意を決して舐めてみた。味がしない。
「何これ?」
記憶にない場所と雑踏。会話の聞き取れない群像。痛みのない傷。黒い血。
自分の置かれている状況がさっぱり理解出来なかった。
「そうか。きっとこれは夢だ」
そう結論付けた。いつだったかテレビで「明晰夢」というものの解説を見た。自分の意識がはっきりしている夢。きっとそれに違いない。
そう考えたら、気が楽になった。テレビでは明晰夢はいい夢、自分の思い通りになる夢だと言っていた。
だったらいいことを考えよう。これから私は空を飛ぶ!友達や家族とのパーティーが始まる!お金の雨が降ってくる!アイドル歌手になって武道館をいっぱいにして…
いろいろ考えてみたが、結局のところ、全て無駄だった。
私の思考を全て無視して、白黒の街の白黒の人々は往来を続ける。それ以外のことは何も起きない。
「どういうことなの…?」
熟考した結果、とにかく歩こう、ここではないどこかに行けば、何か違うかもしれない。という結論に至った。
それからは夢の出口を探してひたすらに歩き続けた。
そんな私を嘲笑うかのように、歩いても歩いても歩いても、街の風景は変われど、白黒は白黒だった。目がチカチカしてくる。
歩いている人に声をかけても無視された。そもそも反応してくれたところで、何を言ってるのかは分からなかったと思う。
「どうなってるの?」
何度目かのため息を付いたとき、それは起きた。
ブッブーーーーーーー!
はっきり聞こえたけたたましいクラクション。
今まで歩道と人混みしかなかったところに、突然白い3トントラックが全速力で私をめがけて迫ってきていた。
それと同時に、空の方からどこか懐かしい女の人の泣き声がした。
「明晰夢なのに、なんでこんな悲惨な目に」
「このトラック、なんだか知ってる…」
「あの声は…お母さん…?」
全ての感想が一瞬でないまぜになり、この街のように薄ぼんやりと溶けていく中で、私は意識を失った。
「先生!起きました!娘が!ああ、ちょっと誰か!娘が起きたんです!」
目を開けた。私の眼前には高く白い天井があり、まだ夢の続きかと一瞬怖くなる。
「ちとせ!ちとせ!起きてる?意識ある?私が誰か分かる?」
意識と行動が伴わず、やたらゆっくり声のする方向に顔を向けると、目を真っ赤にした母が両手で鼻辺りを抑えながら、私を見下ろしていた。
「お母…さ…?」
「良かった!良かった!起きた!起きた!」
そうだ。思い出した。私は部活の帰りにトラックにはねられたのだ。
「ちとせ!お母さん、分かる?」
部屋の向こうからパタパタとスリッパの音が聞こえる。白黒の人達と違って母の言っていることははっきり理解できた。
周りを見渡せば、天井にはオフホワイトの蛍光灯が光を放ち、エメラルドグリーンのカーテンが、部屋を仕切っていた。
それに何より、目に鮮やかだったのはお母さんの「色」だ。人の色彩はこんなに複雑できれいだっただろうか?
少し日に焼けた肌と短い黒髪。そこには灰色と透明がかった白髪が交じっている。指先の少し血色の悪い薄紫の爪。黄ばんだ白目に囲われた焦げ茶色の瞳。そこから流す涙さえ、透明なのに光を反射して輝いていた。
目に飛び込んでくる色の全てが、私が「生き残った証」として感じられ、涙が止まらなくなった。
「大丈夫?ちひろ?どこか痛いの?」
母の心配をよそに、結局医者と看護師さんが様子を見に来るまで、私は泣き続けた。
世界がこんなにカラフルだって、私は知らなかった。
私はこの色の世界でもっとずっと生きていきたい。
そう思った瞬間、胸に熱い何かが灯った。