シーラカンス

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 目覚めたら、モノクロの街にいた。
 人通りの多い交差点。その中心に私はいた。
 喧騒の中、行き交う人々は確実に言葉を発し、時には笑い合っているのに、何一つとして聞き取れない。
 「どうなってるの?ここは、どこ?」
 私の焦燥などお構いなしに人々は通り過ぎて行く。
 誰かが背後から強くぶつかってきた。とっさのことで受け身が取れず、そのまま前方に倒れるように転がる。直後、膝に何かが滑るような、這うような感覚を覚えて、灰色のジャージの裾を上げてみた。
 黒いドロッとした何かが傷口から漏れていた。
 「ヒッ!」
 これは血なのだろうか…?人差し指の腹で拭ってみる。黒くベタつくそれは素直に指先にのってきた。
 臭いを嗅いでみる。なんの香りもしない。膝の痛みもない。
 意を決して舐めてみた。味がしない。
 「何これ?」
 記憶にない場所と雑踏。会話の聞き取れない群像。痛みのない傷。黒い血。
 自分の置かれている状況がさっぱり理解出来なかった。
 「そうか。きっとこれは夢だ」
 そう結論付けた。いつだったかテレビで「明晰夢」というものの解説を見た。自分の意識がはっきりしている夢。きっとそれに違いない。
 そう考えたら、気が楽になった。テレビでは明晰夢はいい夢、自分の思い通りになる夢だと言っていた。
 だったらいいことを考えよう。これから私は空を飛ぶ!友達や家族とのパーティーが始まる!お金の雨が降ってくる!アイドル歌手になって武道館をいっぱいにして…

 いろいろ考えてみたが、結局のところ、全て無駄だった。
 私の思考を全て無視して、白黒の街の白黒の人々は往来を続ける。それ以外のことは何も起きない。
 「どういうことなの…?」
 熟考した結果、とにかく歩こう、ここではないどこかに行けば、何か違うかもしれない。という結論に至った。
 それからは夢の出口を探してひたすらに歩き続けた。
 そんな私を嘲笑うかのように、歩いても歩いても歩いても、街の風景は変われど、白黒は白黒だった。目がチカチカしてくる。
 歩いている人に声をかけても無視された。そもそも反応してくれたところで、何を言ってるのかは分からなかったと思う。
 「どうなってるの?」
 何度目かのため息を付いたとき、それは起きた。
  
 ブッブーーーーーーー!

 はっきり聞こえたけたたましいクラクション。
 今まで歩道と人混みしかなかったところに、突然白い3トントラックが全速力で私をめがけて迫ってきていた。
それと同時に、空の方からどこか懐かしい女の人の泣き声がした。

 「明晰夢なのに、なんでこんな悲惨な目に」
 「このトラック、なんだか知ってる…」
 「あの声は…お母さん…?」

 全ての感想が一瞬でないまぜになり、この街のように薄ぼんやりと溶けていく中で、私は意識を失った。

 「先生!起きました!娘が!ああ、ちょっと誰か!娘が起きたんです!」
 目を開けた。私の眼前には高く白い天井があり、まだ夢の続きかと一瞬怖くなる。
 「ちとせ!ちとせ!起きてる?意識ある?私が誰か分かる?」
 意識と行動が伴わず、やたらゆっくり声のする方向に顔を向けると、目を真っ赤にした母が両手で鼻辺りを抑えながら、私を見下ろしていた。
 「お母…さ…?」
 「良かった!良かった!起きた!起きた!」
 そうだ。思い出した。私は部活の帰りにトラックにはねられたのだ。
 「ちとせ!お母さん、分かる?」
 部屋の向こうからパタパタとスリッパの音が聞こえる。白黒の人達と違って母の言っていることははっきり理解できた。
 周りを見渡せば、天井にはオフホワイトの蛍光灯が光を放ち、エメラルドグリーンのカーテンが、部屋を仕切っていた。
 それに何より、目に鮮やかだったのはお母さんの「色」だ。人の色彩はこんなに複雑できれいだっただろうか?
 少し日に焼けた肌と短い黒髪。そこには灰色と透明がかった白髪が交じっている。指先の少し血色の悪い薄紫の爪。黄ばんだ白目に囲われた焦げ茶色の瞳。そこから流す涙さえ、透明なのに光を反射して輝いていた。
 目に飛び込んでくる色の全てが、私が「生き残った証」として感じられ、涙が止まらなくなった。
 「大丈夫?ちひろ?どこか痛いの?」
 母の心配をよそに、結局医者と看護師さんが様子を見に来るまで、私は泣き続けた。
 
 世界がこんなにカラフルだって、私は知らなかった。
 私はこの色の世界でもっとずっと生きていきたい。

 そう思った瞬間、胸に熱い何かが灯った。

5/1/2023, 12:35:49 PM