夏は苦手だ。と、ずっと思っていた。
夏が始まろうとする度になんだか少し憂うつな気持ちになるので、先日ふと、なぜ夏にあまり良い印象がないのかと考えてみた。その結果。
暑いし、虫が多い。
ただこれだけの理由だった。
確かに、年々酷くなる生活に支障をきたすほどの猛暑も(冬生まれだからかは分からないが私は極度に暑さに弱い)、毎日じわじわと私の心臓を疲弊させる虫たちも(ただ飛んでくる虫とか急に現れる虫にびっくりするだけの話)、無ければ無いだけありがたい。
けれど、ただこれだけのために夏という季節の良いところを見過ごしてしまうのはあまりに勿体ない。
よくよく考えてみれば、夏は夏で私の心を動かすものたちが、好きなものがたくさんある。
たとえば夏の空。
パキッとした青空に映える、白くて大きなもくもくの入道雲。または、雲一つないどこまでも続く真っ青。
あれは夏の空だっただろうか、青空と白い雲が絶妙に混じりあった、油絵で描かれたような美しい空もとても好き。
それから夏の雷雨。
遠くで聞こえる雷鳴。黒い雲。雨の音。
暗い空を走り抜ける稲妻、ゴロゴロと空気を揺らす振動が身体に響く。
自然の脅威を前にして為す術もない恐怖と、その力強さと美しさに五感も心も全て奪われる。
そして夏の匂い。
夏はいろんな匂いがする。
ジリジリと照りつける太陽がアスファルトを焼く匂い。森の木々から香るひんやりとした空気、草木の匂い。町を歩けばふと漂ってくるトマトの苗の匂い。
雨の匂い。熱と湿気を浴びた木造の家から滲み出す、どこか懐かしい古びた匂い。誰かが庭先で炭火を熾す匂い、美味しそうな香り。
世界中のどこかの誰かも、みんなそれぞれ、どんな夏の匂いを感じているんだろう。
それから、そうだなあ。
夏の海を見に行きたい。ここには海がないから。
静かな場所でゆっくり、波の音を聴きたい。
潮風を身に受けながら、海の匂いを感じたい。
広大な青さを前にして、ただ感動したい。
心を遠くに飛ばして、想いを馳せたい。
そうしたらきっと、あなたに会える。
ほらね。
夏ってこんなに素敵な季節だ。
『夏の匂い』
月を見ている。
(あなたを想っている)
濃い群青にぽつりと浮かぶ淡い金色。
(私はあなたに心惹かれている)
美しいな、と思う。
(それを言葉にするのは難しいのだけれど)
澄み渡って凛と在る月も
(己の中心に凛と立たせた在り方も)
薄雲にかすんだ朧な月も
(時に揺らいで見える心の柔らかさにも)
ああ好きだなあ、と想う。
(尊敬と共感といとしさを覚えた)
大きくてまんまるな月も
(理想を突き詰めて表現する姿も)
大小欠けて変わりゆく月も
(完璧ではない弱さも可愛らしさも)
月の見えない静かな夜も
(隠された本音も見えない感情も)
大切に、目に心に焼き付ける。
(あの時確かに通じ合えた気がするのだ)
月が綺麗ね、と想う夜が
(あなたのことが好きです)
ずっと続けばいいと思う。
(ずっと)
この世界が廻る限りずっと。
(永遠に)
日が昇って月が沈んでも
(これはもはや執着なのかもしれない)
また月は昇り夜空を照らす。
(ごめんね、美しいままにはいられなかった)
そうして季節が巡っていく。
(何年何十年経っても)
今日も明日も明後日も
(きっと毎日思い出す)
また来る冬も春も越えて
(あなたと出会った大好きな季節を)
その先も。
(そして未来を)
(決して忘れない)
『(月よ)どこにも行かないで』
(月が決してなくならないように)
(この想いはどこへも行かない)
(私の心の深いところで)
(美しい月のように毎晩輝くのだ)
恋か、愛か、それとも…
それとも、なんだろう?
誰かを大切に想う気持ち。
壊れたロボットみたいに、恋も愛もよく知らない私が唯一見つけた大事な感情をここに記しておきたい。
誰かを好きな気持ちっていろんな種類があると思う。憧れや尊敬、憐れみや慈しみ、ときめき。
他にもきっとたくさんある。
例えばそれは友情の中に、家族の中に。
恋人へ向けて、もしくは恋焦がれている誰かへ。
手が届かない場所にいる、あなたに。
少し長くなるけれど、私の“好き”の話をしよう。
昔から、誰かに恋をするとはどう言うことかよく分からなかった。
「好きな子いる?」と聞かれるたびに返答に困ったし、時には周りの子達に一番人気がある子の名前を挙げてその話題をやり過ごしていた。
思春期になると、同性異性の認識が確立され始めた。それでも、異性として誰かを好きになるという事柄に関しては未だ自覚が及ばなかった。
それって友達としての好きとどう違うの?
一人の人として素敵だなって思うのと何か違うの?
ドキドキしないと恋じゃないの?
少女漫画に描かれた、キラキラしていて胸がきゅんとするような、そんな体験が恋だと言うのなら、私のそれは恋ではないのだろうと思った。
初めて恋みたいな好きを覚えた時のことはよく記憶している。
3つ年上の、兄の友達。
顔と声と雰囲気が好きだった。
でもそれ以外は何も知らなかった。
それが恋だと言うのなら、恋とはなんと軽くてふわふわしたものなのだろう、と。吹けば飛んでしまいそうな、儚くて持続性のない不確かなものなのではないか、と思った。
もし本当にそうならば、私には恋を“始める”ことなど絶対に出来ないと思った。不安定で不確かなものを、リスクを抱えながら追い求める勇気など微塵も出なかった。
そもそも、そういう気にすらならなかった。
今思えばそれは、恋というより憧れや羨望の感情だったのだと思う。その方が幾分しっくりくる。
そのことに気がついたのは、何年も経ってからだったけれど。
それでも確かに、私はその人のことが好きだった。
今でもちゃんと覚えているくらいには。
そんな思考を大事に抱えて幾星霜。
恋に似た憧れや尊敬の気持ちを、時にはときめきだって、大切に仕舞ってきた。でも相変わらず私にとってそれは、“独りで”するものだった。
私は一目惚れからの愛なんて信じていなかった。
運命なんてもっと信じていなかった。
よく、一目会った瞬間にビビっと来たなんて話を聞くけれど、そんなの嘘だと思っていた。
そもそも一目惚れというものにだって信頼を置いていなかった。
けれど、人のフィーリングというものは時としてものすごく敏感に繊細にそして的確に情報を収集したのち、驚くほどはっきりくっきりと「この人のことが好きだ」と自身に伝えてくることがあるのだ、ということを知った。
これは恋だとか憧れだとか、そんなことを考えている暇もなかった。自分でもびっくりするほど、得られる情報から垣間見える人間性に惹かれていくのが分かった。
誰かが言っていた。
「“恋”は完璧を見せたいと思うこと」
「“愛”は弱さを許せるかということ」
嫌われたくなかった。綺麗なところだけを見てもらいたかった。最初はそうだった。
けれど、綺麗に整えた言葉や理想を模する姿より、隠している本音や自分の本当の姿を、見えていない部分を知ってほしいと思った。
綺麗なところも醜いところも、強さも弱さも合わさった、本当の人となりを知り合いたい。
“好き”ばかりじゃなく“嫌い”も言い合いたい。もしも何度喧嘩したって何度だって仲直りしたい。
幸せであってほしい、と心から願った。
もはやこれは恋ではなく、一人の人間としてどうしようもなく愛してしまった、と思った。
それからこう思った。
私に、愛を始める勇気があれば良かった。
幸せであってほしい。
これは本当の気持ち。
でも本当は、一緒に幸せになりたい。
独りじゃなくて、二人で。
これも本音。
こんなふうに思えたのは初めてで、これが私にとっては、“愛してしまったなあ”と感じる瞬間。
これから先、こんな気持ちになることはもう二度とないのだろうと、確信めいた何かがある。
あなたのことは、ずっと好き。
これは私の大切な大切な気持ち。
生涯抱きしめて眠る大事な宝物。
『恋か、愛か、それとも』
だから、さよならは言わない。
『まだ続く物語』
「これで最後」にしたくないものが私にはある。
"目に見えるものだけが全てではない"
という主張は、これから語ろうとしている分野においては完全なる私のエゴである。
"伝えなければ伝わらない。伝わらないのならそれは存在しないことと同義である"
などと言った事もある。今考えるとそれもそれで随分と自分勝手だと思う。
誰かの幸せを大切にすることと、自分の幸せを大切にすることとのバランスを、私はいまだに上手く保てない。
だから私は透明になろうとする。
誰からも見えないように。隠れてしまえるように。
我ながらずるくて卑怯で弱虫な人間だ。
さて、透明になったとしても感情はある。
誰かを想う気持ちが見えなくなったとしても、消えてしまったわけじゃない。
私は、大好きな人を想うことに「最後」など存在させたくはない。そもそも「これで最後」などと言っている時点で決して最後にはならないだろう。
だから終わりにしなくていいと思っている。
ずっと大切に持っていたっていいと思っている。
透明だろうがなんだろうが、これで最後にはしない。
いつかまた、色を付けられる日が来る。
ところで、このようにして、
"目に見えるものだけが全てではない"
という自己中心的な主張を私が正当化しようとしていることにきっと気付いているだろう。
それでも願うのは、あなたがこれからもずっと幸せであるようにということ。
『これで最後』