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6/5/2025, 9:44:37 AM

恋か、愛か、それとも…
それとも、なんだろう?

誰かを大切に想う気持ち。
壊れたロボットみたいに、恋も愛もよく知らない私が唯一見つけた大事な感情をここに記しておきたい。


誰かを好きな気持ちっていろんな種類があると思う。憧れや尊敬、憐れみや慈しみ、ときめき。
他にもきっとたくさんある。

例えばそれは友情の中に、家族の中に。
恋人へ向けて、もしくは恋焦がれている誰かへ。
手が届かない場所にいる、あなたに。

少し長くなるけれど、私の“好き”の話をしよう。



昔から、誰かに恋をするとはどう言うことかよく分からなかった。
「好きな子いる?」と聞かれるたびに返答に困ったし、時には周りの子達に一番人気がある子の名前を挙げてその話題をやり過ごしていた。

思春期になると、同性異性の認識が確立され始めた。それでも、異性として誰かを好きになるという事柄に関しては未だ自覚が及ばなかった。

それって友達としての好きとどう違うの?
一人の人として素敵だなって思うのと何か違うの?
ドキドキしないと恋じゃないの?

少女漫画に描かれた、キラキラしていて胸がきゅんとするような、そんな体験が恋だと言うのなら、私のそれは恋ではないのだろうと思った。


初めて恋みたいな好きを覚えた時のことはよく記憶している。

3つ年上の、兄の友達。
顔と声と雰囲気が好きだった。
でもそれ以外は何も知らなかった。

それが恋だと言うのなら、恋とはなんと軽くてふわふわしたものなのだろう、と。吹けば飛んでしまいそうな、儚くて持続性のない不確かなものなのではないか、と思った。

もし本当にそうならば、私には恋を“始める”ことなど絶対に出来ないと思った。不安定で不確かなものを、リスクを抱えながら追い求める勇気など微塵も出なかった。
そもそも、そういう気にすらならなかった。

今思えばそれは、恋というより憧れや羨望の感情だったのだと思う。その方が幾分しっくりくる。
そのことに気がついたのは、何年も経ってからだったけれど。

それでも確かに、私はその人のことが好きだった。
今でもちゃんと覚えているくらいには。


そんな思考を大事に抱えて幾星霜。
恋に似た憧れや尊敬の気持ちを、時にはときめきだって、大切に仕舞ってきた。でも相変わらず私にとってそれは、“独りで”するものだった。


私は一目惚れからの愛なんて信じていなかった。
運命なんてもっと信じていなかった。

よく、一目会った瞬間にビビっと来たなんて話を聞くけれど、そんなの嘘だと思っていた。
そもそも一目惚れというものにだって信頼を置いていなかった。

けれど、人のフィーリングというものは時としてものすごく敏感に繊細にそして的確に情報を収集したのち、驚くほどはっきりくっきりと「この人のことが好きだ」と自身に伝えてくることがあるのだ、ということを知った。

これは恋だとか憧れだとか、そんなことを考えている暇もなかった。自分でもびっくりするほど、得られる情報から垣間見える人間性に惹かれていくのが分かった。


誰かが言っていた。
「“恋”は完璧を見せたいと思うこと」
「“愛”は弱さを許せるかということ」

嫌われたくなかった。綺麗なところだけを見てもらいたかった。最初はそうだった。

けれど、綺麗に整えた言葉や理想を模する姿より、隠している本音や自分の本当の姿を、見えていない部分を知ってほしいと思った。

綺麗なところも醜いところも、強さも弱さも合わさった、本当の人となりを知り合いたい。
“好き”ばかりじゃなく“嫌い”も言い合いたい。もしも何度喧嘩したって何度だって仲直りしたい。

幸せであってほしい、と心から願った。

もはやこれは恋ではなく、一人の人間としてどうしようもなく愛してしまった、と思った。

それからこう思った。
私に、愛を始める勇気があれば良かった。



幸せであってほしい。
これは本当の気持ち。

でも本当は、一緒に幸せになりたい。
独りじゃなくて、二人で。
これも本音。

こんなふうに思えたのは初めてで、これが私にとっては、“愛してしまったなあ”と感じる瞬間。

これから先、こんな気持ちになることはもう二度とないのだろうと、確信めいた何かがある。

あなたのことは、ずっと好き。
これは私の大切な大切な気持ち。
生涯抱きしめて眠る大事な宝物。



『恋か、愛か、それとも』

5/31/2025, 10:50:07 AM

だから、さよならは言わない。
『まだ続く物語』

5/27/2025, 2:32:16 PM

「これで最後」にしたくないものが私にはある。


"目に見えるものだけが全てではない"
という主張は、これから語ろうとしている分野においては完全なる私のエゴである。

"伝えなければ伝わらない。伝わらないのならそれは存在しないことと同義である"
などと言った事もある。今考えるとそれもそれで随分と自分勝手だと思う。

誰かの幸せを大切にすることと、自分の幸せを大切にすることとのバランスを、私はいまだに上手く保てない。

だから私は透明になろうとする。
誰からも見えないように。隠れてしまえるように。
我ながらずるくて卑怯で弱虫な人間だ。

さて、透明になったとしても感情はある。
誰かを想う気持ちが見えなくなったとしても、消えてしまったわけじゃない。
私は、大好きな人を想うことに「最後」など存在させたくはない。そもそも「これで最後」などと言っている時点で決して最後にはならないだろう。

だから終わりにしなくていいと思っている。
ずっと大切に持っていたっていいと思っている。
透明だろうがなんだろうが、これで最後にはしない。
いつかまた、色を付けられる日が来る。


ところで、このようにして、
"目に見えるものだけが全てではない"
という自己中心的な主張を私が正当化しようとしていることにきっと気付いているだろう。

それでも願うのは、あなたがこれからもずっと幸せであるようにということ。


『これで最後』

5/17/2025, 6:53:44 AM

溢れて零れて宙ぶらりんになったままの言葉たちを拾い集めに、来た道を戻る。
まだそこに命の火はともっているだろうか。それともすでに、込められた想いは消え失せてしまっただろうか。

抜け殻のように軽い。けれど確かに灯っていたであろう温もり。指先に残るその感覚だけが、その言葉が生きていた儚い証拠だ。

それを宝物というには幾分滑稽すぎるもので。けれど確かに想いの詰まった大切な塊で。
手のひらに乗せて逡巡する間に幾日幾月が過ぎたのか。私は未だに考え続けている。

それを懐に仕舞うべきか。
それとも手放し捨ててしまうべきか。

手放すことに勇気が必要なものならば、それは本当に手放すべきものなのだろうか。
未練や後悔に苛まれるくらいなら、たとえそれがエゴであろうと決して手放さずに持っていればいいのではないか。

否。
勇気を持って手放した後に残るものが、自分以外の誰かの幸せであるならば、そうすべきなのかもしれない。

そして、私が持っているのはそういうものだ。

エゴだけでここまで歩いてきた。
確かに幸せだった。
あなたもそうであろうと思おうとした。
全ては間違っていた。


カサカサと音を立てる、幸せであったもの。
このままずっと私の手のひらの上で踊って、いつかは風に吹かれて飛んでいくのだろう。

だれか、どうか、幸せの残骸を手放す勇気をください。


『手放す勇気』

5/13/2025, 9:57:05 AM

「この種類の悲しみなら慣れている」
って君は言う。

「いつものことだから、大丈夫」
って笑いながら言う。

気付いていますか。その瞳の奥が揺れているのを。
自覚はありますか。その顔を笑顔とは言わないんだけどな。

君はいつだって諦めている。自分のことも他人のことも。
期待をしちゃいけないって思ってる。自分にも、他人にも。

誰のことも愛せないと思ってるし、誰にも愛されないと思ってる。
そんな君の弱さを、強さを、私は知っている。

君は君だよ。他の誰かと比べる必要なんかない。
そんなこと分かってるよ。言われるまでもなく。

悲しみに慣れてしまっても、大丈夫って笑う癖が染み付いてしまっても、自分のことを抱きしめてあげられるのはただ君だけ。ただ、私だけ。

それでも。
やっぱりまだ、ぎゅっと手を握り返してくれる誰かの手のひらを、ずっと待っているんだ。


『ただ君だけ』

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