旅立ったあなたへ

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4/29/2023, 4:12:04 PM

知らなかった
私があなたのことを大切に思っていたことを

知らなかった
あなたとの別れの日が来ることを

知らなかった
あなたの旅立ちがこんなにも虚しく、胸を締め付けられるものだと言うことを

―――私は何も知らなかったのだ。

"家族"だからあなたはいつもそこにいて。でも、おはようもおやすみの挨拶も無く、特別に会話することも無い。ただ必要最低限の会話を繰り返すだけの毎日だった。

お互い好きも嫌いもないそんな存在だと思い込んでいた。

ある日、あなたが家を出ていくことを知った。県外の学校に行くらしい。その時はそんな話を聞いても特に思うことは無かった。

しかし、旅立ちの日に近づくにつれ、あなたの物が減るたびに妙に胸がざわついてくるのを感じた。どうしてこんなにもざわつくのか分からず、私はそのざわつきを掻き消すように大音量で音楽を流した。旅立ちの日の前日はなかなか寝付けなかった。

旅立ちの日の当日。あなたは挨拶も無く家から消えていた。荷物を詰め込んだキャリーバッグも歩きやすそうな靴も薄手の上着も何もかもなくなっていた。リビングのテーブルにあった置き手紙には母の字で『起こしても起きなかったので飛行機にお見送りしてきます。』とだけ書かれていた。

私はふらふらとあなたのいた今はほとんど物がない部屋に行き、ヘタリと床に座り込んだ。いつの間にか私の目からは大粒の涙が溢れていた。そこでようやく気がついたのだ。私はあなたの旅立ちが悲しかったことを。寂しいと感じていたことを。

あなたが旅立っても今までと変わらない毎日を過ごすのだと思っていた。必要最低限しか会話なんてしなかったし、それなのに寂しいと感じるなんてかけらも思いはしなかった。当たり前のように一緒に過ごしていて何も気づかなかったのだ。

私は涙が枯れるまで声を上げてただただ泣いた。

泣き続け、しばらく経った頃にポケットから着信音が聞こえてきた。スマホを取り出し、通知を見てみると今日旅立ったあなたからのメッセージだった。

『またね』

その一言に私は嬉しいあまりに再び泣いたのだった―――。


―――――――――


私はあなたの乗った飛行機が見えないかと外に出た。
眩しい陽射しの下で心地よい風が身を包む。いつかあなたが家に帰ってきたとはいっぱい話そう。何度旅立ちがあろうとももっと話しておけばよかったと後悔しないように。この寂しさが消し飛ぶくらい。

当たり前すぎて今まで気がつかなかったけど、
あなたが私の家族で良かった。

―――今まで、ありがとう。どうか元気で―――

どうかこの言葉が風に乗って旅立ったあなたに届きますようにとただ願う。

私は青く澄み渡る空に浮かぶ眩い飛行機に手を伸ばした。

3/2/2023, 11:49:13 AM

鮮やかな翡翠色の海を綺麗に満ちた月が照らし、まるで宝石のようにキラキラと煌めいていた。
かけらも人影が見当たらない場所でただ一人の少女が軽やかな足取りで鼻歌を歌う。今にも波の音に攫われそうなくらい儚い音色だが、どこか暖かさも感じる。

ここは少女にとっては想い出の地。たった二人だけが知っている秘密の場所だった。ここにいるとかつて共に遊んだ友達を思い出す。たどたどしいまるで生まれたての子鹿のような足並みにまるで箱入り娘かのように世間知らずな彼女。薄紅色の長い髪が翡翠色の海によく映えて思わず見とれてしまうほど綺麗だった。そして、人懐っこくて優しくて……誰よりも大切でかけがえのない親友だったのだ。

今はもういない彼女に少女は毎日手向けの花を海へと流す。そうすることで彼女に自分の気持ちが届くと信じていたから。

だけど、それも今日でおしまいだ。


――少女は希望へと一歩踏み出した。


少女の脳裏に彼女との想い出がよぎった。
家にも学校にも居場所がなくて傷だらけで逃げ出した先で出会った彼女。暖かな声で優しく声をかけ、介抱をしてくれた。水に濡れているはずの彼女の手がやけに暖かく感じたのを今でも鮮明に憶えてる。

彼女はいつも海で泳いでいて、私も一緒に泳ぎたかったけど傷だらけの身体で泳ぐのは怖くてできなかった。ある日、彼女は初めて地に足をつけて私の隣にたった。私の隣で同じ景色を見たかったらしい。たどたどしく歩く彼女の手を取り、支えて歩いた街はいつもと同じはずなのに初めて綺麗に感じた。好奇心たっぷりで無邪気に笑う彼女をいまでも忘れられない。

彼女が私の隣を歩いてくれたように私も彼女の隣でこの海で泳げたなら、きっといつも以上に綺麗に見えただろうなあ。


翡翠色に煌めく希望は少女を暖かく包み込みどこまでも沈んでゆく。まるで彼女が私を抱きしめているよだった。


「ああ、綺麗だなあ。」


少女は手をのばす、彼女に届くようにどこまでも。


――生まれ変わったら、ずっと一緒に――

1/10/2023, 1:58:09 PM

 ある部屋の一室を落ちかけの月明かりが照らす。目の前の女性は私の頬にそっと触れ、こなれた手つきで華やかな彩を与えてゆく。その様子をぼんやりと鏡越しに見つめていた。

「本当に大きくになったねえ」

母はどこか寂しげにそして愛おしそうにしみじみと言った。
アルバムで見た幼い頃の自分は小さな身体であどけない顔立ち、まるで先のことなど何も考えずに無邪気に笑っていた。そんな姿もあっという間に変わり果て、あの頃とは正反対の姿が鏡には映し出されていた。それでもなお、自分が大人になったのだという実感は湧きはしなかった。

(私、今日から大人の仲間入りかあ……)

私は心の中で呟いた。幼い頃はこれから成人式なのだと鮮やかな赤色の着物を見せてくれた従姉弟のお姉さんがえらく大人に見えたし、近所に住む中学生や高校生でさえも大人なのだと思っていた。いざ自分が成人式を迎えても身体が大きくなっても自分の精神はいつまで経っても子供ままのように思えた。

(私は本当に大人になれるのかな)

 私は怖くなって飾り終えた髪や顔から目を逸らした。着付けをしないといけないのに身体は椅子に固定されてしまったかのように動かない。

 成人式の招待を受けてからずっと泣き出したくなるくらい怖くて不安で逃げ出したくて仕方なかった。大学は幼い頃から夢を叶えるために選んだ場所だったがそこにはすごい人がたくさんいて自分には夢を叶えられないんじゃないかとときには辞めたいと思うほど不安になることが多かった。実際に同級生や先輩の中には辞める人、就職が上手く行かず夢を諦めた先輩もいた。どんなに好きなことでも努力しても無駄なのかもしれないと思った。
 それでもまだ、先のことだからと目を逸らしていた。しかし、成人式の報せによって再び現実に引き戻されてしまった。


__もし、卒業できなかったらどうしよう。

__もし、就職できなかったらどうしよう。

__もし、夢が叶えられなかったら……


あんなに大好きで叶えたい夢だったのに、なにより両親が我が子のためだからと高いお金をだして大学に通わせてくれているのにそれがすべて無駄になったらどうしよう。どうしようもないほど怖くて子供のように泣き出したくなる。


「ねえ、お母さん。私……」

「成人を迎えたら誰もがすぐに大人になるわけじゃないのよ。」

私の言葉を遮るように母が幼子を慰めるかのように優しく温かい声色で話す。

「成人になってからできるようになったことをたっくさん経験して少しずつ大人になっていくの。だから、焦って大人にならなくても大丈夫だよ。」

母は「お母さんだってそうだったんだから」と付け加えた。

私の悩みなどすべて見通しているようで思わず笑ってしまった。母の一言一言がすっと心を温かく満たした。

「ほら、着物を着ないとね。」

母が私の背中を優しく押した。その手は温かくてまた、涙が溢れそうになってきた。

「お母さん、いつもありがとう。」

私は一歩踏み出した。