ある部屋の一室を落ちかけの月明かりが照らす。目の前の女性は私の頬にそっと触れ、こなれた手つきで華やかな彩を与えてゆく。その様子をぼんやりと鏡越しに見つめていた。
「本当に大きくになったねえ」
母はどこか寂しげにそして愛おしそうにしみじみと言った。
アルバムで見た幼い頃の自分は小さな身体であどけない顔立ち、まるで先のことなど何も考えずに無邪気に笑っていた。そんな姿もあっという間に変わり果て、あの頃とは正反対の姿が鏡には映し出されていた。それでもなお、自分が大人になったのだという実感は湧きはしなかった。
(私、今日から大人の仲間入りかあ……)
私は心の中で呟いた。幼い頃はこれから成人式なのだと鮮やかな赤色の着物を見せてくれた従姉弟のお姉さんがえらく大人に見えたし、近所に住む中学生や高校生でさえも大人なのだと思っていた。いざ自分が成人式を迎えても身体が大きくなっても自分の精神はいつまで経っても子供ままのように思えた。
(私は本当に大人になれるのかな)
私は怖くなって飾り終えた髪や顔から目を逸らした。着付けをしないといけないのに身体は椅子に固定されてしまったかのように動かない。
成人式の招待を受けてからずっと泣き出したくなるくらい怖くて不安で逃げ出したくて仕方なかった。大学は幼い頃から夢を叶えるために選んだ場所だったがそこにはすごい人がたくさんいて自分には夢を叶えられないんじゃないかとときには辞めたいと思うほど不安になることが多かった。実際に同級生や先輩の中には辞める人、就職が上手く行かず夢を諦めた先輩もいた。どんなに好きなことでも努力しても無駄なのかもしれないと思った。
それでもまだ、先のことだからと目を逸らしていた。しかし、成人式の報せによって再び現実に引き戻されてしまった。
__もし、卒業できなかったらどうしよう。
__もし、就職できなかったらどうしよう。
__もし、夢が叶えられなかったら……
あんなに大好きで叶えたい夢だったのに、なにより両親が我が子のためだからと高いお金をだして大学に通わせてくれているのにそれがすべて無駄になったらどうしよう。どうしようもないほど怖くて子供のように泣き出したくなる。
「ねえ、お母さん。私……」
「成人を迎えたら誰もがすぐに大人になるわけじゃないのよ。」
私の言葉を遮るように母が幼子を慰めるかのように優しく温かい声色で話す。
「成人になってからできるようになったことをたっくさん経験して少しずつ大人になっていくの。だから、焦って大人にならなくても大丈夫だよ。」
母は「お母さんだってそうだったんだから」と付け加えた。
私の悩みなどすべて見通しているようで思わず笑ってしまった。母の一言一言がすっと心を温かく満たした。
「ほら、着物を着ないとね。」
母が私の背中を優しく押した。その手は温かくてまた、涙が溢れそうになってきた。
「お母さん、いつもありがとう。」
私は一歩踏み出した。
1/10/2023, 1:58:09 PM