夜8時に舞鶴港を出発し、小樽港へ32時間かけて到着する船旅。
瀬戸内海で育った私にとっては初めての日本海だ。出発して寝室をチェックすると直ぐに甲板に出た。
潮風に吹かれ足元がぐらつく。
フェリーの、中は夏休みなのもあってか、子供達が賑やかだが、ここは船の音とザブンザブンと波の音のみが響いている。
少しずつ港の灯りが小さくなっていき、自分が大海原にぽつんと置き去りにされたような気がして背中がゾクッとした。
船の中には1日半を快適に過ごせるように様々な施設があったが、せっかく海路を進むので、できるだけ楽しもうと思ったけれど、漆黒の海を眺めているとどっと疲れと眠気に襲われ、寝室で少し眠ることにした。
幼子の泣き声で目が覚めた。少し船が揺れていたのが怖いのだろうか。夜中の2時だった。もう港は見えないのかな?と、再び甲板へ出てその漆黒にうねる海にたじろんでしまった。うっかりすると吸い込まれそうな何か見えない魔物でも棲んでいるのではないかと思うほどの威力を感じた。
自分は今、自然の上にいるのだ、
恐れる必要はない。
けれども、畏敬の念を持たねばならない。
「海の神様、ここを通らせて下さい。」そう言って手を合わせた。
翌々朝、無事に小樽港に着いた。
その後も数回、この航路を利用しているが、その度に海の神様に手を合わせている。
#夜の海
特急電車に乗って15分
市街地に自転車を観に行った。
例えば北海道一周などにも対応できるようなサイクリングタイプを求めて。
幾つかの専門店を回ったが、なかなか
これと言うものに出会えず、
また別の所へ行くことにして他のものを眺めながら歩いていた。
ぼんやりしていた私は瞬きをした。雑貨店の入り口にバニラ色で藤で編んだ籠がつき、皮のサドルの自転車が置いてあり、まさに一目惚れだった。
あまりにも気に入ったので、店の人が配送を勧めてくれるも「大丈夫です。乗って帰ります」と、そのまま自転車に乗って店員に手を振って出発した。
せっかく藤の籠があるので、途中で花屋に寄りブーケを買い、籠に入れ、
心をときめかせてペダルを踏んだ。
自然に鼻歌が出る。
何となくの勘で家に向かって東へ東へ。
1時間ちょっとしたところで、家に着いた。北海道一周はできなさそうだけど、毎日のちょっとした移動をたちまち愉しくさせてくれる相棒に出逢えた。色んな景色を楽しもう。
自転車に乗って。
#自転車に乗って
こころがどんどん崩壊していくと
最初に感じたのは就職してから
二年目のことだった。
毎日のようにカラン…カランと
ガラスのような薄いこころの一部が
剥がれて行き、いっそ褄付いて
全てを粉々にしたかった。
表情も言葉も意欲も失った私はもちろん病院へも通ったが、
家族と友人がとにかく時間があれば
私を車に乗せ、山へ連れ出してくれた。力強い緑の森林が紅葉へと移り変わる頃、私は体の中の柔らかくふっくらとした心で周りの人や自然に「ありがとう」と感じ、伝える事ができるようになった。
心は脆く傷つくこともある。
自分の大切な人の心を守りきれない事もある。
そんな時は自分の中にこもりたくなるけれど、少しずつでいいからカーテンを開ける、窓を開けるそんなことからでも自然を五感で受け取ることをしてみて欲しい。
そして、日頃から自分のできる範囲で自然を感じる生活をすることが、
心を守る術の一つになるのでは、と思う。
疲れた日、寝る前に空を見上げてみる、気乗りのしない朝、スマホを鞄に入れ車窓を眺める、ほんの少しの事で大切な心を守って欲しい。
#心の健康
「粗っぽい、粒を揃えて」と、
ため息をつきながら先生が言う。
小学生の頃のピアノの先生は
ずんぐりとした男の先生で、
私が練習してきた曲を聴く度に
そう言って赤い鉛筆で楽譜に色々と
書き込んでいった。
ほどなく表情豊かな女の先生に変わり、今度は「もっと歌って!」と、毎回言われるようになり、私が弾く横で先生が「やんぱっぱ🎵」と歌いながら踊る。
20年ほど続いたピアノのレッスンは社会人になり、なかなか通えなくなり辞めることになったが、今も毎日ピアノを弾いている。幼稚園で勤めるようになり、粒を揃えて弾いたり、歌うように弾いたりしている。
子ども達は優しいので「せんせいのピアノをきくとたのしくなっちゃう」と言ってくれているが、ピアノの先生達が私の演奏を今聴いたら、何と言うだろうか。
「君の奏でる音は…」ちょっぴりこわいど聞いてみたいとも思う。
#君の奏でる音
揺れているマリーゴールドの様だと
思ってくれてるかしらと
少し頭を動かしてみたり
左右に首を傾げてみたり
ふわふわ歩いてみたりして
麦わら帽子ゆらゆらさせて
アイラブユーじゃ足りないでしょ?
キスを重ねよう
ずっとずっとね
この恋が続きます様に
#麦わら帽子