3ヶ月前の会議で新しいイベントの担当を私に任せると上司が言った。
「絶対に失敗できないイベントだからな」と背中を叩かれた。
上司は、期待しているという意味も含めた激励の言葉だったのだろうが、
私はその瞬間、逃げ出したい衝動に駈られた。
確かに成功すれば自分にとっても自信となるし、それは周りから評価されるかもしれない。けれども、そもそも私は保守的で地道に目立たず生きてきたタイプで、荷が重すぎた。
とは言え、仕事なので何としてでも成功出来るよう進めて行かなければならず、寝ても覚めても仕事の事ばかり考え、焦りと不安で押し潰されそうだった。周りは言葉では応援してくれたが、孤独だった。
2ヶ月後、大きなミスもなく、
イベントを無事に終える事が出来、
上司に飲みに誘われ、成功を祝い乾杯をした。「あなたに担当してもらって本当に良かった」との言葉をもらい
「いえいえ、皆さんのご協力のおかげです」と言ったものの、私の心は
上司からの誉め言葉を受け入れられなかった。
そんな言葉はいらない。
もし、何か失敗をしていたら
「あなたに任せるべきではなかった」とでも言ったのだろうか。
それとも「どう責任を取るつもり?」と、問われたのだろうか?
何となく上の空で早めに切り上げ
私は帰路に着いた。
大きな仕事を終えた達成感や安堵感とは違う重たい疲労感に襲われた。
確かに上司の言った様な叱咤激励が必要な事もあるのかもしれない。
ただ、どこかで
『上手くいかなくたっていい』と微笑んでくれていれば、もっとリラックスし、もっと良いイベントに出来たと思う。
改めて職場における言葉について考えた。
特に上の立場のものが下の者に何かを伝える時、相手との関係性、相手の性格などよく考えて発言しなければ、
思いとは別に言葉だけが一人歩きして望ましくない方向へ行きかねない。
私自身、自分より若い人や後から入社して来た人の方が多くなってきた今、
イベントの成功よりも、自分にとってこれからのコミニュケーションについて考える大きな起点となる出来事となった。
#上手くいかなくたっていい
昨秋から心身のバランスを崩し床に伏していた。
冬が来て、年が変わっても具合は良くなるどころか、ますます自分が弱っていき、社会から忘れられているような不安に苛まれていた。
そんな灰色の日々、唯一、支えになったのは初秋に庭に植えた球根だった。チューリップ、水仙、ヒヤシンス、ムスカリ、ラナンキュラスを植えてあった。
布団の中の自分と土の中で眠っている球根たちが重なる。今はここでこうして力を蓄えているのだ、春になったら芽をだし花を咲かせる球根のように私も布団から出て、庭へ出て花の匂いを思いきり吸い込み、蝶の様に春爛漫の世の中を謳歌するのだと想像した。
その時間だけは悲しみや苦しみから解き放たれる事が出来た。
春が訪れ、最初に水仙が咲き、順に庭いっぱいに花が咲き出して、蝶も時折遊びに来た。私も少しずつ外に出ることができるようになった。けれども、紫陽花が咲きだす頃にまた、体調を崩してしまった。
再び辛い日々に戻ってしまったが、
それでもこの夏が終わってまた秋になれば、球根を植えようと思う。
そして凍てつく心を
蝶よ花よと希望を持つことで
溶かしていけたら。
#蝶よ花よ
自分の歩く道なのだから
例え行き先が決まっているとしても
好きな道を通って進みたい
回り道や寄り道をして
休憩も挟みながら
結果はさておき
過程にも意味があると思うから
#最初から決まっていた
子どもの頃、お絵かきをすると
たいてい 左上に太陽を描いた
太陽はいつもにっこり笑っていて
幼い私は
そのように感じていたのだろう
今、太陽を描くとして
太陽をどのように表現するだろう
笑っているとは感じられない
怒っている?
或いは嘆いている?
太陽は何を感じているかより
私が自分自身に
怒りや嘆きを抱いているから
そう思うのだろう
クレパスも色鉛筆も
持つ力を失い
絵を描こうという気持ちになれない
この現状が苦しい
#太陽