──私の心がしぼりを失ってから、もう随分と経つ。
私以外のにんげんは、心にしぼりを持っていて、嫌なことがあっても、そこにぼかしをかけて、他のものに明るいフォーカスを当てるのだ。
そして、いつしかそれは画角からも外れる。光のモチーフに焦点を当てながら、この世を撮り続けているのだ。
私にはそれがない。
ずっと広い画角で、嫌でたまらないことを鮮明にフィルムに焼き付けている。尤も、私は素晴らしいこともよく知っている。夢を語る童話、美しい映画、具のたくさん入ったスープ、洗練された音楽、友と遊んだ記憶、その他もろもろ。
けれど、そこだけを見ることができない。私の闇は、光と等しく鮮明で、光はまったく目立たない。ノイズの中に光の点が混じったってわからない。
私の画角は広がるばかりで、決してモチーフが画面から外れることはない。
心のしぼりがあれば、きっと嫌な記憶は仄暗くなって、点々とした素晴らしい記憶は美しく照らし出されるのだろう。
…みんなは、そんな星空のような心を持っているのだろうか。
…まったく、羨ましい。…まったく、恨めしい。
───『光と闇の狭間で』
…あぁ、どうしよう。
君に、そんなにも熱心に、じっと見つめられると、
手に汗が滲んできて、思わず身体が動いてしまいそうになる。
…いい加減、目の前の帽子にお金を入れてくれないだろうか。
──『見つめられると』
『これ、くださいっ!』
声のする方を向くと、机からのぞかせる手がひとつ。カウンターよりも背丈が小さな少女の、小さな手に、キラキラと磨かれたコインが握りしめられていた。
『はいよ。お嬢ちゃん、これはつかみどりだ。
この瓶の中に手を突っ込んで、なるだけたくさんつかむんだよ?』
少女は自身の小さな手を、瓶の中でめいっぱい開いて、つかむ準備をする。店主も今か今かとじっと見守った。
『つかんだぁ!!…わっ!』
ぎゅっと掴んだ甘い星は、手のひらからポロポロとこぼれおちた。
ぱら…ぱら…ぱら…
──ああ、なんと素晴らしい物語だろう!こんなにも満たされることがあるだろうか!
おっと、これはいけない。
つい夢中になってしまって、珈琲をすっかり冷たくしてしまった。
まだこんなにも残って──
…おや、目元もつい緩んでいたみたいだ。
──そのまま、ずっと隣で、
私がどこに行くにしてもしつこく追いかけてきて、
たわいもない話しをしてくれないだろうか。