「香水」
夏場なので、香水を使う方も多いかもしれません。香りは日常的に使います。お部屋では、いまは梔子のお香を、寝る前は、寝具にラベンダーのミストを使っています。
香りは、精神的にも良い効果がある事が知られていますが、いろいろ調べてみたら、認知症に効果がある事例を見つけました。
私自身は、香水は、人の好みもあるので、自分の好きな香りだとは言ってもきつ過ぎるものは、控えた方が良いと思っています。
先日、録画しておいたガーデニングを番組を見ていたらポプリとサシェ(洋風匂い袋)の作り方を紹介していました。手作りできると繰り返し使えるので楽しそうです。挑戦してみたくなりました。
そう言えば、日本の三大香木のことを思い出しました。初春の沈丁花、初夏の梔子、秋の金木犀。沈丁花と梔子は、わりとすぐ近くまで行かないと香りに気がつきません。どちらも独特な白い花です。華やかな香りのせいか、何とも愛らしい。金木犀は、案外、花が咲いてる期間が短いので、その香りも一瞬で終わってしまうイメージがあります。秋の風に乗って、どこからか漂ってくる香り、けれどどこで咲いているのか、わからない。そういう事がよくあります。金木犀はまさに、ひとときだけの街の、どこかの村の、どこかの野山の香水です。
「言葉はいらない、ただ・・・」
おそらく、言葉はいらない。それは本能なのだと思う。海を渡る蝶がいるように、私達の遠い遠い祖先である原人も海を渡った。いまなら、いくらでも移動手段はあるけれど、何故、海を渡ったのだろうか?
疫病や急な環境変化、人口増加による食料不足、他民族との争い、原人たちが海を渡った理由は、いくらでも想像できる。それ以上に、この海の向こうには、何があるのだろうという好奇心かもしれない。
ただ、いまは国籍の問題がある。原人の頃のような自由さはない。それでも遠くへ行きたい。できるだけ遠くへ。それは私の中に眠っている原人の遺伝子なのだと思う。さらに、自然と調和した私でありたい。
海や山や、ジャングルや、そこで生きている動物や植物、そうした写真やテレビ番組が、どうにも好きでたまらない。人と関わるより自然と向き合う生き方がしたい。できれば、この地球環境を守っていきたい。
「突然の君の訪問」
ピンポーンとチャイムが鳴った。モニターのボタンを押すと、そこには誰もいなかった。いたずらかな?と一瞬思ったけれど、
「こんにちは」と声だけ聞こえた。気味が悪くなったので、玄関の扉は開けなかった。そして、またチャイムが鳴った。今度は、はっきりと
「わたし、ニンニよ!」と名前を言った。私は驚いて
「まさか!」と答えた。玄関の扉を開けると、はたして誰もいなかった。いないはずである。ニンニは透明人間なのだから。ニンニは、ぎゅっと抱きついてきた。何故だか、涙がこぼれてきた。ニンニも泣いていた。透明なニンニの頬に涙のしずくがほろほろこぼれた。
私はニンニがどうやって、ムーミン谷からやって来たのか不思議に思ったけれど、とにかく家の中へ案内した。何か着せないとどこにいるかわからないので、タンスの中から、白いTシャツを取り出した。ちょうどニンニのワンピースとして、ぴったりだった。赤いリボンをベルトにして、残りはリボンにして髪飾りにした。
「いつまでも、ここにいていいのよ」言うと、
「いいえ、あなたを迎えに来たの」とニンニは答えた。あゝそうだったのかと納得はしたけれど、行けないことも良くわかっていた。おそらくニンニ自身も。
注意⭐︎久しぶりの物語。
「雨に佇む」
ワールドニュースを見ていて知った事だけれど、記憶がおぼろげで、アメリカのどこかで、誰かの話としか思いだせない。いまのような夏の出来事だったかもしれない。よく言われる話だけれど、雷が近づいて来るときは大きな木の下にいてはいけない。私は「大きな木に雷が落ちるからだ」その程度の事しか知らなかった。
雷が鳴り始め、ある三人のアメリカ人は、大きな木の下で佇んでいた。たまたま偶然居合わせた三人で、突然の雨に驚き、おそらく傘は持っていなかったのだろう。夏の雷雨だったかもしれない。それなら、雨は案外早く止むと三人はそう考え、そんな話をしていたかもしれない。そして、雷はその三人が佇んでいた木を直撃した。
二人は即死、残る一人は意識不明の重体だった。かろうじて助かった、その一人(女性)は、奇跡的に回復して、その時の事を語った。木を直撃した雷の電気は木という導体を伝わり、地面の根から上に立っていた三人の足に伝わり頭から放電したのである。電気とは、そういう伝わり方をするのかと本当に驚いた話だった。
雨に佇む時、雷が鳴っている時は、建物か車の中が安全である。また何もない開けた場所に立っていると自分自身が避雷針となる。大きな木の下はさらに危険だ。遠くから雷鳴が聞こえ始めたら、すぐ安全な行動をとる必要がある。
「私の日記帳」
私には、これといった日記帳がない。ここでの文章修行とは別に、日記帳が必要だと今日、痛切に感じた。毎日、何を食したのか記録して反省する必要がある。私は一応、認知症介護士の資格がある。何故、この資格をとったかというと、将来、認知症になる可能性(4分の1)があると知ったからである。残念ながら、四十代で発症する可能性もある。先進国では飽食のため、若年層から認知症にかかるリスクが高い。
認知症には予防レシピがあり、また発症したからといっても進行はゆるやかなので、食事療法と併用すれば、程度の軽い人同士で協力しあうこともできる。他にもいろいろな予防の方法がある。四十代以降の方は、まず自分自身のために、認知症とはどんな病気なのか学ぶ必要がある。他人事と思ってはいけない。
還暦を過ぎて、私も随分、物忘れが多くなってきた。しかし、これは健忘で、程度の差はあれ皆同様である。認知症かどうかは、夕食に何を食べたのか忘れるのではなく、食べた事そのものを忘れる事だ。
要は怖がらずに正しい知識を持ち予防し互いに協力する事が優先である。もちろん他の解決策の模索も必要となるだろう。