「鳥籠」
膜宇宙論のことを知った時、あぁそうだったのかと思った。つまり、肉体は三次元から外にでることはできないけれど、魂は別なのだと。
私達は、三次元という鳥籠から外には出れないけれど、魂は(とは、言っても特別なものは)抜け出る事ができるのかも知れない。体外離脱という言葉を使えば、ただのオカルトになるが、もし、物理学的に魂が、素粒子のようなものと証明できたとして、次元の壁を自由自在に移動できる存在なのだとしたら?
そこまで考えて、これは仮定の仮定であるから、ただの妄想に過ぎないと、自分に言いきかせた。素粒子が次元の壁を突破できるのかも、わからない訳なのだから。
そうして、しばらく忘れていたけれど、ある番組で望月先生のABC予想の説明を視た時、これは正しいという直感のようなものが、落ちてきた。もし、別の次元が存在し、そして別次元を自由に行き来する事が可能になれば、解けない数学の難問も解決できるのでは、ないか?
正直に言えば、私は物理も数学もあまり学んでいないが、鳥籠(三次元)から飛び立つためには、例えばリーマン予想も、物理学と数学が融合する必要がある。もちろんこれは、妄想ではある。けれど、頭の中から離れない。
そうした折に『ビューティフルマインド』という映画を観た。もちろんこの映画の伝えたい主旨は理解しているけれど、私の解釈では、主人公は次元と次元の狭間を行き来するコントロールができない様に感じた。あくまで私個人の印象である。
いつの日か鳥籠から解放されて飛び立つために、リーマン予想が解ける日を待ちわびている。
あとがき
物理学、数字、スピリチュアルティ研究をある程度理解した上での文章です。深い内容に踏み込んでいるのかもしれません。
「友情」
武者小路実篤の『友情』を思い出した。大学に入学した頃で、この本を選んだのは、新しい友人ができたからかも知れない。題名は『友情』だけど、この本は実は恋愛小説で、幸い、その友人と私は、同じ男性を好きになる事もなかったから『友情』のような、結末もやってこなかった。
夫と結婚して武者小路実篤記念館を一緒に訪ねた。夫は実篤の本を読んでいなかったけれど、私が興味を持っている場所へ、自分自身の興味とは関係なく、どこへでもつれていってくれる。そういう意味では、夫は親友でもある。いつしか共通の趣味、美術鑑賞やコンサートなども楽しんできている。強制した訳ではない。自然にお互いの興味のあるものを理解しようとする。それはやはり友情に違いない。
記念館には実篤の絵も飾ってあって、ある絵の中に
「君は君、我は我也、されど仲よき」という言葉があった。どれだけ仲が良くても、あなたはあなた、わたしはわたし、この心はとても大切である。友情には、あなたはあなたのままで良いという、自分とは別の人間という確たる思いが必要だ。それを忘れた友情は本物ではない。それは、人と人との関係において、最も大切なものだと感じている。
「花咲いて」
花が地球上で誕生したのは、一億四千年前だそうだ。花咲いて、何が変わったのか?植物に依存する生命の多様化が始まった。それは共進化だった。
花は子孫を残すために生まれ、それは互いに与え、与えられる関係になった。どんな関係でも、一方通行という事は、ほとんどない。花の誕生は、果実を生み、その結果、生物の多様性が爆発的な規模で進んだ。
人間とAIの関係を、花と他の生命との例えにすると、かなり飛躍したメタファーとなってしまうが、共進化という点では、間違いはないと思う。
こうした想像は、サブカルチャーでいくらでもあるので、映画、アニメ、SF小説などなど、お好きなもので楽しんで頂きたい。
面白いなと思うのは、若い時に接したSFものが、近年、現実味を帯びてきた事である。けれど混沌としている。おそらく花咲いた時も同じであっただろう。混沌とした世界は未来が見えず、不安ではあるけれど、あなたは、この世の一輪の花である。
「もしもタイムマシンがあったら」
もしもタイムマシンがあったら、この世界は崩壊するかも知れない。または、想像もしないユートピアが誕生するかも知れない。いずれにしても、無数の過去が存在し無数の未来が生まれ、今この瞬間でしか、真実というものがなくなる。もちろんタイムマシンがあろうとなかろうと、変わりはないが。
良くも悪くも誰かの行動が誰かの未来を変え、それは世界を変える事もある。
もし、自分の行動を自分自身で決める事ができるのなら、それは幸運である。多くの人は、それができない。自分で自分の未来を決める。それはその結果の責任が自分にある。
ある日、徴兵されて戦場に行き、たくさんの人を殺しても、それは兵隊の責任ではない。自分では責任のおえない罪に苦しむことになる。悲劇である。
タイムマシンという空想はSFの中だけの人の欲望であれば良い。それがどんな幸せな、また不幸な結末であったとしても、空想の中だけで収まる。
過去は変えられないけれど、いまも一人一人の行動や思考が未来を変えている。私達の一人一人がある意味、タイムマシンなのだ。少なくとも未来を変えることができるのだから。
注意⭐︎推敲しました。
「今、一番欲しいもの」
物欲がまったくないかと言えば、そうではない。倹約は心がけているから、基本、ゲームに課金はしない。課金してくださるプレイヤーに感謝しつつ、遊ばせて頂いている。お金を出すならオフラインゲームしかやらない。化粧品もここ数年、買った事がない。忘れてた。先日、日焼け止めの化粧水を買った。それから書物や活字に対する欲望は人より強い。けれど、いまは特別、買いたい本もない。困った。何もない。
あぁ、ひとつだけあった。今すぐではないけれど、私は小さな畑が欲しい。野菜や花を育てたい。それから、小さな家も欲しい。しかし、これは無理だ。
現実的でないので、別のものを考えよう。猫を飼いたい。しかし賃貸生活だから、これも無理である。欲しいけれど、実現しないものばかりだ。ただの夢である。
そうすると、家があり庭があり、ペットがいる。これは普通のようで、それが全くない人に比べると、かなり幸せな生活と言える。世の大多数は、私と同じである。しかし世界を見渡せば、今日の食べ物に困窮している人もいる。
ほどほどに幸せである。そう考えると、何も欲しくなくなった。倹約して、貧しい人を助けている団体に寄付をして、自己満足を味わうのが、ちょうど良い。