「星空」
今夜、鷹匠が雪山で狩をする録画ビデオを観ていた。孤高の老鷹匠の生き様も美しかったが、夜になり冬木立の向こうに広がる満天の星空は命の様な瞬きに思えた。
最近、心に広がる想いがある。今からおよそ40億年後にアンドロメダ銀河と私達の銀河とが衝突する。二つの銀河はゆるやかに融合していくらしい。
その時の地球はと言うと、太陽の膨張が始まっているので生命は存在していないと思う。
では人類はどこにいるだろう?
どこか別の惑星を見つけて移住している必要がある。地球のように回転している惑星は、ほぼないだろう。これは神がかり的な偶然で、地球は現在、こまの様に惰性で回転し続けているにすぎない。
奇跡の惑星を離れても、潮汐ロックがかかった惑星しか見つからないだろう。恒星の光が届く範囲はわずかで、夕闇の中のようなトワイライトゾーンしか生存エリアはない。そういう第二の惑星で、来るべき時、アンドロメダ銀河との融合の時を待つだろう。
その時は新たな知的生命との邂逅が期待できる。
いまAIが登場して進歩を続けているが、宇宙に旅立つ時のために誕生したと言っても過言ではない。
いろいろな神秘体験を経験したせいなのか、どうなのか定かではないけれど、こうした未来への予測がただの想像とは思えない時がある。
その為には、それ以前に人類が絶滅していては元も子もない。私は物理学者のように頭が良い人間ではないが、いま新たな意識の進化の時代を迎えていると感じる。願わくば、それまで戦争のない平和な時間が欲しい。温暖化の問題はあまりに深刻で、このままだと時間が足りない。それなら地球上の全人類が一丸となって取り組む必要がある。
星空は、私達、人類を未来へと誘っている。
「神さまだけが知っている」
私は、ある存在をわかりやすく伝えるために、あえて神という言葉を使う。ほとんどの宗教に神は存在するが、仏教にはいない。
ここでは神の存在を否定することは避けたい。
まず自分の立場を表明する必要があるが、日本人なので、日本神道と関わりは深いけれど、厳密には宇宙神を中心とした高次元アニミズムである。無神論者と言われるかもしれないが、厳密には決してそうではない。一冊の本が書ける内容であるので、要点だけ伝える必要がある。
「ウニヒピリ」という言葉がある。潜在意識と呼ばれたりするが、地球の誕生から現在まで、陸・海・空に存在するすべての生命体から鉄のような無機物までが体験したすべての記憶が保管されているところを指す。
『死は存在しない』の著者、田坂広志氏によれば、ゼロ・ポイント・フィールドという名になるだろう。この書に出会い涙が流れた。何となく分かっていた事が確信へと変わったからだ。
超弦理論によると、この世界は11次元ある。私達は三次元に閉じ込められた存在で、私達が神と呼ぶ存在は高次元のどこかにおられるのだろう。神のような存在、またはゼロ・ポイント・フィールドは複数存在すると感じているが、そこは定かではない。
その中でも私に絶対的なメッセージを送ってくる存在を宇宙神と呼んでいる。私を救った恩あるお方です。そして、この宇宙の真理をご存知の方です。
もちろん他者の信仰や宗教に踏み込むつもりはない。これは私の真情であり、地球の生命を守ること、この世界の平和を目指すことに命を賭している一人です。
高次元からは、私達の世界はガラスの様に何もかも見えているでしょう。
注意⭐︎推敲しました。
あとがき
教えて下さった皆様、ありがとうございました。この文言が与えた影響の大きさは計り知れないものがありました。心よりお詫び申し上げます。
それぞれの宗教も国家もイデオロギーもこの世界では異なっております。けれども、お互いに尊重し合いながら、この地球の生命を守っていく、共通の意識に目覚めて欲しいのです。皆様どうぞ、お力をお貸しください。お願いいたします。
「この道の先に」
東山魁夷に『道』という作品がある。本当に呆れるほど、すっきりとした、ただの道で、道の先がぷっつりと切れてなくなっているので、少し傾斜のある上り坂であることがわかる。正直言って、小学生でも描けるかもしれない。ただ、何故か引き込まれてしまう。この道の先にあるもの、その先に現れるであろう風景を心の中に思い描いてしまうのだ。そうなると、この絵の前から動けなくなる。長い間、絵の前で場所を占領するわけにもいかないから、少し下がり遠くから、また眺めた。
美術館を後にしても脳裏から消えない。美術館では、学芸員であったり専門家の説明のパネルもあるけれど、いまは皆目思い出せない。私はこの絵は俳句と似ていると思う。鑑賞者を無限の想像へと導いていく。「この道の先に」というテーマから、すぐ『道』を想起してしまうのだから、この絵の凄さを改めて思い知った感がある。
道には終わりがあるものだ。人の命の終わりに死があるように。ただ『道』には終わりがない。人の命も終わりがあるのは肉体だけで、魂に死というものはない。こうして何か書き記すことで、私という存在は永遠になる。そして、そこに鑑賞者が現れると、その人の心の中に、また新たな道が生まれる。
「日差し」
日差しを辞書で調べてみた。意味は太陽の光、日光、太陽が照りつけること、とある。また「日差し」と「陽射し」二種類の漢字の書き方があって、調べた範囲では厳密な区別はない。
太陽の光をさえぎるため為にベランダにシェードをかけた。毎年夏のはじめの行事の様なもの。シェードの外側にはソーラーパネルが二枚ある。蓄電池ではいまの扇風機は回らないので、昨日は充電式の扇風機を買ってきた。これでさらに節電できる。充電式の家電が増えてきているから心強い。他にはスマホ、掃除機、ルームライト、ラジオにソーラーパネルの電気を使っている。防災にもなる。
どれだけの節電効果があるのかは、わからない。窓には断熱シートを貼ってある。冬はこれで部屋の中がかなり暖かかった。夏もこれでエアコンの効きが違うかもしれない。
ソーラーパネルの発電、このやり方には問題があり、話を聞く限り良い事の様だけど、蓄電池に電気を一旦ためる作業もある。手間暇がかかり、仕事が大変な方にはおすすめできない。リモートワークで在宅など条件が合えば参考になるかもしれない。
シェードもソーラーパネルも天候によっては、すぐに片付ける必要があり、大変だったが慣れて手際が良くなった。節電の為ではあるけれど、温暖化の問題に少しでも貢献できている自己満足感があった。
電気のない生活に戻る事はできない。やがて自分で電気を得て、その範囲で消費する生活が必要になって来るだろう。けれど、すべての人が、もっと楽に自家発電、蓄電、電気消費ができる様にならないと、いまのままでは無理です。けれど温暖化を止めるためには、複合的な対策が必要で、その方法の一つです。
注意⭐︎推敲しました。
あとがき
この文言を初めて書いた時点では、絶望感に支配されていました。今は希望を抱いております。
「窓越しに見えるのは」
あれは2022年のサッカーのWCの時のこと。私はさほどサッカーが好きな方ではないから、その夜、どんな試合があったのか記憶もない。ただ大切な試合で日本中が沸き立っていたのは覚えている。真夜中を過ぎ、深夜の何時頃かははっきりしないけれど、カラスが集まり大きな声で鳴いていた。二、三匹いやもっといたかもしれない。気がついて
「こんな時間にカラスが集まってる」
と、夫を起こした。最初気味が悪かったけれど、凶々しい気配はなかったので、気にしつつも眠ってしまった。翌朝のニュースは日本の勝利で盛り上がっていた。
再び深夜にカラスが集まって大騒ぎをした夜、窓越しに見えたのは、日本の応援のために煌々と灯りのついた近所の窓々だった。みんな寝ないで応援しているのだなと思い、カラスたちはこうした人間の熱気を感じているのかと思いながら眠った。翌朝、また勝利のニュースが流れていた。
そしてあれは確かベスト8をかけた試合だったと思う。きっと今夜もカラス達がやって来るだろうと思って待っていたら、はたして・・・
来なかった。翌朝、ニュースで負けた事を知った。不思議な事もあるものだと思った。夫に
「あのカラス達は熊野からやってきた八咫烏だったのかな?」と、そんな話もしてみた。
いろいろ考えてみたけど、答えはない。この時のことは摩訶不思議な出来事として記憶に残っている。