葉月

Open App
6/20/2023, 10:56:50 AM

「あなたがいたから」

 戦争は突然始まった。いつか、やって来るその日が、来ないと思えたのは、それは単に楽観的な希望に過ぎなかった。

 私の祖母は、よくナチスと戦った頃の話をしてくれた。十八歳の兄が徴兵で戦場に行き、いまもどこでどの様に死んだのかわからないと、涙をこぼしながら話をする。年老いたせいか、何度も何度も、兄と過ごした幸せな日々を繰り返し語った。大切な家族を失った喪失感は癒えることがなかった。 
 徘徊が始まったのは、昨年のことで、真夜中に家から出て行かれると危ないから孫の私が祖母と同じ部屋で眠る事になった。そこは狭い屋根裏部屋でベッドがひとつあるだけだった。小さな南向きの窓にはカーテンもなく、月のない夜は満天の星が瞬いていた。私は祖母と同じベッドで眠った。寒い季節は体をくっつけている方が温かかった。 
 「にいさん!」
 ある夜、突然の声に飛び起きた。そして祖母が私の体に覆いかぶさるように抱きしめてきた。それは、我が家が爆弾で破壊されたのと同時だった。目が覚めた時、祖母の傍らには若い男性がいて、祖母は嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。二人は手を繋いで夜空に浮かび上がり、私を見下ろしていた。

 あれから一年が過ぎた。戦争が終わる気配はなかった。祖母と両親を失いながら奇跡的に助かった私は、いまはポーランドで祖国に帰れる日を夢みている。

あとがき

 小説のプロットのようなもの。

6/19/2023, 10:41:38 AM

「相合傘」

後日、書きます。

6/18/2023, 11:47:18 AM

「落下」

 「落下」という言葉は、ニュートンのことを思い起こさせる。全ての質量のある物体は重力があり、リンゴは地球の引力によって落下するけれど、リンゴもまた質量があり地球を引き寄せていることになる。 
 昔、あっちゃんという友人がいて、ラグランジュ・ポイントのことを教えてくれた。重力均衡点のことで、地球と月との間には、ラグランジュ・ポイントは一点ある。物理学的な説明は婆々には無理だけど、つまり、程よく釣り合っているから、月は地球を離れて勝手にどこかへでかける事はない。人工衛星も同様だ。
 突然、何かがストンと落下する様にやってくる事がある。私にとってラグランジュ・ポイントは、まさにストンと落下する様にやってきた何かだった。太陽系の惑星間には複数のラグランジュ・ポイントがあり、当然のことだけど複雑に絡み合っている。
 私達はこうした宇宙の法則に無縁でなく、私達の存在そのものが宇宙であり、また宇宙と深く繋がっている。
 伊藤計劃という若きSF作家がいて、作家となって、わずか二年で夭折した。彼の『ハーモニー』という作品からも、何かが、ストンと落ちてきた。時空を超えて繋がっている何かが。
 若い人には臆することなく想像的であって欲しい。そう、あなたにしか創れない世界がある。

注意⭐︎推敲しました。

6/17/2023, 11:04:36 AM

「未来」


 世の中には、さまざまな予言にあふれている。有名なのは、ファティマの予言であろうか。幸いな事にごく一部しか公開されていない。未来はある程度は予測できる。地球のプレートの移動による地震、火山の噴火などは、歴史記録や地層研究などで予測可能だ。それにしても、温暖化の問題は現在最も深刻な問題で、北極圏やその周囲の永久凍土の融解により、大量のメタンガスが大気に放出されている。
2020年の北極点の夏の映像が衝撃的だった。完全に氷で覆われておらず、例えるなら美しいレース模様だった。近い未来、北極点に完全に氷がない夏がやって来るかもしれない。しかし婆々は、未来とは人の心が決めるものと思っている。歯止めの効かない温暖化はお隣の金星の様になる可能性が高い。当然、地球の生命のほとんどが絶滅する危険もある。
 人間だけが地球環境を変える知性を持っている。未来は人間の想いが生み出す。戦争、内紛などで互いに殺し合うのに忙しい人間。このまま自分自身や民族、宗教、イデオロギーに固執して、温暖化の問題を後回しにするなら、どうなるのか?
 あなたの強い想い願いが未来を変える力になるだろう。苦しみの中で悶えていても、希望を感じられなくても、そんな力など何もないと諦めていても、あなたの願いは、神に届くだろう。

 未来は、いつも、あなたのものだ。


注意⭐︎推敲しました。


 

6/16/2023, 10:05:05 AM

「一年前」

 記憶というのは曖昧だ。歳をとってくると尚更その度合いは増してくる。例えば、昨日の夕食は何とか思いだせても、一昨日のこととなると皆目、思いだすことができない。「一年前」というテーマに接して、まずGoogleで一年前の六月十六日を検索し、その日が木曜日であった事がわかった。お天気は曇りで、梅雨時のことであるから、いまの様に雨が降ったり止んだり気持ちの晴れない日々の最中であった事は間違いがない。 
 いまもそうだけれど毎日の習慣で、ラジオを聴いていたはずだ。本箱の中を探したら昨年のテキストが残っていた。その日の内容は韓国の昔話で、私でもわかる簡単な英語での放送だった。雨蛙は雨が降るとなぜ鳴くのかという、梅雨の季節ならではの話で、テキストを読み返してみて、あぁ確かに聞いたと思うけれど、その放送が午後一時に終わり、その後どう過ごしていたのか、まるで思い出せない。
 毎月十五日に発売される雑誌があって、いつも主人が買って帰るのだけど、この雑誌の話を始めると長くなるから、ここでは割愛しよう。よほど気に入った号でないと手元に残さないから、我が家に二つある本箱の大きい方を探してみたが、案の定なかった。しかし雑誌を読みながら今日と同じ様にアイスコーヒーを飲んでいたに違いない。老人とは変わり映えのしない日常のなかで生きているし、昨年は今年よりずっとコロナが猛威を振るっていた。はてさて若い方はどの様に一年前を過ごしておられたのだろうか?自分のものが書き終わらぬ前に誰かの文章を心待ちにしている婆々である。
 夜も更けてきた。つらつらとどうでも良いことを書き連ねてしまった。我ながら陳腐な文章だと反省しきりである。

Next