希死思慮を覚えると、遠くに行きたくなる。自分の息の根を止めるなら、異界のような場所が良い。川端康成の『弓浦市』のように、実在していそうで実は架空の土地だったという魔界に行きたい。ただ異界や魔界は、向こうから呼ばれないと行くことはできない。私の理想的な自殺方法は、このように場所を限定しているので、早々に実行できない。あえて不可能にさせているから、今もずるずるとうつろに現を抜かしている。自らの手で自身を殺すのが怖いから、無理難題の条件を設けているのが何よりの事実だ。
ただどうしても死にたくなると、家を飛び出して、とにかく誰もいない場所に行きたくなる。身内とか友人とか最早人間さえもいない異界に行って、そのままそこの住人になりたい。生まれ変わりの願いがあるのだろう。今の器から抜け出して、新しい入れ物に入りたい欲がある。新しい自分との出会いを遠い異界の地に求めているのかもしれない。
また、先ほど例に挙げた『弓浦市』のように、「架空の場所に生きる私を描いた物語」が欲しい。魔界に呼ばれないのなら、せめて魔界を舞台にした物語の登場人物になるのも良いだろう。物語の中に生きたいその想いは、永遠に生きたい願いも込められていそうだ。
つまりは矛盾だ。遠くに行きたいと死にそうな顔をしていながら、本当は異界に呼ばれた私の物語の中に生きたいと欲している。
(250703 遠くへ行きたい)
どんなに頭を叩きつけようが砕こうが弾けようが、
お前の頭は金剛石でも水晶石でも何でもない。
ただの肉塊だ。氷よりも脆い内臓にすぎない。
(250702 クリスタル)
梅雨までも蒸発させる炎暑だと騒いでいるが、遺伝子レベルで拒絶するあの臭いを焦がせないようではまだまだである。暑苦しい夏と共にやってくる、腐った内臓と酸化した尿の臭いは、死ぬまで吐き気を催す。
夏場でもマスクするとは正気の沙汰では無いと言われようが、他人の視線なんかよりも、人間の体臭と香害で窒息したくない。いっそのこと。気温をもっと上昇させて、焦げた髪の毛の臭いが漂う夏にしてしまえばいいのに。
夏の葬列という言葉は、どうしてこうも響きが良いのか分からないが、酷暑と冷淡の対比を表しているのかもしれない。
(250701 夏の匂い)
たかが薄物一枚を引いただけで、内と外の空間が出来るのもなかなかに不思議な話だが、時折どちらが外と内なのか分からなくなる。
大方、私はカーテンに覆われていると思えば、そこは内だ。とは言え、どちらが安らかな内であろうが、恐ろしげな外であろうがそんなの一切関係無く、白いカーテンの隙間から手は現れる。
カーテンの境目というべきか、そこを白い指先がするりとすり抜け、青い血管が浮く手の甲を見せつけて、細い手首を軽やかに捻り、五本の指を鳥の翼のように広げて、真っ白なたなごころを露わにする。
手首より先はカーテンの向こうだ。微かに隙間から暗闇が覗き、ただただ手が影から伸びて浮いているようにしか見えない。なのに、カーテンの向こうには人間がいる、美しい白い手の生き物がいる、とにかく柔らかな暗闇をまとった たましいがいる。
そう私は信じて、自らの手を伸ばした。するりとカーテンの中にのめり込む。掴んだはずの手は無いが、カーテンの向こうに何かいる気配を指先で感じた。手招きをしてみた。唯一可愛いと言われた小さな爪で反射板よろしく光沢の交信をする。こんにちはと。返事はない。反応はない。生きていない。何も掴めなかった。誰も握ってくれなかった。
(250630 カーテン)
拾ったメモを広げたら、群青色の文字で埋まっていた。書き殴った文字が多いが、下の方には整った字で「血を冷ややかにせよ」と記されていた。「ああ、ごめん。ありがとう」とメモの落とし主は口早に言って、メモを掴んだ。冷静さを装っているようだが、指先が動揺に震えている。
「見ちゃってごめんね?」
「まだ途中のものを見せて悪かったね」
食い違う対話に2人は互いの顔を覗いた。メモの持ち主は、青く染まった手先を顎に添える。特に藍よりも濃い人差し指で自らの顔を上げさせて、視線を真っ直ぐに向けた。
「瑠璃色のペンでひたすら怒りを焚きつけているのさ。赤よりも熱い青黒いで全部燃やしたいんだよ」
私も?と相手に聞かれたので、私も貴方も全部と答えた。
(250629 青く深く)