希死思慮を覚えると、遠くに行きたくなる。自分の息の根を止めるなら、異界のような場所が良い。川端康成の『弓浦市』のように、実在していそうで実は架空の土地だったという魔界に行きたい。ただ異界や魔界は、向こうから呼ばれないと行くことはできない。私の理想的な自殺方法は、このように場所を限定しているので、早々に実行できない。あえて不可能にさせているから、今もずるずるとうつろに現を抜かしている。自らの手で自身を殺すのが怖いから、無理難題の条件を設けているのが何よりの事実だ。
ただどうしても死にたくなると、家を飛び出して、とにかく誰もいない場所に行きたくなる。身内とか友人とか最早人間さえもいない異界に行って、そのままそこの住人になりたい。生まれ変わりの願いがあるのだろう。今の器から抜け出して、新しい入れ物に入りたい欲がある。新しい自分との出会いを遠い異界の地に求めているのかもしれない。
また、先ほど例に挙げた『弓浦市』のように、「架空の場所に生きる私を描いた物語」が欲しい。魔界に呼ばれないのなら、せめて魔界を舞台にした物語の登場人物になるのも良いだろう。物語の中に生きたいその想いは、永遠に生きたい願いも込められていそうだ。
つまりは矛盾だ。遠くに行きたいと死にそうな顔をしていながら、本当は異界に呼ばれた私の物語の中に生きたいと欲している。
(250703 遠くへ行きたい)
7/3/2025, 12:38:01 PM