約束だよと父に言っても、
なんで俺なんだと言って、
年季あるウイスキーを眺めながら
缶ビールを飲んでいる。
約束だよと母に言っても、
お前と約束できる人としなさいと言って、
洗濯かごとゴミ箱と包丁をバンバンと鳴らして
口からクソを漏らしている。
兄弟もいたと思うが、
血を分けていたはずなのに
手を繋いだこともないから、
約束の指切りさえもできない。
祖父も祖母もどっちも死んだ。
仕方ないから、私のアニムスと約束をした。
いつか、一族の終の花となって散ろうね。
アニムスは嫌だよ死にたくないよと泣いている。
誰も私と約束をしてくれないから、
自分の小指を全部摘んでねじって
砕いて潰して引き千切って叩きつけた。
白い指から赤い肉が花のように散っている。
(050603 約束だよ)
傘を開いて心開いて男は微笑み、
なんと美しきかなとささやけば、
骨に触れて頬染めて女も微笑み、
恋人の骨で組みましたと呟いた。
カラカラと赤い傘も笑っている。
(250602 傘の中の秘密)
雨上がりの夜空を見上げると、星々の光がより白く煌めいている。慈雨で空気が清められたのか、いつもよりも星明かりが鮮明だ。
雨粒が夜空を穿って、その小さな穴から天空の白い世界を覗かせているようだ。そして、雨粒に開けられた夜の塊は流れ星となって、雨と共に落ちていく。
流れ星の中には、胸に羽の生えた少女が閉じ込められているだろうよ。幸いにも、少女は星屑の石の中のいる。落ちた先が、塵積る地面だろうが、波打つ海面だろうが、石は砕けない。
砕けはしないが、後のことは彼女の運命次第だ。そのまま地面の中に埋もれたら、一番の幸福かもしれない。どうせ、ただ石になるだけだ。
地面に転がって、子どもたちの暇つぶしに蹴られて、下水道の底に一生落ちていくよりかは、石になった方がいい。
海面に沈んでいっても、魚たちに避けられて、海水で溶かされ、やがては世界を漂い続ける波になるよりかは、石でいた方がいい。
せめて石になったからには、少女の美しさに胸を打たれて、物語を語れる人間に拾ってほしいものだ。少女の妖気に当てられて、承認欲求と性欲と金に狂った人間と出会ってしまったら、さてどうなるか。
今まで雨が何度も降って、夜空から流れ星がたくさん落ちていき、星屑が地上にいくつも転がってきた。未だ、その少女を語る物語を一つしか読んだことがないから、きっと優しい人間にしかまだ出会っていないのだろう。
いつも身近にある小石に、羽衣を胸に秘めた天女がいるなんて面白そうだと、私も石を拾おうとしたが、そもそも周囲はコンクリートで埋められている。砂つぶさえも見当たらない。自然もなければ、物語もない。何ともつまらない場所であったよ。
雨上がりの水たまりを黒い化け物の鱗に映す、嫌に堅苦しい地上に私は生まれ落ちたものだ。
(250601 雨上がり)
勝ち負けなんて無いとみな言いたいのだろう。
そんなルールは人間の勝手な都合にすぎない。
本当は生きるか死ぬかだ。
自分はいつも色んな人の才能と幸運と幸福に
押し潰されて死んでいる。
そして、自分の弱さと小ささと醜さと汚れに
埋もれて生き返っている。
勝利に酔う美酒と敗北に喫する汚水を呑めず、
自分は死んで生きている。
(250531 勝ち負けなんて)
目を閉じる。瞼の裏に私の生家を思い浮かべる。
引き戸の玄関を潜って、左回りに家の中の窓を全て開けていく。居間を通り、台所、祖母の寝室、廊下に出て、階段を上り、従姉妹の部屋に入って、再び一階に戻る。
右手に進んで、脱衣所と浴室、廊下の突き当たりにあるトイレの窓を開けたら、客間に通ずる襖を開けて、ようやく全ての窓を開け切った。
そして、今度は全ての窓を閉じていく。道順は窓を開けた時と同じだ。
家の中を歩いていると、不思議と祖母が私の近くにいるように感じる。むしろ、私が祖母になって部屋の窓を開け閉めしている気分だ。私が祖母になっているのか、祖母が私になっているのか。胡蝶の夢のようで、気持ちが浮つき、なかなか落ち着かない。
目を開けたくなる。閉じられた視界が徐々に白んでいく。瞼を閉じる集中力がなくなってきた。けれども、まだ家の中の窓を全部閉じていない。
ようやく客間まで辿り着き、窓を閉めて、玄関に戻ってきた。最後に玄関を潜り抜けて、外に出る。
最後の鍵をかけようと振り返ったら、祖母が入口の間に立っていた。いつもの黒と白のタータンチェックのエプロンを着て、腰の裏で両手を組んでいる。細げで柔らかな髪は、相変わらず毛先でくるくると渦巻いている。日本人形のように白く透き通った肌が、暗がりの家の中で仄かに光っていた。黒い飴のようにきらりとした目で、にっこりと微笑んでいる。その口は微笑みで閉じられていたが、「いってらっしゃい」と言っているように聞こえた。
そうして私は、自分の生家に鍵をかけて、瞼を上げた。この家巡りで誰かと出会ったら、霊感があると言われてるらしい。たましいとの繋がりの証明とも言えそうだ。
私の生家は跡継ぎがいなくなった為、他人に譲り受けたので、自分と同じ血を持った者は、もうそこにはいない。だが、同じ血を持った者が過ごした物語は、まだ残っている。その物語を描き続けていくのが、残された者の宿命だろう。
今回の家巡りで確信した。祖母のたましいは、確実に私のたましいの中にいる。大人になれなかった父母のせいで、私の身体はすっかりと汚れてしまったが、せめてたましいだけは清らかでいたい。その為にも、繋がりを広げる物語を語り続けたい。
いつかは、私のたましいが、誰かのたましいに溶けていくことを夢見て語ろう。
(250530 まだ続く物語)