田中クン

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10/7/2025, 10:44:53 AM

僕は僕を否定する。心臓は脈打ち、血は走る。止まるんじゃないぞ。止まるんじゃないぞ。時間が過ぎていく。時間だけは無慈悲に過ぎていく。大人になればなるほどわからないものが増えた。許せないものが増えた。

本を読んだ、物語を書いた。考えて、考えて、考えて、考えた。止まれなくなった、止まらなくなった。僕は僕を否定する。僕は僕を否定する。でもそれでいいんだ。

静かな怒りが、否定だけが静寂の中心にいる。僕はまた机に向かう。自分を許さないために。僕が僕であることを肯定するために。僕はきっと間違っていない。

10/7/2025, 10:30:01 AM

窓の外で夕陽が燃えていた。モミジの葉が赤く染まり、散る前に最後の色を見せている。
死に化粧のようだ、とふと思う。別れの時ぐらい、きれいに別れさせてやりたいものか。それとも、最後まで同じように過ごしていたいのか。

生きるのはめんどくさい。死ぬのもめんどくさい。なにもかも、めんどくさい。
それでも、俺はまだ生きている。

あいつが死んだ。
高校の同級生で、本が好きな奴だった。いつも分厚い本を手にしていて、めくっては戻り、めくっては戻り、時々あごに手を当てて止まったかと思うと、またページをめくっていた。得体の知れない変な奴だった。

「お前何読んでんの?」
あの昼休み、俺は気まぐれに声をかけた。
分厚いレンズの奥で眼だけが異様に輝いていて、あいつはびくっと体を震わせてから、背表紙を見せてくれた。
“ニコマス倫理学”
「哲学書だよ。ギリシャの哲学書」
曖昧に笑いながらあいつは視線を紙面へ戻した。
「なんで本なんか読むんだ?」俺は素朴に聞いた。
「……知らないよ」あいつは顔を上げなかった。
「読んでると楽だから。静かだから。誰にも触られないから」
その声は笑っているようで、どこか遠かった。
まるで世界に背を向けて、自分の中だけで呼吸しているみたいだった。

あいつはそのまま活字の中に沈んでいったのかもしれない。
やがて学校に来なくなり、そして死んだ。交通事故だった。

季節は秋になろうとしている。
窓の外で葉が燃えるように色づいている。
彼らは死に化粧をしているのではない。死を受け入れているのでもない。
生きて、生きて、生きた先に燃えたのだ。
燃えること、それは積極的に生きることだ。死に向かうことではなく、生を諦めないことだ。

あいつは小説家になりたかったと言っていた。
びっしりと文字の詰まったノートを見せてくれたことがある。
俺はそれがとても眩しく見えて、そのあとあいつの目を見ることができなかった。

いま、俺は小説を書いている。
あいつが何を考えていたのか、何を書こうとしていたのか、何を見ていたのか。
もう一度会って話してみたい。

窓の外の葉が、赤く燃えている。
青いまま落ちてしまう前に、俺も燃えたい。
燃えて、生きて、生きて、知らぬ間に散っていきたい。
美しく散るなんてそんな暇はないんだ。命をもやしつくしてやりたい。

4/10/2025, 4:29:45 PM

夢へ!

飛んでいけ。飛んでいけ。
すべてをかなぐり捨てて、明日も今も知らないように、今日死ぬように。今死ぬように。  

必死に、必死に、死ねばいい。死ねばいい?
諦めるとか諦めないとかじゃない。やるしかない。進むしかない。使命でも、願いでもない。決定事項だ。

殺せ、殺せ。弱い自分を殺せ。
挫折も苦悩も見ないふりをしろ。知らないフリをしろ。
お前はヒーローだ。主人公だ。

周りがなんだ。数字がなんだ。やる気がなんだ。途方もないからなんだ。やると決めたらやるしかないだろう。

殺せ、殺せ。

3/31/2025, 4:49:33 PM

人生で一度だけ、泣きたくなるような切実さで言われた「またね」がある。

それは、卒業式が終わり、校門を出たときだった。人の波が途切れ、ふと立ち止まった僕の背中を、誰かがぽんと叩いた。

振り返ると、そこにいたのは中学の頃からの同級生だった。普段はあまり話すことのない相手。でも、同じクラスになったことが何度かあり、行事や授業で隣になったこともあった。

「元気でな」と彼は言った。

僕は「うん」とだけ返した。何を言えばいいのか分からなかった。彼とは特別親しかったわけではない。ただ、それでも、こうしてわざわざ声をかけてくれることが少しだけ嬉しかった。

そのまま別れようとしたとき、彼が少し間を置いてから、まっすぐに僕を見て言った。

「またね」

その声は、不思議と心に残った。

社交辞令でもなく、軽い別れの挨拶でもなく、本当にまたどこかで会えることを願っているような響きだった。

「またね」

僕は驚きながらも、小さく笑って同じ言葉を返した。

それから数年が経った今でも、あの「またね」は僕の心の中にある。

本当にまた会えるかは分からない。それでも、あの時交わした「またね」がある限り、どこかで再び巡り会えるような気がするのだ。

3/28/2025, 6:18:57 PM

平和とか幸せとかそういう言葉を投げかけられると僕みたいなひねくれ者は真っ先に拒絶反応を示してしまう。

現実はいつだってうだつが上がらない。働かなくちゃご飯は食べられないし、どんなに綿密に計画を描いても成し遂げることなく、ベッドの上の妄想に終わる。
他人と比べられることが怖くて、「あなたとは違います」って顔して生きている。その実、当たり前みたいな顔をして人を嘲る。自分の矮小さに目を瞑って。

「小さな幸せ」と言われて、「小さな」という言葉が気に食わなかった。大したことがないように、控え目そうなふりをしている。
幸せが幸せであることに変わりはない。感情や感覚に客観的な基準はない。だからそれは人に語るための幸せだ。他人に語るための幸せだ。

ある人が語る小さな幸せが別の人にとっては一生をかけてでも手に入れたい幸せなのかもしれない。それは言い過ぎかもしれないが、「小さな幸せ」という言葉が僕のように自分の矮小さを隠して、人を見下しているかのように感じてしまう。

ごめんなさい




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