お金よりも大事なもの。
それは多分、人を愛するということ、とか命のありがたみを感じること、とかそういう目に見えないもの。
多分きっと、そういうこと。
【お金よりも大事のもの】
この投稿を最後にアプリ消します…!!
スマホの移行で引き続きが上手くできず…残念です(´._.`)
ログアウトはしないので、これまでのは残るのかな…?
また同じ名前で続けるので、見つけたらまた読んでくださると嬉しいです✨
一度区切りとして…ありがとうございました🍀*゜
※志望校合格の旨が書いてあります。人によっては気分を害される可能があるので、そのような方は飛ばして頂けると幸いです(*ᵕ ᵕ)"
入試の結果発表当日、いつも通り5時半に起床した。いや、してしまった。早起きするということは、その分この不安と少しの期待が入り交じったドキドキを味合わないといけないということ。
『最悪だ、これだから習慣は』と、普通なら褒められるべき習慣をこの時ばかりは恨む。
ずっと、公立一本で頑張ってきた。
決して家が貧しい訳じゃないけど、それでも姉妹弟が多い私にとって私立に行くという選択肢はなかった。
別に、“ここがいい!”“ここじゃなきゃダメだ!”という場所が私にあったなら、きっと両親は通わせてくれたはずだ。
それでも、その何倍も行きたいと思える公立高校を見つけてしまったら、一本で頑張ろうとなるのは必然ではないだろうか。
そんなこんなで受験をした志望校。
自己採点の結果、合格率は7割強から8割弱。どちらにも簡単に転ぶ結果であった。
受験を決めた日から思い続けて来たこと。それは、
あの場で高校生活を過ごしたい!この頑張りが報われて欲しい、頑張れば変われるんだって証明したい、ただそれだけ。
朝、何度見ても見慣れないWebサイト。
受験番号とパスワードを打ち込み、そこで一度手が止まる。
こわい。
落ちてたらどうしよう、嫌だ受かりたい、受かりたい、落ちたくない、嫌だ、怖い、怖い。
でも落ちてるんだ、変に期待しちゃいけない、その分辛くなることを推薦で私は一度体験しただろ。
正面に座る母の手を握り、
「ありがとう、確認したら二次募集用に自己PR書かなきゃだね」とほとんど諦めた心で告げる。
涙で霞そうな視界をなんとか堪えて、震えそうな手でボタンを押す。
🌸合格おめでとうございます🌸
「え、うそ」
ずっとずっと見たかった文字が、今目の前にある。それがどれほど嬉しかったか。
「本当?夢じゃないよね?ドッキリじゃないよね?」
泣きながら、笑いながら、わかりきった確認をする。
「やったよ…!よくやったよ!おめでとう!!」
そう泣きながら伝えてくれた母に、合格できたという喜びと安心で涙が止まらなかった。
しばらくして落ち着いてから、仕事に行っている父にも電話をかけた。
「合格できたよ!」
そう告げたとき、父が涙を流したのが電話越しでもわかった。めったに見ない父の涙にも、また涙腺を持ってかれる。名前も顔も知らない父の職場の人にも、おめでとうと言ってもらえた。
胸がジーンとなって、でもどこか照れくさいあの感情はなんと表現すべきだろうか。
ともかく、今日が私の人生にとって忘れなれない日になるのは間違いないだろう。
たった一つの希望を信じ、頑張り抜いた私がいたという事実を、これからも忘れずにいたい。
【たった一つの希望】
ということで!改めまして志望校合格できたことを、ここにご報告させていただきます!
また読みにくい文になってしまいましたが、それはご愛嬌ということにさせてください笑
何作か前に、“ここで合格できたよと告げられるよう頑張る”と書いていたのですが、それが実現できて本当によかったです(* ˊˋ*)
これから新しい環境に入り、なにかと大変なことも多くなると思います。そんな中でも作品の更新をし続けていきたいと考えていますので、ぜひ皆様今後ともよろしくお願い致します🍀*゜
今日は2年前に亡くなった曾祖母の誕生日。
はじめて人の“死”を目の当たりにして、命とは、こんなにも脆くて儚いのかと思い知った。
祖母の家でどんどん衰弱していった99歳の曾祖母。
もう長くはなくて、いつ死んじゃってもおかしくない。そんな状況にあったのを理解していながら、はじめての“死”と向き合うのがなんだか怖くて、機会だって沢山あったのも全て潰していったのは私自身だった。
曾祖母の誕生日の、1週間ほど前の休日。
21時頃だっただろうか、両親と姉妹弟とタクシーに乗って祖母の家に向かった。“もうすぐ”だという時だった。
シワシワで、でもしっとりしてて、冷たくて、随分と小さくなった曾祖母の手を順番に握って、「ありがとう」と「大好きだよ」を伝えた。
※ーーー※
身体はそこにあるのに、でもただ眠っているのとは確かに違う。そんななんとも表現しがたい感覚に包まれたのを、よく覚えている。
※ーーー※
【小さな命】
※途中まで。後日書き切ります
同情、同情、同情。
他の人の作品をみて視野を広げ、自分の中で思いを巡らせる。すると段々、言葉自体がゲシュタルト崩壊してくる。
同情、同情、同情。
“同”じ感“情”と書くのに、実際は“可哀想”とか“憐れむ”とかまた少し違った意味合いで使われる。
そこには同じ感情など全くなくて、むしろ嫌悪が募る。
こうして考えると、つくづく言葉というものは面白いなと思うし、こういう感性があるのって楽しいなとも思う。
【同情】
“さよなら”は好きじゃない。
“またね”がないバイバイが嫌い。
だって今を生きるのが楽しくて、幸せで、この時が永遠に続くことを強く願ってしまっているから。終わりがあることを思い出させる“さよなら”は嫌い。
だから“さよなら”を告げなくてはならない状況を思い浮かべては落ち込み、いっそ現状が辛ければ…なんて思うこともある。でも、それよりも今が大好きで、手離したくない。
だからこそ別れが辛くて…という思考の悪循環。
しかし何にでも“さよなら”はやってくる。
どんな物にも、どんな人にも、どんな出会いにも、いつかは別れを告げなくてはならな時がくる。
生きた分だけ“はじめまして”があって、“さよなら”がある。
それは、どうしようもないことで、私たちは受け入れなければならない。
だから、せめて笑顔で言えるように、日々を一生懸命に悔いが残ることのないように生きていくしかないのだ。
さよなら、“今日”だった“時”たち。
頑張り抜いたと思える1日よ。
そしてはじめして、今真っ只中で流れている“時”たち。
こんな私だけど、どうぞよろしく。
【今日にさよなら】