今一番欲しいもの
行ける場所も、行きたい場所もなかった。
昨日まで自宅だと思っていた場所には帰れない。帰ってくるなと、追い出されてしまった。
中学卒業したんだから、もう大人でしょ。もう就職もしたんだか、早く出ていってよ、と。
無心で必要なものを取るだけの許可を貰い、淡々と鞄に詰め込んだ。荷物なんてそんなにないから、一番重要だった通帳を持って家を出た。
特になんのお別れもないさよならだった。
目的地はないけど、家の近くにいても不審に思われるだけなので、どうしようか、考えながら歩く。
ホテルに泊まることは出来るのだろうか。
さすがにホームレスにはなりたくないし、頼れる友達も居ない。
住み込みか、寮のある職場を探せばよかったなと、ちょっとだけ後悔した。
今日泊まる場所を探して駅前に来たが、人が多くて気後れしてしまった。人口密度の低い場所を求めて駅から離れて歩いていたら小さな公園を見つけた。
日も落ちていたから誰もいない。歩き疲れたし、今後をどうするか考えよう、とブランコに座る。
大人になれば、1人でどこへでも行けると思っていた。
どうしよう、と考えても何もいい考えが浮かばない。
寂しいし、心細いし、とても怖い。
このままどこにも行けなかったら、どうしよう。
警察とか来る前に、どうにかしなきゃ。
だって、補導でもされたら、連れ戻されてしまう。それだけは絶対に、回避しなければ。
どこでもいいから居場所が欲しい。
無条件で、わたしがいても許される場所。
遠い日の記憶
暑い夏の日はファストフード店に限る。
とてもではないが、家で作業する気になれなくて、外に出て暑さにげんなりして、慌てて店内に逃げ込んだ。
隣に座った少年が、キョロキョロ見回していた。
視界の端に入る少年が気になりはしたが、わたしは仕事をしていたので、黙々とタブレットを操作した。
なんか微笑ましい。かわいい。
このくらいの時期の子供って、何しても可愛いんだろうなぁ。
仕事に集中しなきゃ、と思いつつも、視界に入る可愛い生物を考えてしまう。
少年のお母さんが後からやってきて、「大人しく座っていてね」と、恐らく注文するためにカウンターへ向かった。
少年は、大人しく、キョロキョロした。
確かに座っている。偉いな、と思う。
「パソコン開いてなにしてるの?」
隣から聞こえるトーンの高い声。
なんだ、天使は声まで可愛いのか。
暑さと仕事のストレスで狂いまくった頭がおかしい気がする。
パソコンじゃなくて、タブレットだよ、と言いそうになったけど3歳くらいの子供相手にそんなこと言えない。
「お仕事してるんだよ」
「お仕事?ここご飯食べるところなのに?」
「ご飯を食べたから、ひと仕事してるんだ」
トレーに残った包装袋と、飲みかけのコーヒーのカップ。
「ふぅん」
そして少年の興味は尽きたらしい。
母親が置いていったであろうスマホを触り始めた。
そんな様子も可愛くて表情が緩む。
わたしが子供の頃は、とても知らない人と、隣の席だからって話しかけたりはできなかった。多分今も出来ないし、やらないけど。
話しかけたり瞬間にわたしがやばい人になりかねない。
今の現代、怖い。
男が男に、女が女に、でもセクハラって成立するし、訳わかんない世の中。
でも、可愛いは正義は、今も昔も変わらないよなぁと、そう思った。
空を見上げて心に浮かんだこと
どこかに行きたいな、と浮かんで、
どこに行くの?と自分で問いかける。
どこにもいけないのにどこかに行きたいなんて。
馬鹿だなぁと思う。
私の当たり前
朝起こしてくれるのは、猛烈にうるさい目覚まし時計。
「主、朝だ!起きろ!起きないと5秒で焼け焦げることになるぞ!ハッハッハ、嫌なら今すぐに起きろー!」
──訂正。
目覚まし時計ではなく、うるさい同居竜の子供の火竜である。
大型犬くらいの大きさだから、普段は庭にある犬小屋に収まっている癖に、毎朝太陽が登ると同時に起きて、異様にテンションが高い。
私の寝起きが悪いことを知ってから起こしに来るようになってしまった。私の不機嫌な様子がを見るのが楽しいらしい。本当に迷惑だ。
本当に燃やされそうな気がして致し方なく起き上がる。
頭が働かないまま着替えて、リビングに行けばおはよう、とあちこちから声が聞こえてくる。
「ほら新聞。早起き出来たなら早く読みなさいヨ」
偉そうに黒猫が机の上に現れて、咥えていた新聞を目の前に置いた。
「君は私に対する敬意が足らない。まだ無理。頭が働かない。読みながら寝る」
「本っ当に情けない主ネ。アナタの使い魔達はみんな起きてるわヨ」
「君らは睡眠を必要としないだろ?」
「アタシは寝るわヨ!」
「それは知らなかったな」
会話して段々と覚醒してきたので新聞を手にする。
情報は大事。人目を避けて暮らしているから特に。
仕事で人間と関わるとはいえ、私はどちからと言えば人間たちよりも闇に生きるモノたちに近いから、情勢が変われば私自身も討伐対象になりかねない。
私は魔女なのだ。本当の意味で、魔女。
過去に魔女狩りという意味不明なことを人類は行っているのだから、本当に信用ならない。
使い魔に用意されたコーヒーとトーストを食べる。
食べ終わったら、日課の畑仕事だ。
野菜に薬草。私の生活は基本的に自給自足だ。
午前中は畑仕事をして、使い魔が用意したお昼を食べ、午後は薬作りをする。
薬作りが終われば休憩なのだが、見計らったように大型犬──じゃなくて、火竜が「遊ぼう!」と騒ぎ立て始めた。
「遊んでもいいけど、人型でね」
「うん!何する?」
「かくれんぼ。見つけてあげるから、隠れてきな。人型でね」
「分かった!」
火竜が小さな男の子に変身して、隠れるために部屋を出ていく。入れ替わりで使い魔のタヌキが、お茶を持って入ってきた。
「悪い人ですね」
「ちゃんと見つけるわよ。寝る前くらいに」
「貴女が寝る時間にはあの子も寝てますよ」
「静かでいいでしょ。どうせ朝にはまたうるさいんだから。可哀想と思うなら代わりに探してきてよ」
「社会勉強にはちょうどいいですね」
互いにニコりと笑う。
これが私の、当たり前で、平和で、素敵な日常。
友だちの思い出
どうにもならない苛立ちを、深く吸い込む。
煙草の独特の匂いを感じなから、身体の中の空気を全部吐き出すみたいに口から煙が出ていく。
また、タバコくさいとか言われるかもしれない。
短くなった1本目を携帯灰皿に入れて、またもう1本取り出した。
我が家ほど家庭環境がよく分からない家はないと思う。
愛に飢えている母と、自由に生きる3人目の父親と、わたしを含めた5人の子供。
わたしが最初の子供で、1番目の父親との子供。
わたしかわ5歳の頃、離婚した。理由は知らない。
2番目の父も優しかった。2番目の父の連れ子1人と、2番目の父と母の間の子供が1人。
わたしが10歳の頃、運送業をしていた父は事故死した。
母の嘆きは凄かった。初めての葬儀だった。何も知らないまま、あっという間に通り過ぎた。
3番目の今の父はバイヤーと言うらしい。色んな商品を、あちこちに買いつけに行くのが仕事だという。
3番目の父と母の間に2人子供が出来た。わたしは16歳の時に末っ子が生まれた。
……末っ子は、わたしの事を母親だと思っている節がある。
母は最後の子供を産んだ時点で、わたしももう高校生だからと、この子は任せる、と言った。
他の子供たちもわたしは面倒を見てきたから、子育ては一通り知っているし、その頃には家事もほとんどで出来るようになっていた。
父が海外出張で家にあまり帰ってこないようになると、母は夜で歩くようになった。そしてわたしも高校生なのにバイトも出来なくて遊びにも行けない。
友達とは学校で会う以外に子供たちの面倒を見無くてはならなくなった。
どうしてわたしだけ、と思うと涙が出た。
学校で1人泣いてたら、見知らぬ先輩に無表情でタバコを渡された。
よく分からないまま吸って、思い切りむせ込んで更に泣けた。何してるのかよく分からなくて。
「これでお前も不良の仲間入りだな」
ニヤッと笑った初対面の先輩に、今のわたしのどうしようも無い現実を話していた。泣きながら。そして、何がどうなったか連絡先を交換していて、何故かその先輩が家にやってくるようになった。
「子供、好きなんだよね」
と綺麗に笑って子供たちの面倒を一緒に見てくれた。
どうして、とか聞いたら複雑そうな顔で先輩は答えた。
「あー……。その、引かないで欲しいんだけど、わたしは女が好きなんだよ。いわゆる、レズってやつ」
レズ。レズビアン。知っていたが、本当にいるとは知らなかった。
「泣いてるあんたがどーしても気になったから、さあんたの話聞いて、わたし、子供も好きだし、思いっきりつけ込んだんだよ」
「先輩が、わたしのこと、好き?」
「うん。あんたとヤリたいくらいには、好き」
ヤリたい。
……脳裏にどうやって、と浮かんだのは無視した。
「わたしも先輩好きですよ。その、普通の好き、ですけど」
まぁそうだよね、と先輩も納得した。
あれよあれよと言うままに、何故か特別な関係になってしまった。
それでもこの先輩がわたしのどうしようもない人生の中で唯一友達でもあり、わたしの唯一特別な人。
先輩が傍にいない時はタバコに火をつける。
大好きな先輩の持つにおいだから。