あじさい
家族と顔を合わせるのも、家に帰るのも面倒。
仕事終わりに軽く食べて、そしていつものバーへ。
ゆったりとした、音楽が流れる店内で、何となくいつも座るカウンター席に向かう。
流れるように注文をして、強めのウイスキーを頼む。
帰りたくないと、そう思う日もある。
けど、帰らなければ妻がきっと激怒するし、娘の冷ややかな目もだいぶキツイ。
少しは優しくして欲しい。
仕事もキツイし、何もいいことがない。
とりあえず酒で誤魔化す日々。俺の癒しは一体どこに消えていったのだろう、と思う。
結婚当初は優しい妻だったのに、どうしてこうも変わってしまったのか。
勢いで二杯目を頼み、これで終わらせて帰ろう、とそう決意した。
していた、んだけど。
バーともなれば知らない人達と楽しく話をすることも、よくある事だった。
同じような境遇の男性のこともあれば、優しい女の人と話すこともあって。
そう、日本人って身内に厳しくても他人には優しいよなって、そう思う。
これっぽっちも、そんなつもりはなかったのに、アルコールの力とストレスは怖いと思う。
気付けばホテルなんかに入ってたりして、お互いに気楽な感じで話せて、そう、とても気楽だった。
頭の中でこれって浮気、じゃなくて不倫になるのかな、と冷静な自分が言うのに何も止まらなかった 。
☆
少しの二日酔いと、家族への罪悪感と、絶対に妻に怒られるのだろうという恐怖が全部一気にやってきて、死にそうな気分で帰路に着いた。
最低な気分で帰った家では特に何事も起きなかった。
明らかに顔色が悪かったのだろう。過去にないほどに妻に心配された。
そして俺は一夜の過ちとして、何も無かったことにした。
それが精神衛生上、いちばん良いと、今でも俺はそう思う。
あじさい
花言葉、浮気。
好き嫌い
「うっま」
貰ったばっかりのクッキーを早々に口にする。
バレンタインという行事は本当に素晴らしい。
義理チョコという食材をあちこちで貰える、素敵な一日だ。
軽い足取りで目的もなく大学構内を歩けば、誰かしらに貰える。
ああ本当に素晴らしきバレンタイン。
俺、絶対に食品メーカーに就職してみせる。
「せんぱーい! トッポお好きですか?」
「トッポはお菓子の中でも大好きだ」
「わぉ、ホントですか! じゃあ、これ、貰ってください!」
「いいの? ありがとう」
ほらまた貰った。にこりと笑えば見知らぬ女子生徒も嬉しそうに笑った。
俺もハッピー、みんなハッピー。
「お前、今日はお菓子ばっかりな」
「バレンタインだからね。パンとかも嬉しいけど、甘いもの大好きだから嬉しいよね」
「俺はいつかお前が誰かに刺されないか心配だよ」
「そんな物騒なことする子、居ないか、ダイジョーブ!」
パンが好き、と言ったらみんながこぞってパンをくれるようになった。
日々の生活の中で食費は常にカツカツだから、奇跡が起こったのだ。
時々お弁当までくれる子もいる。俺はその子を神様だと思っている。
「だいたいなんでお前ばっかモテるんだよ。やっぱ見た目なのか?」
「俺別にモテる訳じゃないよ? あまりにもみんな俺に食べ物くれるから、なんでって聞いたらさ。俺に“餌付け”が出来ると両思いになれるんだってさ」
「……お前と?」
「俺じゃない別の本命と」
友人は真顔で「なんでそんなの広まるんだよ」と言い、「俺は嬉しいけどね〜。でもご利益は無いよね」と俺は笑った。
食べることか好きだ。
好き嫌いはない。
食べ物ならなんでもいい。
昔食べた、ダンボールよりもマシだから。
街
この一年で世界は大きく変わった。
多分、ものすごく良くない方に。
ここは水の街。地上は水で埋まり、移動手段に舟が必要になってしまった。
人体の液体化現象。
ある日突然、人間が水になって消えるという、得体の知れない現象が起きた。
人が亡くなる度に、水かさが増えていく。
原因不明だし、全員がなる訳でもない、らしい。
有り合わせで作った舟はとても心もとないが、今となっては生活に必要なものだ。
世界の半分以上が水に浸かってしまっても、人類はまだまだ強かに生きている。
食料の配給もあるし、マーケットもある。今は大きなマンションの屋上で畑を作ろうと努力してる人達もいる 。
「世界の終焉説、だと。読み物としては面白かったぞ」
買い出しから戻れば同居人から新聞を渡された。
そう。こんな状況になったって新聞はニュースの伝達に重宝され、ついでに娯楽のようなゴシップやら読み物が乗る。
電気が不安定だからどんどんアナログになっていくのは面白い。
「このまま、みんな死んじゃうんですかね」
「さぁ? 俺はなんだかんだ生き残ったヤツらが近い未来に水上を開拓する未来が見えるよ」
新聞には水上都市計画、という文字が見えて、確かに、とわたしも笑った。
岐路
人生の岐路は沢山あるけど、わたしはいつだって何も選べない。
ただ、流されるまま、先に進むのだ。
世界の終わりに君と
「とりあえずサッカーやろうぜ!」
その場にいた全員が一度凍りついたみたいに動きを止めた。もちろん自分も止まる。多分呼吸までも止まったと思う。
そして馬鹿みたいに早鐘になり呼吸が荒くなった。
呼吸が苦しく感じたが、先程よりは随分とマシだ。
「お前馬鹿だろ」
誰かが言った。
俺も同意した。算数のテスト0点を取った本物の馬鹿だ。とうとうトチ狂った、と思わざるを得ない。
いつも通りの口調でバカバカしいと口にしながらも、みんな不安で表情だけはおかしい。だが、その馬鹿だけは「おれ、ボール借りてくるな」と呑気に笑って教室を出
ていった。
「おい待て馬鹿っ」
1人で突っ走っていくので俺も慌てて飛び出す。
バカ担当よろしく、と後ろから声がかかったので、右手だけ軽く振っておいた。
その馬鹿はどうにもサッカー部の部室を目指していたらしい。
途中で表情の強ばった先生に遭遇したが無視だ。
無駄に足が早いから追いついた時には部室に着いていた。
「なぁ、なんでいきなりサッカーしようなんて言ったんだよ」
「みんなで出来るし、人数少なくても出来るのってサッカーくらいかなって」
「あと数時間で世界が滅びるって、お前だって聞いてたろ? なら家に帰って、」
そして言葉が止まった。家に帰って? その後どうするのか、とても想像出来ない。
というか、直前の告知すぎる。本日、あと数時間で世界は滅ぶでしょう、という言葉と専門家の難しすぎる説明によって、世界の終わりについての認識が追いついたところだ。
ネットニュースではデマだの、抗議するだの、言ってる人間がいて、この人たちは認めずに最後の最後まで政府の対応に批判して終わるのだろうか、と変なことを考えてしまい自分がどう過ごすか、なんて考えていなかった。
「最後を家で過ごすって? 家族はまだ帰ってきてないだろうし、1人になって今までの後悔とか、グダグダ考えそうだ。だったら、俺はみんなとサッカーしてたい」
馬鹿の言葉に確かに、と納得してしまった。
「帰りたい人は多分もう帰ってるだろ? 何人残ってるかな…」
「なぁ、お前、誰も教室に残ってなかったからどうすんの?」
「お前と2人でサッカー」
「俺も帰ったら?」
「リフティングの記録更新目指すさ」 と笑った。
何人かは帰ったが、大半残っていた。
理由はみんな同じで、最後の数時間を、何をしたらいいのか分からないと言った。
チーム分けは適当で、時間制限無し、審判も無し。
とにかくボールを追いかけて、とにかくゴールに入れるだけ。
始めてしまえばある種の恐怖も落ち着いたのが分かった。運動得意組が全力でボールを追い、運動苦手組がのんびりと走りながら愚痴とか暴露大会とかしてて、面白かった。
俺たちは力尽き果てるまで、全力でサッカーをした。世界が終わるその瞬間まで、世界で1番楽しく過ごした集団だと思う。
突然。
なにかに殴られた様に身体が宙投げ出された。
本当に世界終わるだなと、意識を失う前にそう思った。