いま、幸せだったら、
過去に後悔することはない
いまが不幸だとしたら、
過去を後悔するかもしれない
いま私は幸せだと思う
何も後悔していないから
【⠀風に身をまかせ⠀】
「怖いの? あんた、楽しそうにしてたくせに」
「うるさい」
サークルでスカイダイビングに来た。
楽しそうにしていたのは事実だし、楽しく思っていたのも事実。
でも、実際に空へ飛んでしまえば、忘れてた恐怖がやってきたのだ。怖くて何が悪い。
テレビ番組なんかで、よく芸人とかが飛んでいるし、恐がっているのは演技だろうと思っていた。
恐怖を表に出せる芸人さんが凄い。本当に、怖いのに怖いと言えない。
「大丈夫ですよ。滞空時間はそんなに長くないですから、あっという間に着きますよ」
後ろから声が掛かる。
そんなことが分かっていても、簡単に消える恐怖じゃないんだってば。
言いたいのに、声に出ない。
死なないと分かってるのに、命を投げ出す行為をする。スリルを味わうアクティビティだと思っていたし、納得もしていたのに、怖い。
でも時間はやってくる。
「お先〜」
さっき声をかけてきたやつが先に落ちた。
落ちたとしか言いようがない。
そして次のやつも楽しそうに空に消えた。
そして、次は俺。
怖い、怖い。でも、後ろから追い立てられるように縁に立って、気付いたら空に放り出されていた。
声なんて出なかったけど、地上の小ささに自分のいる高度の高さを感じた。
不思議だけど、飛ぶまでは怖いけど、飛び出てしまえば思ったより怖くなかった。
急にガクンとなって、パラシュートが開いた。速度が急激に遅くなった。
凄いなパラシュート。
そうして空の旅はあっという間に終わって、気付いたら地面に足が、というかおしりが着いていた。
「あっという間だっなー 」
「ほんとになぁ。記念にカメラ入れればよかったかなぁ?」
少しの恐怖と楽しかった空の短い旅。
自分の感想はもう二度とやりたくない。
ただ風に身をかせるのもいいなと、それだけ思った。
二度とスカイダイビングはやらない!
そう熱弁したら、「じゃあ次は海の中だな。普通のダイビング行こうぜ」と誰かが言った。
……サークル、辞めようかな。身が持たないもん。誰かが言ったその言葉に、俺はものすごく同意した。
サークルってこんなんだったっけ?
【⠀失われた時間 】
寒い、お腹空いた、まだ来ないの?
ママ、早く来て。
雪の降る夜、5歳くらいの子供が木の根元にひとり蹲っていた。
子供はわたしを見て、てんしさま?と首を傾げた。
「助けて。寒くて、お腹がすいて、ママが居なくなっちゃったんだ。僕、このまま居たら死んじゃいそう」
「あなたは随分と口達者ね。おいで。暖かいところに移動しましょう」
わたしはその子供にセツと名付けた。
セツはすくすくと育ち、気づけば拾ってから5年。
いつだって手放せるように人間の学校に通わせている。だからか、以前よりも質問が増えた。
「リリって魔法使わないよね? なんで?」
「生活に魔法は必要ないもの」
「じゃあさ、魔法使わないのに、どうして、街に住まないの? リリが、悪い魔女だから?」
「良い魔女、なんてものは居ないと思うわ」
「ねぇ、リリはいつか僕を食べちゃうの?」
「食べないわ、セツ。わたしは、というか魔女は化け物じゃないのよ」
人肉なんて食べるものじゃないし。そうつけ加えたらセツが泣き出しそうになった。ごめんごめん、と頭をポンポンと撫でる。
耐えきれなくなったのか、学校に対する不満と愚痴とわたしに向けられる悪意 についてを混ぜ合わせながら泣き喚いた。
泣いている癖に聞き取れるように文句とわたしの賞賛を交互に口にするので、器用に育ったものだと感心した。
それから8年。
18歳になった少年は、青年と言っていいくらいに大きくなっていた。
わたしの家は私の大きさで作ってあるから、もうセツには狭い。
「そういえば、セツはわたしの魔法が見たいって言ってたわね。せっかくだし、見せましょうか」
「今更見せなくていいよ。というか、何か企んでそうで嫌だ」
「あら、鋭くなったわね。でも残念。セツには拒否権ないもの」
途端にセツの体が硬直した。まだ何もしてないのに。
「セツは、わたしが魔女としてなんと呼ばれているか知ってる?」
「記憶の魔女」
「そうも呼ばれてる。魔女って嫌になるわ。別名が沢山あるの。どれも本当で、どれも嘘。なのに本質は合ってる。わたしの得意魔法は記憶に関するもの」
「……つまり?」
「記憶を食べちゃう魔女なの。忘却の魔女って言われることもあるし、そっちの方が的を得ているけど、どうにも好きじゃないのよね」
「記憶を食べられたら、俺はどうなる?」
「さて、どうなるかしら?」
わたしは呆然としているセツの前に立ち手をかざした。魔法陣がセツの頭上に浮ぶ。
「まって、最後に話を……」
「ごめんね、セツ。さようなら」
魔法陣が光を放って、セツに降りかかり、小さな光の塊になる。
その光は集約して、私の手元にやってきた。
魔法陣があった下には、大きくなったセツはいない。
そして繰り返す。
「てんしさま、助けてください」
そこには5歳くらいの子供がいて、わたしはその子供をまた拾った。
【⠀子供のままで⠀】
いつか放り出されてしまうのかと思うと、怖くてたまらない気持ちになる。
今年で私は18歳になる。
成人の年齢が早まったから、今年で成人になる。つまりは、保護者が要らなくなる。
だから、今年の誕生日はものすごく来て欲しくない。
数年前ならまだ子供でいられた年齢なのに、と思ってしまう。
両親が家に帰ってこなくなったのは小学5年生くらいの頃。何故帰ってこないのか、私は未だに知らないけど。
幸運だったのは家の前で泣いていた私のことを、隣の拓也さんが見つけてくれたことだった。
寂しくなったら家に来ていい。その言葉が心の拠り所だった。
一軒家の中、一人でいると寂しくて、怖くて。
夜中に耐えきれなくて拓也さんの家に突撃したのが初めてだったと思う。それでも得体の知れない女児を受け入れてくれた拓也さんは凄い。
それから何がどうなったのか私は知らないけど、拓也さんは私の仮の保護者になった。学校の同意書はもっぱら拓也さんが書いてくれている。もう両親よりも親らしい。
自宅に帰るよりも拓也さんの家に入り込むことの方が多くなって。いつでも受け入れてくれたし、一人で寝るよりも誰かと一緒に寝た方が怖くないから。
でも、もう甘えられない。
……合鍵、返したら泣いちゃうかもな。
「美緒、なんかあったか?」
いつもの煙草の匂いのする、勝手知ったる拓也さんの家
。私は勝手にキッチンに入り込んで料理を作っていて、背後に拓也さんが現れた。
「なにもないよ」
「……何かあったら言えよ」
今更遠慮すんな、と頭をぐりぐり撫で回された。
ずうっとこの関係が続けばいいと思う。
子供のままでいたいなぁと、本気で思った。
end
※昨日の愛を叫ぶ。のお話。
【⠀愛を叫ぶ。 】
煙草を肺の奥まで吸い込んで、深い溜息のように吐き出す。
疲れた、と全身で表すように、深く、長く。
そうすれば小動物のような、制服姿の小娘がピクリと身体を揺らした。
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら、元ある場所に戻してこい」
「……だって、」
「だっても、クソもあるか。俺はそんな毛玉を自宅に置くつもりは無い」
酷く暴力的な気分になったので、乱暴に言った。
小娘の気分に合わせてやるつもりもない。気にしていたら話が進まないのは目に見えてる。
「……、拓也さんの意地悪」
「意地悪で結構」
「こんなに可愛いのに」
「……可愛い? それが?」
「可愛いでしょ。この子、トイプードルだもん」
「俺には毛玉にしか見えない。さっさと戻してこい」
「けち。もういいいよ」
美緒は毛玉を抱きしめて、睨み付けてくるが全く怖くない。無言で立ち上がって、部屋を出てった。
あいつ、戻してくる気ねぇな。
煙草を加えてさらに深く吸い込む。
どこで拾ったのか。俺の目には犬には見えなかったし、多分犬じゃなかった。美緒の目には犬に見えていたナニかは、得体の知れないものだ。
先程までの暴力的な気分は一瞬で霧散した。
迎えに行かないと。どこかに追いやっていた優しい気持ちが広がる。
短くなった煙草は灰皿に。
近所の学校から子供の帰宅時間を告げるチャイムが鳴った。
つまり、自分が保護してる小娘を迎えに行かなければならない。
行先はどうせ小公園だ。
小さい、滑り台くらいしかない公園。
美緒はそこに捨てられていたから、他に行くあてなんてあいつには無い。
毛玉を抱えた美緒は小公園の隅っこに蹲ってた。
無表情で俺の顔を見た美緒は、また「ごめんなさい」と言った。
「なにが?」
「ごめんなさい」
「理由もなく謝んな」
「……」
「お前が謝る理由はなんだ」
美緒は泣きそうな顔で言う。
「捨てないで」
闇の深い子供だと思う。
親に捨てられて、俺に拾われた。
ずっと愛に飢えている。だから定期的に俺を試す。
「おまえを捨てた記憶はない」
「この子も、」
「それはダメ」
「ケチ」
「分かってて言ってんだろ? それは犬じゃない。なんで拾った?」
得体の知れない生物を撫でる小娘を見下ろす。
「叫んでたから。置いていかないでって」
深いため息が出た。美緒の身体がビクッ と反応したから反射的に「お前のせいじゃねぇよ」と口から出た。
美緒の前に膝まづいて、頭を掴んで無理やり自分の胸に押し付け、頼りない背中をぽんぽんと軽く叩く。
「お前が持ってるのは毛玉だ。生き物じゃない。そんな大事に抱えなくていい」
「……うん」
「その手は俺の背中に回せ。出来るな?」
無言で美緒の手が背中に回る。
毛玉をようやく手放したから、毛玉が黒いモヤになり空気に混じって消えた。寂しいとか悲しいとか、そういう人の負の感情の集合体が形になっていたのだと思う。
消えたのなら、それでいい。
「帰るぞ」
「……はぁい」
少し気の抜けた返事が腕の中からした。