「さよなら」なんて寂しいこと
どうして平気で口にするの?
これまで一緒にいたじゃない
色んな場所へ出かけた時も
家でくつろぐ時だって
一度は私のものになったんだから
これで縁が切れたら悲しくてたまらない
「縁切ったほうがいいよ。
つま先に穴が開いた靴下くらい」
「なんでそんなこと言うの、リリア!」
向かいに座るシオンがムスッとした。口を固く結び頬を膨らます姿は普段のお淑やかな雰囲気からはかけ離れていた。
たまの休日に私たちはよく会う。ランチの時間が過ぎたころに集合しては近くのカフェへ寄って駄弁る。そして日がかげる頃には解散して帰路に立つ。そのまま飲みに行くこともなければどこかへ出かけることもない。休みが合えば会って話す、話し友達という関係が何年も続いている。
元々シオンと出会ったのもSNSで繋がったことがキッカケだった。興味のあるイベントへ各々参加すると知った時に、「時間が合えば会いましょう」なんて軽率に約束してしまったのだ。シオンの性別も、年齢も何も知らないまま、危ない人だなんて微塵も疑わずに。
果たして、実際に会った第一印象は「なぜこの界隈にいるかわからないお嬢様」だった。エレガントなコーディネートは上質な洋服であることが一目で分かったし、手に持った鞄は大変貴重な代物で一点云千万円で取引されている。
そんなものを、たかだか趣味のイベントへ気軽に持って来られるなんて、絶対お嬢様に違いない。
きっと二度と相容れない、別世界の人間と対面した気分だった。
ただ話し出したシオンは、確かにお淑やかな雰囲気に似合った口調ではあるものの、話自体はSNSと変わらず面白かった。彼女の口から出てくる豊富な語彙と言い回しがいちいち面白く、気づけば何度も会うくらいには仲良くなっていた。
「リリアは冷たすぎる。まだ縫えば履けるじゃない」
「まぁ、そうだけど」
シオンはぶすくれたままコーヒーのカップを優雅に取り、口へ運ぶ。
綺麗なピンクのネイルが施された指が揃っているところ。音を立てずにソーサーから持ち上げたところ。言い出したらキリがない。そのくらいシオンという女性はこちらが息を呑むほどの美しい所作をする。
「ちなみにその靴下、何年履いたの?」
「二……いや三年だったかしら」
「もう寿命だよ。衣類の限界を超えてる。ゴムだってビロビロでしょ?」
「ねぇ、知ってる? この間薬局へ行ったらソックタッチなるものを手に入れたの!」
「知ってるし使ってたよ、高校時代に」
シオンは目を丸くしてこちらを見た。ぱっちりとした目がさらに見開かれて、目ん玉が落ちちゃいそうだ。
私は意味もなく、グラスにささったストローをクルクル回した。
「ソックタッチってやり過ぎるとマジで洗剤じゃ落ちなくなってくるよ。靴下の内側は固くなるしゴワゴワになるし、もっとビロビロになる」
「あらやだ、本当に?」
「うん、本当本当」
「そう……。世紀の大発見だと思ったのに」
落ち込むシオンに、それ発明されたの二十世紀だよとは言えなかった。
「まあ、仕方ないわね。この後買い物行きましょう」
シオンはそう言って、スマホを取り出し何かを操作し始めた。
私はアイスティーを飲みながら、ふと思いついたことを口にした。
ただの興味本位だった。
「シオン、私も着いて行っていい?」
シオンは、私の声にスマホを操作する手を止めた。私は何か気に障ることをしてしまったか不安になり、誤魔化すように強めにアイスティーを吸った。
ズズッと私が音を立てると、シオンは満面の笑みでこちらを見た。
「ほ、ほ、ほほ本当に、き、来て下さるんです!?」
「え、うん。シオンの買い物、気になるじゃん」
シオンは興奮気味に頬を赤く染めていた。こちらを見る目が心なしかキラキラ輝いても見える。
「じ、実は、その、お友達と、お、お買い物に行くの、憧れてたんです!」
「あ、そうなの」
「いつもお喋りばかりで、いえ、楽しいんです。楽しいんですよ!? でもやはり、他のところへも一緒に行きたくて」
「うん」
「ほ、本当に付き合ってくれます?」
両手で口を覆いこちらを覗き込むシオンに、私は頷いた。するとシオンはきゃあ、と小さく声を上げて普段とはかけ離れた素早い動きでスマホをいじった。
「では行きましょう」
「え、でもコーヒー残って」
「こんなチャンス、滅多にありません! さあ、さあ! リリア、早く立って!」
居ても立っても居られないシオンに腕を引っ張られて、私も立ち上がった。こんなにテンションが高いシオンは初めてで、これからどうなるのか少しだけ楽しみになってきた。
まだ日が暮れてない時間にカフェを出た。伸びた影も気にせず、私はシオンに引っ張られるまま歩き出した。
まさか三足千円の靴下にブラックカードを出すとは思わなくて、今度は私の目ん玉が落ちるところだった。
『さよならは言わないで』
月が分厚い雲に覆われた。今宵がチャンスだと悟った。私はベッドから降りて部屋を出た。
屋敷じゅうが煌びやかな装飾が施されているが、それらを一つ一つ楽しむ暇はない。私は忍び足で長い廊下を歩いた。途中の警備員は物陰に隠れてやり過ごし、ひたすら息を止めて歩いた。まるでスパイ映画の主人公になった気分だったが、すぐに気を引き締めた。
ようやく辿り着いた屋敷の奥の部屋。ここには私をこの屋敷に招き入れた人間が眠っている。
ドアノブをゆっくり動かすと、僅かながらに小さな音を立てた。そのまま手を引けば、あっけなく開いてしまった。もしや何か勘づかれただろうか、と疑うも、部屋に一歩踏み出せば見当違いだったことが分かる。
私をここに招いた人間--王子はベッドで眠っていた。
慎重にドアを閉め鍵をかける。静かに息を吐いてから、ベッドへとまた忍び足で近づいた。
ベッドを覗き込むと、王子は太陽の光のようなアンバーの瞳を隠していた。フルフルと震える長いまつ毛に薄い唇。呼吸に合わせて規則正しく上下する彼の体が、生きている証だ。
今だ。今しかない。
私は就寝用ワンピースのポケットからナイフを取り出した。折りたたみ式のそれは、ワンタッチで刃が出てきた。
恐る恐るナイフを王子の首に近づけた。途中でナイフを持つ手が震え始めたから、両手で支えた。
あとほんの数センチだった。
「君はそれで良いの?」
王子がナイフを持つ私の手首を掴んだ。私はビックリしてナイフを手から離した。床にカシャンと音が跳ねる。
王子は目を開いて、目が眩むアンバーの瞳で私を真っ直ぐ見てきた。
「黙ってても無駄だよ。証拠は監視カメラにある。君の知らないところにね」
私は口をはくはくと動かすばかりで何も声に出せなかった。
やはりいつからか気づかれていた。部屋に忍び込んだ時か、はたまた廊下にいるときか。もしかして、最初から。
「まだ引き返せる。今夜のことはお互いに忘れよう」
王子はそう言って微笑んだ。
私は大粒の涙を流して、王子の枕元に突っ伏すしかなかった。
与えられた使命と、貴方への愛の狭間で私は身動きが取れない。
誰か助けて。
『光と闇の狭間で』
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人魚姫パロのはずがなんか物騒な話になってしまった
夏はひと一人分は離れて歩いていたのに
冷え込みが日ごとに厳しい今は
手を繋いで肩を寄せ合えるようになれた
貴方をもっと奥深く知ることを許されたら
この距離もゼロになるのだろうか
『距離』
歯を食いしばって
拳を握りしめて
血を滲ませながら
上を向いて
無理矢理口角を上げて
声を震わせながら
泣き出さずに
その場を耐えたあなたが
どうか報われる世の中に
『泣かないで』
空気が締まって体の芯に冷えが届く。
吐く息は白い蒸気になって視界を曇らせる。
衣服の隙間から入り込む冷たい風に身震いしつつ、黄緑色に光る地平線を眺めながら暗がりの街を歩いた。
「なぁ、肉まん食わねえ?」
「俺おでん」
「やべえ、金あっかな」
「お前チャージしてねえの?」
夏はスナックのチキン一択だったのに、湯気立つものばかり選ばれるようになると、ああ、冬が始まったなって思う。
「矢野、お前何する?」
「あんまん」
「お前ほんっと甘いの好きだな」
あたたかい光、美味しそうな出汁の香り。
そんな誘惑に負けて、俺たちはまんまとコンビニへ吸い込まれていくのだ。
『冬のはじまり』