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9/15/2024, 5:21:27 AM

 天罰が下ったのだと思った。
 今までの人生、私は世界の誰よりも自由奔放に暮らしていた。特別働きに出る必要のないほどの先祖の莫大な遺産の元、好きに寝起きし、自由に出かけ、行く先々で豪遊し、恋愛を楽しんでいた。たとえ相手が既婚者だろうと、一夜の情熱的な恋は私の心を満たしていた。

 だから天罰が下った。
 労働に勤しむ人々を嘲笑い、他人のモノを奪ってまで心を満たしていたから。私以外の人間をぞんざいに扱っていたから。他人の幸せを邪魔していたから。

 莫大な遺産といえど、大金を所持しているなら徴収がある。細々した金額だから気にしていなかったが、何年も何十年もかけて取られた合計額に白目を剥いた。一生遊んで暮らせると思っていた莫大な遺産は、徴収と散財でほとんど残ってなく、借金だけが嵩んでいく。
 返済が思うようにいかなくなると、モノや土地が差し押さえられていった。煌びやかな住宅に隅々まで行き届いた庭園、老舗の高級メーカーで揃えた家具、高級ブランドの衣服に装飾品。頂き物である骨董品も片っ端から奪われていく。私の手元には、膨れ上がった借金しか残らなかった。
 働きに出ようにも学歴や職歴がない。雇ってもらえる職場は日雇いの仕事で肉体労働を強いられる日々。心身共に疲労の塊だった私は、思い切って住み込みで働ける召使いの仕事へ就いた。
 私がかつて嘲笑っていた仕事に、自ら身を置くしかない状況。因果応報という言葉が頭をよぎった。

 この豪邸とも呼べる屋敷には女主人が一人で暮らしている。執事や召使い、他の手伝い人が住み込みで雇われているが、実際暮らす場所は屋敷からずいぶん離れた場所にある別邸だ。仕事以外で屋敷を訪れることはまずない。
 私は休みなくひたすら働いた。働いて、働いて。
 自慢の髪は早々に短く切った。掃除の時に邪魔だから。
 皆に褒められた白い肌はニキビやシミだらけになった。朝早く夜遅い生活がなかなか慣れないから。
 どんな服を着ても似合ったスタイルは、骨が浮き出るほど痩せこけた。食事が喉を通らないから。
 それでもただ目の前の仕事に勤しんだ。私は今心から反省して、この罰を、罪を償おうとしていると神様に認めてもらえるように。

 ひたすら働いて三ヶ月が経った頃に、初めて雇い主の女主人に会うことができた。階段の手すりを雑巾で磨き上げている最中のことだった。目の前に煌びやかなドレスを見に纏った、明らかに位の高い女性が立っていたからだ。
 私は咄嗟に他の召使いから聞いたように蹲り、床に額をつけた。その後のことは何も聞いてないからどう対応すれば良いのか分からない。とにかく、この時間が一刻でも過ぎれば良いと思っていた。

「新しい方かしら。御顔を見せて頂戴」

 私はその声に聞き覚えがあった。恐る恐る顔を上げると、目の前にいた女主人の眉毛が上下した。釣り上がったヘーゼルの目、ツンと尖った鼻と顎、イタリアンレッドの鮮やかなリップが口元を主張していた。
 見覚えのある顔だった。でもどこで見たかは思い出せない。何かのパーティーだっただろうか、それとも。

「あら、あなただったのね」

 女主人も私の顔に見覚えがあったらしく、口角を釣り上げた。迫力のあるその微笑み方で、私の頭の中ではある一人の女性が思い浮かんだ。

「風の噂で色々と伺っておりましたが、実際に見るとまあなんて無様な姿なこと。いい気味ねえ」

 私は何か言おうとしたのに、声が出なかった。口をパクパクと動かす姿は、女主人にどんな滑稽な姿で目に映っただろう。
 女主人は声を上げてひとしきり笑った後、大きな扇子を取り出して口元を隠した。隠していてもわかるほど、目は三日月を描いている。

「前科者でも雇って、更に寝所もくれてやったのです。拾ってやったその命が燃え尽きる時まで、精々わたくしの役に立ちなさい。……泥棒猫が」

 女主人はそう言うと、ドレスの裾を翻して去っていった。私は力なく床に突っ伏し、しばらくの間身動きが取れなかった。






 私を雇う女主人が豪遊していた頃に出会った知的な男性の元奥様だった件


『命が燃え尽きるまで』
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(続かない)

9/14/2024, 7:31:10 AM

 長い長い夜だった。
 暗くて冷たくて寒気がして、息を潜めて生きてきた。震える肩を自分で抱いて、手で擦り束の間の温もりで暖をとった。吐く息はいつも白く浮かび上がり、他人に見つかってしまう恐怖に怯えていた。
 なぜ自分はこんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。
 考えるたびに大人たちが自分に向けた顔を思い出す。肌が真っ赤に染まり、目がつり上がっていて、大きく口を開いて怒鳴り散らす顔。振り上げられた拳は、真っ直ぐに自分の頬へ当たった。骨に響き、脳が揺さぶられ、あまりの痛みと気持ち悪さでその場で吐いていた。そんな自分を、大人たちはまた怒って。
 自分が大人たちに一体何をしたというのか。
 何度問いただしても誰も答えてくれない。他人の子どもと同じく、普通に生まれて、普通に育ったはず。少なくとも、父様と母様がいなくなるまでは。
 大人たち曰く、父様と母様はお星様になったらしい。全くもって信じられない話だけど、こうして大人たちの家から追い出されても尚、父様も母様も自分を迎えにこないから、最近はもしかしてと疑ってはいる。まだ完全に信じてないけど。

 コツン

 暗闇で体を縮こませている自分の耳に物音が届いた。自分が座り込んでいる背後からだ。

 コツン コツン

 一定のリズムで鳴り続ける音は、靴底と地面のタイルが当たる音に似ている。誰かが何かを尋ねにきたのかもしれない。
 暗闇の中は、自分と似たような境遇の子どもやお年寄りが各々生活している。孤独を埋め合うように交流して仲を深める子もいれば、自分のように馴染めずにいる子もいる。子どもは自分よりうんと年下の子もいて、年上の子が生活の手伝いをするのが暗黙の了解だ。
 お年寄りの方はわからない。子どもと積極的に交流したがっているようだけど、自分を含めて大人に良い印象がないのだ。だから子どもだけで生活するようにしている。

 コツ コツ コツ コツ

 刻一刻と、足音が大きくなってきた。どうやら自分のいる方向に向かっているらしい。どんどん音が近づいてくる。
 自分は摩っていた両肩を掴んだ。体の震えがなかなか治らない。より一層身を寄せて、体を縮こませる。気づかれないように、息を細くして白い息が目立たないように俯いた。

 コツ コツ コツン

「君だね。ペイトン・セシルとは」

 背後で足音が止まり、男の声がした。自分は思わず振り返った。そこには大きな男が立っていた。逆光で顔は見えない。怒っているのか、憐んでいるのか。声は男の割に優しくてなよっちそうだ。

「知らない、そんなやつ」

 自分はまた前を向いて、膝を抱えた。平然を装って悪態をついてみたけど、内心は焦っていた。
 なんであの男は自分の名前を知っていたんだろう。
 心臓の動きが激しい。自分の胸に手を当てると、ドクドクと大きく脈打っていることがわかった。落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
 後ろから男の笑い声が聞こえた。

「ハハハッ、なるほどね。これはこれは」

 暗闇の中は特に静かだ。男が小声で呟いた言葉もはっきりと聞こえた。
 自分が何も反応を示さないとわかると、男は咳払いをした。

「私はオリヴァー・スミス。有名人と同じ名前だから覚えやすいだろう? 私は君のような子を探していたのさ」

 君、と自分を指された気がして、恐る恐る振り返った。男はさっきよりも更に近くにいて、しゃがんでこちらを見ていた。自分はびっくりして態勢を崩し、男と向き合うようにして尻餅をついた。

「おっと危ない。大丈夫か?」

 頷く自分に、男はニッコリと笑った。さっきよりも顔がはっきり見えるようになったから、急に気恥ずかしくなった。自分は手首を顔の前でクロスさせて、見られないようにガードした。

「今更? まあいい。話は簡単なんだ。君に着いてきてほしい、ただそれだけさ」
「ど、ど、どどどこにですか……」
「君のパパ、ママを殺した犯人を知っている」

 一瞬耳を疑った。自分は手を下ろして、男を真っ直ぐにみた。男は真剣な顔つきでこちらを見つめている。

「私も君のパパ、ママにはたくさん世話になってね。訃報を聞いたその日から探したんだよ。そしたら見つかったのさ、その犯人が」
「だ、れで、すか?」

 驚きすぎて上手く言葉が出てこない。父様と母様の知り合いの人というだけでも驚いていたのに、父様と母様が殺されて、その犯人を知っているだなんて。
 男はニッコリと笑った。

「一緒に復讐してくれるなら、話すよ」
「復讐……」
「そう。一緒においで」

 男は笑顔のまま、自分に手を差し出した。差し出された手と男の顔を交互に見て、本気であることを悟った。

 知りたい。あんなに優しかった父様と母様を殺した犯人を。

 男の手に自分の手を重ねた。男は立ち上がると同時に、自分を抱き上げた。足に力が入らないから、流されるがままに、男の腕に座って全身を預けた。
 男の肩越しに見た空と地上の境界線は、薄らと光が漏れていた。




 これが私の夜明け前の話である。

『夜明け前』

9/13/2024, 1:25:42 AM

 貴方へ近づくために自分を変えていく恋も
 貴方にならありのままの姿を曝け出せる恋も
 人生の大きな転機に違いない


『本気の恋』

9/12/2024, 4:32:36 AM

 最近集め出したシールにマスキングテープ。
 文具売り場で見かけるとついつい選んで買ってしまう。
 小学生の頃と違ってキャラクターシールにはあまり興味がわかなくて、季節に合わせたカラーやイラストに惹かれる。
 春は桜、瑞々しい緑に色とりどりの花々。色鮮やかで可愛らしい。夏は海、花火。うちわやかき氷などの小物がアクセントになる。和風の柄のマスキングテープは浴衣を連想してとても良い。秋は紅葉。全体的にノスタルジックな雰囲気を漂わせるニュアンスカラーを選びがち。冬は雪、結晶の模様。静寂な青白いカラーに、駆け回る猫や、溶けて消えてしまいそうなシマエナガを合わせると寂しくなくて良い。

 あいにく手帳は持ち合わせてないから、無地のカレンダーを買って月毎にデコレーションしている。
 可愛いシール、アクセントになるマスキングテープ。休みの日はカレンダー通りではないからカラーペンで塗る。カラーリングに統一感を持たせると、不思議と元からこの絵柄で販売されていたのでは、と錯覚してしまう。私史上最高の可愛いカレンダーの完成だ。

 つい先ほど、その可愛いカレンダーに予定を書き込もうとした。ボールペンを握ってカレンダーと向かい合い、ふと手が止まる。

 可愛すぎて、予定を書き込みたくない。

 結局予定は書けずじまいでペンを置いた。
 果たして、本来のカレンダーとして使用される日は来るのだろうか。



『カレンダー』

9/10/2024, 3:41:08 PM




 縋りついて咽び泣きたい衝動があったはずだった。
 自分の真ん中を通る芯に穴が空いている感覚。地に足をつけて生きているはずなのに、今にも膝から崩れ落ちそうな瞬間が絶え間なく繰り返される。
 前へ進むことも、立ち止まることも、振り返ることも怖かった。立つことも、座ることも、横たわることも。目を開いて、耳を澄ませて、息を吸って吐いているこの状況が許せなかった。
 大きな悲しみに明け暮れていたはずだった。

 何もかもがどうでもよくなった。
 聞こえてくるニュースも、SNSの文字の羅列も何の情報も頭に入ってこなくなった。
 自分が失ったのは、かけがえのない大切なものだけだった。
 それなのに、今の自分には何もなかった。感情も感覚も感性も。何もかも抜け落ちて、中身空っぽの人を模った物体だった。ふとした瞬間、君の影を追っては無意味だと後から気づいて、涙が頬を伝うだけの怪しい物体でしかなかった。

 もう人間に戻れる気がしなかった。



『喪失感』

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