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 長い長い夜だった。
 暗くて冷たくて寒気がして、息を潜めて生きてきた。震える肩を自分で抱いて、手で擦り束の間の温もりで暖をとった。吐く息はいつも白く浮かび上がり、他人に見つかってしまう恐怖に怯えていた。
 なぜ自分はこんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。
 考えるたびに大人たちが自分に向けた顔を思い出す。肌が真っ赤に染まり、目がつり上がっていて、大きく口を開いて怒鳴り散らす顔。振り上げられた拳は、真っ直ぐに自分の頬へ当たった。骨に響き、脳が揺さぶられ、あまりの痛みと気持ち悪さでその場で吐いていた。そんな自分を、大人たちはまた怒って。
 自分が大人たちに一体何をしたというのか。
 何度問いただしても誰も答えてくれない。他人の子どもと同じく、普通に生まれて、普通に育ったはず。少なくとも、父様と母様がいなくなるまでは。
 大人たち曰く、父様と母様はお星様になったらしい。全くもって信じられない話だけど、こうして大人たちの家から追い出されても尚、父様も母様も自分を迎えにこないから、最近はもしかしてと疑ってはいる。まだ完全に信じてないけど。

 コツン

 暗闇で体を縮こませている自分の耳に物音が届いた。自分が座り込んでいる背後からだ。

 コツン コツン

 一定のリズムで鳴り続ける音は、靴底と地面のタイルが当たる音に似ている。誰かが何かを尋ねにきたのかもしれない。
 暗闇の中は、自分と似たような境遇の子どもやお年寄りが各々生活している。孤独を埋め合うように交流して仲を深める子もいれば、自分のように馴染めずにいる子もいる。子どもは自分よりうんと年下の子もいて、年上の子が生活の手伝いをするのが暗黙の了解だ。
 お年寄りの方はわからない。子どもと積極的に交流したがっているようだけど、自分を含めて大人に良い印象がないのだ。だから子どもだけで生活するようにしている。

 コツ コツ コツ コツ

 刻一刻と、足音が大きくなってきた。どうやら自分のいる方向に向かっているらしい。どんどん音が近づいてくる。
 自分は摩っていた両肩を掴んだ。体の震えがなかなか治らない。より一層身を寄せて、体を縮こませる。気づかれないように、息を細くして白い息が目立たないように俯いた。

 コツ コツ コツン

「君だね。ペイトン・セシルとは」

 背後で足音が止まり、男の声がした。自分は思わず振り返った。そこには大きな男が立っていた。逆光で顔は見えない。怒っているのか、憐んでいるのか。声は男の割に優しくてなよっちそうだ。

「知らない、そんなやつ」

 自分はまた前を向いて、膝を抱えた。平然を装って悪態をついてみたけど、内心は焦っていた。
 なんであの男は自分の名前を知っていたんだろう。
 心臓の動きが激しい。自分の胸に手を当てると、ドクドクと大きく脈打っていることがわかった。落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
 後ろから男の笑い声が聞こえた。

「ハハハッ、なるほどね。これはこれは」

 暗闇の中は特に静かだ。男が小声で呟いた言葉もはっきりと聞こえた。
 自分が何も反応を示さないとわかると、男は咳払いをした。

「私はオリヴァー・スミス。有名人と同じ名前だから覚えやすいだろう? 私は君のような子を探していたのさ」

 君、と自分を指された気がして、恐る恐る振り返った。男はさっきよりも更に近くにいて、しゃがんでこちらを見ていた。自分はびっくりして態勢を崩し、男と向き合うようにして尻餅をついた。

「おっと危ない。大丈夫か?」

 頷く自分に、男はニッコリと笑った。さっきよりも顔がはっきり見えるようになったから、急に気恥ずかしくなった。自分は手首を顔の前でクロスさせて、見られないようにガードした。

「今更? まあいい。話は簡単なんだ。君に着いてきてほしい、ただそれだけさ」
「ど、ど、どどどこにですか……」
「君のパパ、ママを殺した犯人を知っている」

 一瞬耳を疑った。自分は手を下ろして、男を真っ直ぐにみた。男は真剣な顔つきでこちらを見つめている。

「私も君のパパ、ママにはたくさん世話になってね。訃報を聞いたその日から探したんだよ。そしたら見つかったのさ、その犯人が」
「だ、れで、すか?」

 驚きすぎて上手く言葉が出てこない。父様と母様の知り合いの人というだけでも驚いていたのに、父様と母様が殺されて、その犯人を知っているだなんて。
 男はニッコリと笑った。

「一緒に復讐してくれるなら、話すよ」
「復讐……」
「そう。一緒においで」

 男は笑顔のまま、自分に手を差し出した。差し出された手と男の顔を交互に見て、本気であることを悟った。

 知りたい。あんなに優しかった父様と母様を殺した犯人を。

 男の手に自分の手を重ねた。男は立ち上がると同時に、自分を抱き上げた。足に力が入らないから、流されるがままに、男の腕に座って全身を預けた。
 男の肩越しに見た空と地上の境界線は、薄らと光が漏れていた。




 これが私の夜明け前の話である。

『夜明け前』

9/14/2024, 7:31:10 AM