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6/26/2024, 1:35:44 PM

「おはよう」
「おう、おはよう。有給ありがとな。これお土産」
「ありがとう、もらっておこう」
「おう」
「それにしても三十七時間二十七分九秒ぶりだな」
「うん。……うん?」
「三十七時間二十七分九秒ぶりだと言った」
「何ソレ?」
「君と僕が最後に会ってから三十七時間二十七分九秒の時間が経過したということだ」
「えっ、へぇー! そうなんだ。よく噛まずに言えるな」
「昔『外郎売』で鍛えた」
「それ新卒の内定者研修で配られたプリントじゃねえか」
「さて、三十七時間二十七分九秒ぶりの君に伝えなきゃいけないことがある」
「え、そんな一日出勤しなかっただけで何かあるのか?」
「席替えがあってね、君が今座っている席は僕の席になった」
「えっごめん! 勝手に座ってた」
「君の席はあっち」
「あっちって」
「部長の目の前だ」
「最悪だ」
「課長も近いぞ」
「嬉しくねえよ」
「印鑑もらいやすい」
「責任者を印鑑係にするな、罰当たりが」
「お菓子もらえる」
「それはお前以外はできない芸当だ」
「ほら、就業時間だ。さっさと移動しろ」
「はーーーい」


『君と最後に会った日』

6/25/2024, 4:54:04 PM



「案外、大丈夫なものですよ」

 彼女はそう言うと僕に向かって微笑んだ。


 都内の高級ホテルの豪華なスイートルームで、夜景をバックにベッドの上で寛いでいた。先程まで最上階のバーカウンターで飲んでいたところを、彼女に声を掛けられたのだ。六本木のバーや麻布のクラブで数回一緒に飲んだことがある子だ。
 まさかここでも会うなんて、と隣に座った彼女と盛り上がり、スイートルームに興味があると言われたので宿泊予定の部屋まで連れてきたのだ。

 いい歳の男女がホテルの一室でやることなんて決まっている。

 シャワーを浴び終えて部屋に戻れば、彼女はキングサイズのベッドの上に寝転んで夜景を眺めていた。僕がすぐそばでベッドに腰を下ろすと、彼女はようやく僕の存在に気がついて隣に座った。彼女もきっとこれからやることに覚悟を決めているのだ。
 やることは決まっている。彼女も腹を括った。それでも僕は内心かなり動揺していた。
 僕は女性経験がほとんどない。
 本来なら彼女をリードしなきゃいけないんだろうけど、正直どうしていいかわからないのだ。男は力が強いから、万が一にも力加減を間違えて怪我でもさせてしまったら。そんなことが頭をよぎっては消える。臆病な自分に嫌気がさす。
 いつまで経っても手を出してこない僕の様子が変だと思ったのだろう。彼女が「もしかして」と発した。たったそれだけでも、何を指しているか察せてしまった。だから頷いて、今考えていることを馬鹿正直に伝えたのだ。
 そしたら冒頭のように、彼女は笑ったのだ。


 宙に浮いたまま行方を探っていた僕の手が、彼女の手に捕まった。手を繋がれたまま、彼女の頬へ誘導された。
 僕の手のひらが彼女の頬に触れた。

「そうっと、優しく。それさえ気をつけてくだされば、簡単に折れやしません」
「そうっと、優しく」

 彼女の言葉を繰り返しながら、彼女の頬を撫でてみた。彼女の白くてきめ細やかな肌が、僕の手のひらに吸いついてくる。クセになる肌触りだ。ずっと触っていたい。
 彼女は夢中になって頬を撫でる僕をクスッと笑った。

「気に入っていただけましたか?」
「あっ、いや、あの……はい」
「では次ですね」

 今度は彼女の腕がこちらに伸びてきた。僕は咄嗟に身構えて硬直してしまった。両手は膝の上で強く握り、眉間に皺を寄せて、目を固く閉じた。
 次の瞬間、ベッドの軋む音と共に甘くて芳しい匂いに包まれたのだ。

「そう硬くなさらないで」

 彼女の声が、耳のすぐそばで聞こえた。彼女の艶やかな声が、色っぽい息遣いが、耳から伝わってくる。
 彼女の細い腕が、どうやら僕の背中に回っているらしい。彼女なりに力を込めているようだが、締め付けも何も感じない。彼女に触れている部分だけが、異様に熱を帯びている。

「さぁ、私の背中に腕を回していただけませんか?」
「えっと、それは」
「先ほども言ったでしょう」

 そうっと、優しく。

 彼女の発するセリフ一つ一つが、僕の頭を溶かしていく。酒に酔った感覚に近い。頭がクラクラするのだか、不思議と気持ち悪さや不快感は一切ない。
 俺は膝の上で拳を握っていた両手を、彼女の背中に沿わせた。力を入れないように、でも彼女を自分の腕の中に閉じ込めるように、抱きしめた。抱きしめたら、より一層彼女の香りが強く感じられた。
 目をそっと開けると、彼女の頸辺りが視界の端にあった。少し汗をかいているのか、しっとりと濡れた頸が堪らなく魅力的に映った。
 俺は彼女の肩に顎を乗せて、頸に鼻を寄せた。スンと鼻がなってしまったが、より濃さの増した彼女の香りが吸えることに、興奮を覚えた。
 彼女はあぁ、と声を漏らした。僕はその声にビクッと肩を揺らす。やがて彼女の手が、僕の肩まで這い上がってきた。

「ドキドキしてしまいます」
「君が誘導したのに」
「そんな意地悪を仰らないで」

 貴方だからここまでも、これ以上も許しているのですよ。

 彼女の言葉に、思わず腕に力が入った。もっと近くで彼女を触れたいと、感じたいと思ったからだ。
 慌てて力を緩めて、彼女から少し体を離す。彼女の顔を正面から覗き込むと、目が合った。目を潤ませていながら、どうしようもない熱を帯びた瞳だった。
 その目に吸い込まれるようにして、顔を寄せる。彼女の方も顎を少し上げた。そうすると、彼女の魅惑的な唇が否が応でも視界に入った。
 美味しそうだ、と思った。
 思った時にはすでに僕の唇を彼女のソレに合わせていた。可愛らしいリップ音が鳴り、一瞬の柔らかい感触に戸惑った。もう一度味わいたくて、唇を重ねる。何度も繰り返しているうちに、深くキスを交わしていた。彼女の鼻から漏れる声に、ゾクゾクと背筋が震えた。
 唇を離すと、彼女は肩で息をしていた。そうだ、男の僕と女の彼女では体力も違う。自分勝手にキスをしたが、彼女のペースに合わせないと呼吸ができなくなってしまう。
 ごめん、と咄嗟に謝れば彼女はまた大丈夫、と言った。

「私も、気持ち良かったので」

 頬を赤く染めて恥じらう彼女が、とても愛らしかった。女は花のように繊細かと思ったが、意外とタフで大胆なようだ。
 僕はもう一度、リップ音が鳴る程度の軽いキスをした。

「もっと深く、貴方に触れたい」
「えぇ、もちろん」

 微笑んだ彼女の腕が、僕の首に回る。僕はベッドに彼女を押し倒して、覆い被さった。
 するとまもなく、首の後ろに冷たくて鋭利なものが触れた気がした。彼女の顔を覗き込むと、今まで見たことないほどの険しい表情を浮かべていた。

「触れるものならね」

 体は許しても、心は許してないから。

 次の瞬間、目の前が真っ赤になり、全身に激痛が走った。




『繊細な花』

6/25/2024, 8:26:07 AM

 子供の頃の一年は比較的ゆっくり時が進んでいた。学校行って、部活頑張って、習い事して、塾に通って、友達と遊んで、彼氏とデートして。
 楽しくて仕方なかったし、充実していたと思う。

 大人になると一年ってあっという間に過ぎるのだ。
 毎日繰り返しの作業をしていると余計に時間が経たない。なんかの拍子に「今いくつ?」なんて話題振られても「いくつ……え、私今いくつです?」と本気で思うのだ。
 入社何年目なんて、余計に数えられない。自分の年齢から二十二歳を引いて計算しても合ってるんだか合ってないんだか分からないんだもの。

 ついこの間、年明けたーと思いながらバレンタインのチョコ食べて、いつの間にか新入社員が来て仕事教えてるうちに梅雨入りして梅雨明けて
「えっゴールデンウィーク休んでたっけ?」
 と考えてるうちに盆がやってきて、ハロウィンで街が飾り付けされてると気がついて
「えっ私シルバーウィーク休んだっけ?」
 と考えてるうちにクリスマスに切り替わって、忙しさに目を回したら年明けてるのよ。

 いやこれガチだからね。
 まだ経験したことない世代の方、覚悟しといた方がいいですよ。


『1年後』

6/24/2024, 5:28:00 AM


 まだランドセルがピカピカだった頃。
 学校から汗だくになりながら帰って、ランドセルを子供部屋に放り投げてまた家を出ていた。ポケットの中に家の鍵と小銭入れ、ハンカチを無理矢理詰め込んでいたから、ズボンはパンパンに膨れていた。
 歩いて三分、走って一分未満。家を出て坂を下った先に公園があった。ブランコと滑り台、ジャングルジムにベンチが二、三個置いてあるだけの公園だった。木々に覆われていて静かなその公園はあまり人気がなかった。ボール遊びができる隣の公園の方が賑わっていた。でも俺はその公園が好きで通っていた。
 公園に着くと、いつも先に鳴海がいた。
 日焼けした小麦肌にショートカットの黒い髪、着古されたTシャツと半ズボン、色褪せたスニーカーをまとった同い年の子だった。鳴海はこの公園を通るたびに見かけていて、ずっと気になっていた。だから声を掛けて一緒に遊び始めたのだ。
 どこの学校に通っているのか聞いてない。ただ、住んでいる場所は公園の近所らしい。近所なら学区が被っているし、一緒の学校だと思ったけど、一学年二クラスしかない俺の学校で見かけたことはなかった。多分、公立じゃなくて私立の学校に通ってるんだと勝手に思っていた。
 遊びは走り回ったり、ブランコでどこまでも高く漕いだり。ベンチに座ってただ喋るだけの時もあった。案外何でも気さくに話してくれるから、着古したTシャツについて聞いたことがあった。特に気を悪くした様子もなく「お母さんが公園行くなら泥だらけになる。だから汚れても良い服で行きなさいって」と理由を話していた。俺の家は公園用とか学校用とか全然分けないから、専用の洋服を着るという発想が理知的に感じた。育ちが良いってこういうことかと思った。
 結構仲良く遊べていたと思ったけど、小学四年生を目前にした春、鳴海は引っ越してしまった。
 いつも通り遊んでいる途中で話されたから、俺はビックリして頭の中が真っ白になった。

「何で言ってくれなかったの?」
「稔くんと離れ離れになるんだと思ったら言えなかった」

 涙を堪える鳴海の手を握った。少しひんやりしていた指先を、温めるように両手で包んだ。

「また遊ぼう。いつか必ず」
「うん」

 ちゃんと守れるかわからない約束を交わして別れた。
 俺は公園へ通う理由がなくなった。

   *

 あれから高校生になった俺は、公立の学校に通い始めて驚くことがあった。
 あの、公園で一緒に遊んでいた鳴海が、この学校に通っていると気がついたからだ。
 それだけじゃない。鳴海はかなり目立つ存在で、あの時と同一人物なのか見極めるのに苦労したからだ。
 成績優秀、運動神経抜群、さらに高身長。背が高いと制服から伸びる手足もやはり長い。肌は小麦色に焼けていて、健康的な印象だ。サラサラと風に靡く黒髪はショートヘアでさっぱりとしている。
 顔立ちは淡白な方だと思う。目元は切れ長だけど、その周りを長いまつ毛が縁取っている。薄い唇の左下にはちょこんとホクロがあった。
 エキゾチックとか、ミステリアスとか。この間観た洋画に登場したアジア系の暗殺者に雰囲気が似ていた。

「鳴海さん、よかったらこのお菓子食べて」
「これ、この間ストーリーで見たところのだ。いいの? 私が食べても」
「もちろん、これ鳴海さんの分だから」
「いつもありがとう」

 切れ長の目がより細められて、薄い唇が弧を描いた。話していた女子は、鳴海の滅多にない笑顔にときめいたのか、恥ずかしそうにそそくさと去っていった。
 廊下の片隅で行われたいつものやりとりに、俺たちはたじろいでいた。

「鳴海ってすげぇよな」
「あぁ、うん」

 友達がポツリと呟いた。俺は慌てて頷いた。一人佇んでいる鳴海は、手元に残ったお菓子を眺めていた。確かに最近流行っているお菓子で、カラフルで発色の良いソレは少し毒々しくも見えた。

「休み時間のたびに菓子もらってるよな」
「確かに」
「鳴海ってそこらのモテる奴とは次元が違うよな」
「そうだな」

 何だか勝手に気まずくて照れ臭くて、適当に返事をしてしまった。俺と鳴海の関係は、誰にも話してない。学校は違ったし、ただ放課後公園で一年くらい遊んでいただけだ。遠い昔の話を、どういう関係と言うのが適切か迷ったのだ。
 どうやら鳴海はあれから私立の小学校に通っていたらしく、中学は地方の公立学校にいたらしい。親の転勤に合わせて動いていたから、学校に友達が少なかったそうだ。
 そして高校生になって戻ってきたらしい。全部クラスの女子から又聞きしたから、正しいか分からないけど。

「やべぇ、そろそろチャイム鳴るかも」
「うっわ! 走ろう!」

 俺たちは教室の時計を見て慌てて走り出した。次の授業は移動教室だ。
 本当はもっと早く行く予定だったが、教室を出たら鳴海たちに遭遇したのだ。何だか目の前を通るのが気まずくて、立ち止まって成り行きを見てしまった。
 でも一度立ち止まったことをすぐに後悔した。今度は歩き出すタイミングが掴めないからだ。目の前を通るよりも、もっと気まずい。
 急いで走り去ってしまおうと思っていると、こちらを見た鳴海と目が合った。
 あっ。
 思ったのが早いか、声に出たのが早いか。鳴海は俺だと気づくと、一瞬にして顔を綻ばせた。

「稔くん!」

 周りに花を飛ばしながら、鳴海が駆け寄ってきた。鳴海の声に反応してか、周りの注目が俺に向いた。俺は、鳴海から目が離せない。
 駆け寄ってきた鳴海は俺の目の前で立ち止まると、ニコニコ笑顔を浮かべながら話し始めた。俺はその薄い唇が動くたびに、ドキドキして顔が熱くなる。

 友達とも幼馴染とも、周りに言いたくないよ。
 俺は出会ってからずっと、この女の子の彼氏になりたいんだから。




『子供の頃は』

6/22/2024, 2:09:06 PM

 お気に入りのソファに腰を下ろして
 引き立ての美味しいホットコーヒーを飲みつつ
 いろんなジャンルの映画やドラマを観て夜を明かす

 あなたの隣に座って過ごす休日の夜が
 毎週当たり前になればいいのに


『日常』

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