隣を歩く友達も
今すれ違った知らない人も
電車の中で物静かに過ごす人も
騒がしくて態度の悪い人も
店員にいちゃもんをつけるお客さんも
平謝りで落ち込む店員も
キツい物言いしかできない上司も
器用にサボって知らんぷりする部下も
他人に威張り散らしている可哀想な人も
他人に謙ってなめられる優しい人も
ニュースで取り上げられた事件の被害者も
無事逮捕された被疑者も
表舞台で華々しく活躍するスターも
陰で人々の生活を支えている仕事人も
私も
君も
きっと誰かの特別な存在
『特別な存在』
散々大口叩いて
到底叶いそうもない夢を語って
バカにされても諦めなくて
周囲の視線を顧みることなく
誰よりも真っ直ぐに努力し続けて
結果誰よりも成功しているんだもの
本当に嫌になっちゃう
あなたを信じきれなかった私のことが
見る目がなかったんだと嫌になる
理由もなく散々バカにしてきたけど
今ならわかる
ただ前しか見てないあなたが羨ましかった
私の方が馬鹿だった
本当にごめんなさい
『バカみたい』
人々が争い、血が流れ。
大地が怒り、全てが飲み込まれ。
成れの果てとなったこの土地は、かつて世界屈指の巨大都市と呼ばれていたそうだ。今では一面更地で、人の痕跡をかき消すほど自然に覆われている。
この土地の唯一の生き残りだろうと、僕たちは自覚があった。
他の生物に襲われないように、息を潜めてこれまで生きてきた。悲しいことや情けないことなど醜態はお互いに晒した。それでも尚、慰めて、励まして、愛し合ってきた。たった二人ぼっちの、人間だ。
他の生物が寝静まった頃、僕たちは地面に隣り合って寝転がった。目の前には満天の星が広がっている。
君が言う。
「生き残りがあなたでよかった」
僕は、返す言葉が出てこなくて、代わりに君の手を握った。
「何もかも失くしたけれど、あなたがいたから生きられた」
「僕もだよ」
「辛くて、寂しくて、悲しくて。どうしようもなかったけれど、あなたとの日々は毎日が発見で、とても楽しかった」
君が僕の手を握り返した。僕はたまらない愛おしさゆえに、衝動的に君を抱きしめた。
「愛してる」
「僕も愛してる」
君の腕が僕の背に回った。より距離が近づいた。
僕は静かに目を閉じた。腕の中で彼女の体温が感じられない。その事実に目を背けたくて、固く閉じた。堪えきれなかった涙が、顔を伝って大地に流れた。
次に日が昇ったら、僕は一人ぼっちになる。
『二人ぼっち』
あなたとの日々は、まるで夢のように幸せだった。
桜満開の暖かな春の日。新入社員として入社した企業で、あなたと出会った。あなたは私が最初に配属された部署の上司だった。
他の先輩から仕事を教わることが多かったけど、会話がないわけではなかった。同じ部署に同期はもう二人いた。でも三人の中では一番気にかけてもらえた。挨拶をすれば少し立ち止まって言葉を交わしたり、業務の報告をすると労ってもらえた。取引先との大事な商談でミスをしてしまった時は、さすがに叱咤されたけれど、同時に激励もされた。私はまだこの仕事を続けていこうと前を向けた。
私たちの距離が縮まったのは、他部署と合同で開催されたクリスマス会兼忘年会だと思っている。
規模があまりにも大きいため、参加人数も多かった。あなたは遠くの上座にいて、私は下座で皿下げや注文の品などの手配をしていた。飲み会の最中、あなたがわざわざ私の元にやってきてくれた。グラスのビールがかなり減っていたから、私が畏れ多くも注いでしまった。あなたはとても美味しそうに口をつけた。
部下に慕われているあなたは、またすぐに別の席へ呼ばれてしまったけれど、立ち去る前に私に声を掛けてくれた。
「入社してきてくれて、本当に助かっています。日頃の感謝も込めた会だから、お好きに飲み食いしてください」
正直あなたに感謝されるような仕事ぶりではなかったけれど、私自身の存在を認められたような気がした。とても嬉しくて、その日は感激のあまり一晩寝られそうになかった。
その後すぐ部署異動で私は他所へ配属されてしまった。あなたと共に仕事ができないだなんて絶望した。何度も訴えかけたけれど覆ることはなく、私は内示が出てからずっと落ち込んでいた。
そんな私を慰めてくれたのも、あなただった。
「部署が違えど、私たちの仕事はどこかで必ず繋がっていますから。あなたの働きぶりが私たちに還元されますし、逆のこともあります。同じ会社で仕事をするってそういうことでしょう?」
あなたの意見はごもっともだった。
たとえ部署が違っていても、同じ会社ならば向かう先は一緒である。この会社にいる限り、あなたと仕事はできる。そばにはいられず、間接的ではあるけれど。
なぜ私はそのことに気が付かなかったのだろう。あまりの恥ずかしさに顔を見られたくなくて、頷き俯いた。あなたは私の肩をトンと叩いた。
「大丈夫、あなたならどこへ行っても活躍できます」
弾んだような声に、少し目線を上げた。あなたは私に微笑みかけてくれていた。美しくも儚いその表情が、今も頭から離れない。
その表情に泥がついたのは、配属先の別の上司からの一言だった。
「あの子、今度結婚するんだって」
私は、その言葉を理解するのに時間が掛かった。その間にも、ペラペラと詳細が語られた。大学時代からお付き合いしていた恋人がいたこと。半同棲状態なこと。職種や業界は異なるが、仕事のできる朗らかな人らしいこと。
「ウチの年、同期の仲が良くてしょっちゅう飲み会してるからか呼ばれたんだよね。まぁ会社代表みたいなもんだけど」
心から祝福しているような笑みを浮かべていた。私は相槌を打つ一方で、腑が煮え返っていた。表情には出していないが、目の前は真っ赤に染まっていた。
部署が変わっても廊下ですれ違えば会話をした。お昼休みが被れば社員食堂でそばに座った。相談に乗ってもらったこともある。それを繰り返せば、いつの間にか距離は縮まっているものだと思っていた。
でも私は式には呼ばれていない。しかも本人から直接報告を受けていない。
あぁ、裏切られたんだと思った。
大安吉日の日曜日。暖かく、憎らしいほど快晴の空の下。あなたは式場の庭で談笑していた。今時はカジュアルに式を楽しめるよう、ガーデンパーティーにする例も多いらしい。
口の軽い今の上司は、日時や場所についても話してきた。そこである一つの案が浮かんだ。招待されてないが、されてないなりに花を添えたって構わないだろう。
この式場はガーデンと言っても整備された花々が並んでいるだけで、特別自然に囲まれているわけではない。周りを囲う柵も高くない。道路に面しているから、覗こうと思えばいくらでも覗ける。
中の様子を伺うと、皆笑顔だった。花嫁花婿も、親族らしき人たちも、友人知人やスタッフまでも。人生で一番幸福なひと時が、そこにあった。
許せなかった、どうしても。
私を裏切っておきながらあなただけ幸せになることが。
だから私は、手にした遊び道具を握りしめた。あなたに花を添えるための道具だ。標的はもちろん決まっている。
パンッと本物のような音がした。でも威力は十分だった。あなたの肌に傷がついたことを確認した。
あなたは結婚相手だろう人に支えられつつも、地面に倒れた。必死の呼びかけにも答えられないようだ。痛いのだろうか、目を瞑っている。
「誰だ!!」
その場にいた参列者やスタッフがこちらに向かってきた。私は逃げずにその場に立っていた。
誰かが私の片腕を捻った。道具を持っている方だった。そのまま地面へ薙ぎ倒される。外野が何か喚いているが耳に入ってこない。私の視線はずっとあなたを追っていた。
あぁ、その白には赤が似合う。
私の隣で白いドレスを着れば、赤く染まらなかったのに。
『夢が醒める前に』
日中の暖かい日差しを一掃するように、風が強く吹いた。方角はわからないけど、強くて冷たい風だ。私は思わず身震いした。
今朝、コートを羽織らずに登校しようとしたら、母に止められた。渋々いつもの紺のピーコートと白いマフラーを身につけて学校へ行った。友達はコートなしで登校している子も多かったから、三月にもなってコートを着るなんてちょっと恥ずかしいとさえ思っていた。
でもいざ放課後になって、部活も終える頃にはすっかり暗くなっていて、空気がひんやりする。日中の暖かさはどこへやら。あまりの寒さに冬へ逆戻りしたのかと思った。手袋は忘れてしまったから、手を擦り合わせたり、ポケットへ入れたりと忙しなく動かしていた。
こんなに寒い日は早く帰ろうと思う。でもなんとなくまっすぐ帰りたくなくてゆっくり足を動かす。ぼんやりと歩いていたら、いつもは通り過ぎていた本屋さんの前に差し掛かった。本は読まないし、欲しい雑誌も漫画も特にない。それでもいつの間にか足を踏み入れていた。
店内は人がポツポツといた。駅ビルの上層階にある本屋と比べて、こちらは静かで落ち着いている。いつも本屋へ行くと雑誌コーナーで立ち読むか、漫画コーナーで新刊をチェックする。今日はそんな気分でもないから、フラフラ店内を歩いていた。
文芸コーナーの中で一番目立つところに、厚みのある本が積まれていた。平積みの後ろには表紙が見えるように陳列されている。いつもなら気にならない場所なのに、思わず立ち止まってしまった。
著者は知らない。作品も知らない。本と一緒に並べられたポップには、"この町に住んで……"という見出しがついていた。"この町"とは、私が住んでいる地名だった。
急に親近感が湧いた。自分の住んでいる町に、小説家の先生がいる。郊外の閑静な住宅街である、この町に住んでいる人が、小説を書いて、本を作った。それがこの町の本屋に並んでいる。
不思議な気分で眺めていた。本の帯には"芥川賞作家"という文字が書いてある。ニュースで見たことのある言葉だ。とんだ有名人がこの町に住んでいる。どんな人なのか。どんな小説を書くのか。強く興味が惹かれて、ついには手に取った。
ずっしりとした重みがあり、硬いハードカバーに覆われていた。こんなに厚みのある本を手に取ったのは初めてだ。帯の背表紙や裏表紙の面を読んだ。"著者最高到達点"や"衝撃作"の文字を見て一気に期待が高まる。私はこの本を読んだら、読む前よりも賢くなるのかもしれないと本気で思った。
そんな熱も冷める文字を見つけてしまった。税込二千五百円。漫画だと五冊買えるし、雑誌は二冊でお釣りがもらえる。写真やイラストが載っていなくて活字しか並んでないくせに高い。高校生の買い物にしては高すぎる。
手に取った本をそっと戻した。誰にも見られてないからちゃんと確認して、平然と戻した。今月は好きなアイドルのCDリリース日が控えている。我慢するしかない。
諦めて棚から離れようとしたら、視界に入ってしまった。表紙を陳列している段に、なんと"著者サイン本"と書かれている。小説家の先生がこの本にサインしているらしい。この郊外の町で、サイン会でも開かれたのだろうか。でも、有名人のサインなら欲しい。棚に並んでいる数冊しかもうないみたいで、大変希少価値が高い気がしてしまう。
私はサイン本を手に取った。アイドルのCDはすぐにはなくならないけれど、このサイン本は絶対なくなる。それならすぐになくなってしまう方を買っておかねばならない。絶対これを逃したら、私は後悔する。
そうして、アイドルのCDに替わって買ってきてしまった。小説を読まない私が、どこの誰とも(一緒の町に住んでいる小説家)知らない人が書いたサイン本を。私は本を前にして、床に正座した。なんとなく、姿勢を正さないといけない気がした。
そっと持ち上げて、シュリンクを丁寧に剥がす。深呼吸をして、本を開いた。表紙を開けて早々、遊び紙のところに著者名と印鑑が押されていた。
「おおっ」
思わず声が漏れた。芸能人のようなミミズみたいななんかよくわからないサインとは違う。サインらしく少し崩れているけれど、ちゃんと著者名が読める。印鑑は四角い古印体だ。中学生の頃、美術の授業で彫ったことのある字体だから見覚えがある。なんだかこのページだけ御朱印みたいで神々しく感じる。
ただのミーハー心がくすぐられて、知りもしないのに買ってしまったけど、買ってよかったかもしれない。
私はページを捲って、とうとう本文に辿り着いた。ここからが、私自身との勝負である。せっかく高い買い物したんだからちゃんと読もう。読み切れるかの不安よりも、少しの好奇心が勝ってページを捲った。
この日から、新たに趣味の欄には読書の項目が加わった。
『胸が高鳴る』