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 あなたとの日々は、まるで夢のように幸せだった。

 桜満開の暖かな春の日。新入社員として入社した企業で、あなたと出会った。あなたは私が最初に配属された部署の上司だった。
 他の先輩から仕事を教わることが多かったけど、会話がないわけではなかった。同じ部署に同期はもう二人いた。でも三人の中では一番気にかけてもらえた。挨拶をすれば少し立ち止まって言葉を交わしたり、業務の報告をすると労ってもらえた。取引先との大事な商談でミスをしてしまった時は、さすがに叱咤されたけれど、同時に激励もされた。私はまだこの仕事を続けていこうと前を向けた。

 私たちの距離が縮まったのは、他部署と合同で開催されたクリスマス会兼忘年会だと思っている。
 規模があまりにも大きいため、参加人数も多かった。あなたは遠くの上座にいて、私は下座で皿下げや注文の品などの手配をしていた。飲み会の最中、あなたがわざわざ私の元にやってきてくれた。グラスのビールがかなり減っていたから、私が畏れ多くも注いでしまった。あなたはとても美味しそうに口をつけた。
 部下に慕われているあなたは、またすぐに別の席へ呼ばれてしまったけれど、立ち去る前に私に声を掛けてくれた。
「入社してきてくれて、本当に助かっています。日頃の感謝も込めた会だから、お好きに飲み食いしてください」
 正直あなたに感謝されるような仕事ぶりではなかったけれど、私自身の存在を認められたような気がした。とても嬉しくて、その日は感激のあまり一晩寝られそうになかった。

 その後すぐ部署異動で私は他所へ配属されてしまった。あなたと共に仕事ができないだなんて絶望した。何度も訴えかけたけれど覆ることはなく、私は内示が出てからずっと落ち込んでいた。
 そんな私を慰めてくれたのも、あなただった。
「部署が違えど、私たちの仕事はどこかで必ず繋がっていますから。あなたの働きぶりが私たちに還元されますし、逆のこともあります。同じ会社で仕事をするってそういうことでしょう?」
 あなたの意見はごもっともだった。
 たとえ部署が違っていても、同じ会社ならば向かう先は一緒である。この会社にいる限り、あなたと仕事はできる。そばにはいられず、間接的ではあるけれど。
 なぜ私はそのことに気が付かなかったのだろう。あまりの恥ずかしさに顔を見られたくなくて、頷き俯いた。あなたは私の肩をトンと叩いた。
「大丈夫、あなたならどこへ行っても活躍できます」
 弾んだような声に、少し目線を上げた。あなたは私に微笑みかけてくれていた。美しくも儚いその表情が、今も頭から離れない。

 その表情に泥がついたのは、配属先の別の上司からの一言だった。
「あの子、今度結婚するんだって」
 私は、その言葉を理解するのに時間が掛かった。その間にも、ペラペラと詳細が語られた。大学時代からお付き合いしていた恋人がいたこと。半同棲状態なこと。職種や業界は異なるが、仕事のできる朗らかな人らしいこと。
「ウチの年、同期の仲が良くてしょっちゅう飲み会してるからか呼ばれたんだよね。まぁ会社代表みたいなもんだけど」
 心から祝福しているような笑みを浮かべていた。私は相槌を打つ一方で、腑が煮え返っていた。表情には出していないが、目の前は真っ赤に染まっていた。
 部署が変わっても廊下ですれ違えば会話をした。お昼休みが被れば社員食堂でそばに座った。相談に乗ってもらったこともある。それを繰り返せば、いつの間にか距離は縮まっているものだと思っていた。
 でも私は式には呼ばれていない。しかも本人から直接報告を受けていない。
 あぁ、裏切られたんだと思った。

 大安吉日の日曜日。暖かく、憎らしいほど快晴の空の下。あなたは式場の庭で談笑していた。今時はカジュアルに式を楽しめるよう、ガーデンパーティーにする例も多いらしい。
 口の軽い今の上司は、日時や場所についても話してきた。そこである一つの案が浮かんだ。招待されてないが、されてないなりに花を添えたって構わないだろう。
 この式場はガーデンと言っても整備された花々が並んでいるだけで、特別自然に囲まれているわけではない。周りを囲う柵も高くない。道路に面しているから、覗こうと思えばいくらでも覗ける。
 中の様子を伺うと、皆笑顔だった。花嫁花婿も、親族らしき人たちも、友人知人やスタッフまでも。人生で一番幸福なひと時が、そこにあった。
 許せなかった、どうしても。
 私を裏切っておきながらあなただけ幸せになることが。
 だから私は、手にした遊び道具を握りしめた。あなたに花を添えるための道具だ。標的はもちろん決まっている。
 パンッと本物のような音がした。でも威力は十分だった。あなたの肌に傷がついたことを確認した。
 あなたは結婚相手だろう人に支えられつつも、地面に倒れた。必死の呼びかけにも答えられないようだ。痛いのだろうか、目を瞑っている。
「誰だ!!」
 その場にいた参列者やスタッフがこちらに向かってきた。私は逃げずにその場に立っていた。
 誰かが私の片腕を捻った。道具を持っている方だった。そのまま地面へ薙ぎ倒される。外野が何か喚いているが耳に入ってこない。私の視線はずっとあなたを追っていた。


 あぁ、その白には赤が似合う。
 私の隣で白いドレスを着れば、赤く染まらなかったのに。


『夢が醒める前に』

3/20/2024, 1:28:53 PM