壁に今日のカレンダーを刻む。
この星に不時着してから、地球の標準時間で278日目。
狭い操縦席の右壁にはもう線を刻むスペースがなくなってしまい、先週からは左壁にナイフを突き立てている。
これだけの期間が過ぎてまだ誰もやってこないということはつまり、シャトルの墜落前に発信した救難信号は結局どこにも届かなかったのだと推測する。
乗組員も、89日前に最後の一人が死亡した。
今際の際の人間が「助けが来るまで諦めないで」と囁いたために私は自動静止機能をロックされてしまい、こうして宇宙船の中で佇むだけのアンドロイドになった。
新たな指示もないため何もする事がない。
ただ、彼が最期まで行なっていた業務を引き継いで壁に一日一本の線を刻んでいる。
船体のソーラーパネルを照らしているこの星系の太陽は、毎日充分以上に蓄電可能な光量を持っている。
そして計算上、私の体内パーツが経年劣化により駆動停止するまで、少なくともあと170年は所要される。
私が言うべきことか分からないが、最後に残った者が感情のないアンドロイドでよかった。
水も、空気も、希望も、話し相手がなくともよい。
絶望すら不要のまま生き続けられる存在だから。
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カレンダー
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所感:
たすかってほしいという願いの叶いかた。
ふふん、せいぜい嘆いておくれよ。
でなけりゃ僕の命が浮かばれない。
一度だって見たことなかった君の涙と引き換えに、僕は僕の生きる世界全てを差し出したんだ。
君の青ざめた頬を伝う涙のしずくは海から掬いあげた真珠より輝いている。その一粒ひと粒を僕は丁寧に磨いて天上の宝石箱に集めてしまっておこう。
いずれ君がここに来たときに、それはそれは美しいネックレスに仕上げて首元をキラキラ飾ってあげる。
君は僕を喪って自由を得る。
僕は世界を失って愛を得た。
大事なものと引き換えに、やっとお互い向き合えた。
次は、何ひとつ逃さずに大切にし合いたいね。
それじゃあ愛しい人、また会う日まで。
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喪失感
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所感:
捨てても惜しくないものが何なのか、その答えは本当に人それぞれで。
世界に一人だけの君、世界に一つだけの愛、
僕はそれでずっと満たされていたというのに。
ああ、世界が一つじゃなかったなんて。
青い髪を結い上げた君、
ヒヅメを凛々しく打ち鳴らして駆ける君、
湖底で静かに眠る単結晶の君、
右足の小指の爪の形が違う君、
僕を知らない、僕のものじゃない、無数の君。
どこに居たっていつだって全部僕のもの。
君は全部ぜんぶ、この僕だけの、だから、だから。
だからすべての世界の自分を殺して回る。
そしてすべての世界で君はこの僕だけを見る。
さあ、一つの愛だけの世界線を拓いていこう。
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世界に一つだけ
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所感:
この話を詰めていくと「僕」はいつか「君だけが居ない」セカイに辿りついて泣いてしまうんでしょう。
◆好きな色《6月21日更新のお題》
色に全然こだわりがないせいで、身につけるものも持ち物も部屋に置くものだって、ついつい有り物から適当に選んでしまう。
けど好きな人ができたらその人の好きな色を着るようになり、一緒に暮らし始めたら家具も小物も同じ色が増えたりもして。染まる、染められるって、こういうことなんだと理解した。
それで、今、少し困っている。
一人になっても、いつまで経っても独りになれなくて。
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◆日常《6月22日更新のお題》
一年に一回、検査を受けに来てくださいね。
そんな指示が出されたから、毎年同じ日付で来院予約を取るようにしはじめて6年目。一つ分かったのは、同じ日付でも曜日は一年に一つずつずれていくってこと。
これまではずっと平日だったから有給休暇で堂々お休みを確保できるチャンスだったのだけど、今年は土曜日。なぜだかちょっと惜しい気分。
せっかくなので予約は午前に入れて、午後からはのんびりしようと思っている。
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好きな色
日常
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所感:
慌ただしい。
毎朝、犬の散歩してるんですよ。
あの日は台風が過ぎた翌日で、砂利浜には木切れが沢山流れ着いてて、犬は大喜びしてました。
遠くにも海の様子見に来てるような人がいて。
漂流物マニアさんかな、とか思ってました。
それから半年くらい後ですかね、また朝の散歩してたら急に声をかけられたんです。前の台風の次の日に、この犬と散歩してたのはあなたですか、って。
なんでも、その人は人生に思い詰めて、思い余って海に来てたんだそうです。
でも、犬が木の枝を集めて走り回っているのを見ていて、それがあまりに楽しそうで、羨ましいなと思っているうちになんだか気持ちが楽になったんですって。
「あなたとワンちゃんのおかげで、元気です」
そんなふうに、ほんとうに何もしてなくて、ただ散歩してただけで人から感謝されることなんてあるんだなぁ…って、台風が来るとたまに思い出します。
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あなたがいたから
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所感:
そこに誰かが居るだけで、何かが起きること。