出会った日、二人で初めて一緒に食べたのはクッキーだったなんて全然覚えていなかった。
それはスライスアーモンドとチョコがザクザク入ったドロップクッキーだったとか。アメリカンスタイルでやけに厚みのあるその一枚を半分こして食べたんだ、とか。
そうだっただろうか。本当に覚えがない。
むしろその日の夕食のことはちゃんと記憶にあって、それが私にとって二人の最初のご飯だったのだけど。
「あなたがくれたものは全部覚えてる」
俺にとっては忘れたくても忘れられない思い出ばかりなんだよ、と少し拗ねた声と照れ臭そうな顔を、私はずっと覚えておこう。
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「忘れたくても忘れられない」
マグカップ片手で読書に耽るあなたの横顔を、蜜柑色のやわらかな光が縁取っている。
毎日違うグラデーションで世界を茜に染めながら、夕日が山の向こうに隠れてしまうまでのひととき。外の景色をのんびり楽しむこの時間が私は好き。過ぎ去る秋の背中越しに冬の足音が聞こえてくるこの季節は、窓から差し込む夕暮れの日差しが一年で一番甘い輝きを帯びる。
それに今日はあなたも傍に居る。
太陽を追うように、空の高いところから少しずつ淡い紫色の夜がやってきたのを眺めながら、隣でくつろぐ静かな姿をそっと見る。そっと。
「どうしたの」
そっと見ていたはずなのに、いつの間にかあなただけが視界にあって、ただ見惚れていたなんて言えるわけなかった。
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「やわらかな光」
あなたには嘘をつけない。
ばれたら叱られるとか、やましい気持ちに耐えきれなくなるとか、そんな理由じゃなくて。
ただあなたが全て見抜いてしまうから。
もう随分前なのだけど、私が小さな嘘をついた夜のことは今もはっきり覚えている。ちら、とあなたは鋭い眼差しで私の顔を見て、ふっと一瞬で表情を変えた。
それが怒りではなく憐れむように微かな笑みだったから一層恐ろしく、私は心底恥じ入り、そして素直に謝った。
「嘘は駄目だよ。分かってしまう」
言えないことなら初めから何も言わなければ良い、無理に聞き出すことはしないからね……と、よく分からない理屈で慰められ、あれが、二人の間の最初で最後の嘘になった。
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「鋭い眼差し」
あまりに高いところまで揚がってしまったから、糸巻きを掴んだ手には凧を攫っていく風の感触すらもう伝わってこない。途中、糸を一度結び足したから高度は大体200メートル位だと思う。最初は青空にきっかりと映えるオレンジ色がきれいだったのに、もう目を凝らしてみても胡麻ほどの小さな点にしか見えない。
空を悠々と泳いでいるいくつもの凧が、不意に水族館の大水槽の景色と重なった。透明な檻の中で行き場のない自由と、無限へ続く空の下で頸木をひかれる不自由。
あの凧は地上へ戻りたいだろうか。
「力を抜いちゃいけない、風に持っていかれるよ」
ぼんやりしていた私の手を、包むようにあなたが強く握った。からになった糸巻きには噛み付くように固く糸の端が結ばれている。空に吸い込まれそうだった私の心を、この温かな手が繋ぎとめてくれた。
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「高く高く」
私の数少ない余興の持ち札、それはダンス。
その時々の流行り歌の振り付けをかっちり再現する。
隠しているものを出すから隠し芸とはよく言ったもので、日頃踊りなんてまったくしなさそうな人間が真面目な顔のままいきなりヌルヌル動き出すと、これがまあまあよくウケる。
であるからして、盛り上げのコツはただ一つ。
どれだけせがまれてもアンコールに応えないこと。だって本人のキャラクターとダンスという相容れないギャップが面白味を生んでいるのだから。これが見慣れた光景になった途端、魔法は全てとけてしまう。
ちなみに完コピ前提なので、上手く踊ることはコツですらありません。
……なんだけど。
今日は初めてのメンバーでの打ち上げだったから場を和ませるのにちょうど良いかと最近SNSを席巻している曲を披露してみたら。あなたが予想外に子供のような笑顔を向けてくれたので。頼まれてもいないのにサビのフレーズをも一度踊ってみせたのでした。
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「子どものような」