平穏な日常
平穏がいつ崩れるかなんて、誰にも分からない。
そんな日が来ることを、想像することはできても、
なんだかんだ自分が経験しないと分からないものだ。
生きている人には誰しも、
平穏じゃない日々は訪れる。
その時に、何を思うのか。
こんなはずじゃなかった。
あの頃に戻りたい。
もう一度あの人に会いたい。
当たり前なんてあるはずがないのに、
当たり前が崩れるその瞬間まで、
私たちは気付けなかったりするものだ。
もしくは、考えないように
平穏に身を隠しているのかもしれない。
この世界にいる誰もが、平穏な日々を送れますように。
そして、どうか、私の平穏な日常に終わりが来ませんように。
「…なんて、それは無理な話か」と、ひとり呟き、
私は今日も、平穏に溺れる。
落ち葉の道
久しぶりの休日。
いつもは家でのんびりするけれど、
なんだか今日は、いつもと違う場所へ
出かけてみたい気分だった。
今はちょうど、葉の色が移り変わる時期だから
私は山へ足を運ぶことにした。
色とりどりに並ぶ葉は、とても美しく
葉が風で優しく揺れる音は、
「ようこそ」と、
まるで私を歓迎してくれているみたいだ。
一度立ち止まって、周りを見渡す。
いつもと全く違う景色に、
なんだが別の世界に迷い込んでしまったみたいだ、
なんて思ったりした。
「すごく綺麗」 そう思うのと同時に、ふと疑問に思う。
こんなにも色鮮やかな姿を見せてくれているのに、
最後には散って、地面に落ちる。
そうして、風に乗ってどこかへ飛んでいったあと、
この子たちはどうなるんだろうか。
考えていたら、なんだか少し寂しい気持ちになってしまった。
それから、どれだけ歩いたか分からない。
でも、この空間はとても居心地がいい。
このままずっと、ここに居たいなぁ
そう思った矢先、看板が目に入った。
「この先は行き止まりか…」
少し残念だけど、帰ろうと振り返った時、
太陽の光がさし込んだ。
眩しさに目を細めながら、光のさす方を向くと
穏やかに流れる川が、きらきらと輝いていた。
そこには、風に乗り水面に着地した葉たちが
ゆらゆらと揺れていた。
それはまるで、私のために用意された
新しい道のようで。
実は行き止まりじゃなかったのかもしれないな。
「道、作ってくれてありがとうね」
そう言いながら、優しく揺蕩う落ち葉の道を
歩いている姿を想像し、頬を緩めた。
君が隠した鍵
「ぼく、かけっこで一位取ったよ!」
「算数のテスト、上手くできなかった。」
「おかあさんのオムライス、おいしい!」
あなたは、毎日いろんな表情を見せてくれる。
それはまるで、扉を開けるようだと思う。
でも、ある日、
ひとつの扉が開かなくなってしまった。
あなたは、私に涙を見せなくなったのだ。
「開けてよ」と言っても、「嫌だ」の一点張り。
私はどんなあなたを見ても、嫌いになんてならないの
に。
もう一度、ドアをノックする。
「ねぇ、知ってる?
涙を流すことは、とても素敵なことなのよ。
あなたが、何かにつまづいて、それでも逃げずに、
立ち向かおうとしているってことじゃない。
泣くことは、何も悪くないし、恥ずかしいこと
じゃないわ。」
そう声をかけると、
あなたはドアから少しだけ顔を出した。
「……。ほんとに…?」
そう言うあなたは、目にいっぱい涙をためながら、涙がこぼれないように上を向いていた。
「…でも、僕は、強くなるって決めたんだ。だから、泣かない」
そんなことを言うもんだから、私はつい、笑ってしまった。
笑わないでと怒られたが、あなたがとても愛おしくて。
ほら、嫌いになんてならなかったでしょう?
あなたがどんなに歳を重ねても、
どんな表情を見せても、私はあなたが大切なのよ。
あなたは鍵を隠したかったのかもしれないけれど、
あなたがどんな表情を見せてくれるのか、
私は毎日、楽しみで仕方がないのに。
これから先、扉を開けてくれない時があっても、
その時に、私はあなたが大切で、大好きだということを
思い出してもらえるように、
私はあなたを、ぎゅっと抱きしめた。
木漏れ日
ひとりで旅に出た。
自分を見失った気がしたから。
頭の中のごちゃごちゃを、
一旦、すべてわたしから降ろしたくて
最低限の荷物を背負って、田舎道を歩く。
ここは、自然がいっぱいだ。
どこまでも青く広がる海、高く優雅に空を泳ぐ鳶。
生き生きとした緑が生い茂る山々。
目的もなく、ただただ歩いている。
それなのに気持ちのモヤモヤが
すっ、とどこかに消えていくようで。
しばらく歩いていると、
緑に囲まれた広場の、大きな大きな木に出会った。
木の根元に腰を下ろして、水を飲む。
木に背中を預けると、なんだかじんわり温かかった。
ここは、すごく息がしやすい。
時間を忘れて、心地よく吹く風に身を委ねていると
小さな男の子と目が合った。
こんにちは、と声をかけると
ほんわりとした笑顔を浮かべ、こちらに近づいてきた。
どうやら、ここへは毎日来ているらしい。
しばらく、ふたりで話をした。
学校でこんなことがあったとか、兄弟が何人いるかとか
そんなたわいのない話ばかりだ。
でも、すごく心が軽くなった気がした。
もうそろそろ帰らないと、と少年が言った。
そして、仲良くしてくれたお礼に、
何やらいい事を教えてくれると言う。
水をすくうように、手のひらを出してみろと言うのだ。
その子の真似をするように、隣で同じポーズをとる。
すると、わたしの手のひらの上には
木の葉の間から降り注ぐ光の粒が、たくさんあった。
『 光の宝石みたいでしょ! 』
にっ、とこっちを見て笑うその子に
そうだね、と笑顔で応えながら、
なぜか、無性に泣きそうになった。
何かすごく大切なものを教えてもらえたように感じた。
この手の上に、たくさんの大切なものがある気がして
この手を降ろしたら、それが全部消えてしまう気がして
見失っていたものを取り戻すかのように
必死に、それでいて優しく
手のひらいっぱいにすくって
わたしの胸へと抱き寄せた。
少年は、それを不思議そうに見ていたが、
にこにこしながら、わたしの真似をした。
その子に手を振り、見送ったあと
再び、わたしは木に背中をあずける。
やはり、じんわり温かい。
そして今は、
あの子のおかげで、心もぽかぽかだ。
もう少しだけここにいよう、と
やさしい木漏れ日に包まれる。
もう一度、光の宝石をすくいあげながら、
あの子と、わたしの、この先歩む未来が
明るいものでありますようにと願って。
ラブソング
また明日ね、とみんなが帰っていく。
ざわざわとにぎやかな声がだんだん遠のき、
風でやさしく揺れる葉の音が聞こえるほど
静かな教室になった。
わたしは、ここで音楽を聴くのが好きだ。
空の色が移り変っていく時間に、
心地いい風にゆられながら
好きな曲を一曲だけ聴いて帰る。
これがわたしのいつもの日課。
そして、
『 今日はなんの曲聴いてんの? 』
時々やってくる先輩がいる。
『 好きなバンドの新曲が出たんです 』
前に同じ役員になった時に少し仲良くなって、
いつも曲を聴いてることを話したら、
たまに来て、一緒に聴くようになった。
『 でも、ワイヤレスって便利だよなぁ 』
こんな離れてても一緒に聴けるってすごくない?って
無邪気に笑うあなたは、
先輩だけどちょっとかわいい。
『 じゃあ、気をつけて帰れよ 』
いつものように手を振って、帰りの支度をする。
この時間は、いつも、なんだかちょっぴり寂しいや。
今日も楽しかったなぁ。
先輩は、なんで一緒に曲を聴いてくれるんだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、
自然と頬が緩んでいた。
自分の気持ちに、はじめて気付いた瞬間だった。
また明日ね、といつものようにみんなが帰っていき、
わたしも、いつものように曲を聴く。
今日も来るかな、なんてそわそわしながら。
そろそろ曲が終わる。
やっぱり2日連続では来ないよなぁ、と
少しでも来ることを期待していた自分に驚いた。
『 今日はどんな曲? 』
よっ!と、ドアからひょっこり出てきたあなたを見て
心臓が大きく音を立てた。
『 今日も来たんですか? 』
もうちょっとかわいいことを言えないのかと、
素直になれない自分を憎む。
『 あれ、今日は有線のイヤホンなんだね 』
俺にも聴かせて、というあなたに
いつもどおり片方だけ差し出す。
『 じ、充電するの忘れてて。 』
ふーん、と呟いたあなたを
顔が熱くなったのがバレないようにちらっと見ると
少しにやけていて、なんだか癪だった。
先輩がイヤホンをつけたのを確認すると、
今日は、わたしの好きなラブソングを流した。
少しでもわたしを意識してくれたら、と願いながら。
いつもと同じ音量なのに、
心臓の音がうるさくて、上手に音が聴こえない。
ふと、隣に聞こえていないか心配になって、
あなたの顔を覗く。
夕陽のせいだろうか。
いつもより近い距離で見るあなたの顔は
いつもより少し、赤らんでいるような気がした。