白蓮

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3/11/2025, 11:34:03 AM

人が亡くなった時、
あの人は星になったんだと言う。

星に例えるのって、すごく、お洒落だ。

星はまず、夜にしか見えない。
そのうえ晴れていないといけない。
私たちが星を見たいと思った日には
見られないかもしれないし、
その逆も然りだ。

星というのは実に気まぐれな振る舞いを見せる。
でも、こういった星の持つ不確定要素の多さは、
言い換えれば"自由"じゃないだろうか。

会えるかどうかは運次第、
私たちの意思には平気で反してくる。

故人と星を重ねた時、その共通項は"自由"なのだ。

そしてもう一つ、
人は忘れられた時に死ぬという言葉もある。

夜空はその実、
私たちが数えられる量を遥かに超えた、
光の届かない星で埋め尽くされている。

見えない星は、忘れられた人なのかもしれない。
もしくは、長い月日を経て、
故人を忘れなかった人が同じ場所に来たから、
探せるように光る必要がなくなったのかもしれない。

俗世にも、私たちにも縛られず、
自由に空を旅するかつての人を想う。

3/5/2025, 11:49:24 AM

わかんないことだらけだね、世の中ね。

どうして一日は24時間なのか。
どうして太陽は眩しいのか。

どうしてタスクは積み上がるのか。
どうして夜は短いのか。

どうして何もしてないのに疲れるのか。
どうして周りが輝いて見えるのか。

どうしてこの鬱屈した日々に笑みを向けるのか。
どうして笑みを向けられるのか。

どうして生きているのか?



わからない。


わからない、けど、いいんだ。

答えがわからないってことは、
そもそも答えなんてないのかもしれないんだから。

"question"を"question"のままにしておくのがいけないことだなんて、
そんな決まりはなかったんだね。

常に答えを探さなくたって、人生やっていける。
旅の終わりにテストなんてないからね。
だからいいよ、
ちょっとくらい、無責任に生きるのは。

11/11/2024, 10:57:32 AM

私が初めて夢の中で空を飛んだ時、
背中には翼が生えていた。
当時小学生だった私の翼は、桃色の立派な翼で、
さらには表面に宝石だとか音符だとか、
そんなものがついていた。
私はその翼を使って、初めて飛んだ。
しかしそれは、地面からたった数センチ浮いただけの
粗末な飛行、もはやただのジャンプだったと言える。
私の翼は重すぎて、ただの飾りとしての機能しか
持ち合わせていなかったのだ。

それから幾度も飛ぶ夢を見た。
翼を腕に添わせて羽ばたいてみたり、
箒、時にはちりとりを使ったりすることもあった。

そうやって、色んな方法を試して辿り着いた答えは、
翼を使わないことだった。
水中のようにふんわりと浮かび、
壁を蹴り空気をかいて、空を舞う。
そうすると、いとも簡単に私の体は浮き上がるのだ。

翼は、飛ぶのには向かなかった。
私たちは空を飛ぶことを想像する時、
つい翼を広げる姿を考えてしまいがちだ。
けれど、それに囚われる必要はなかったのだ。
空を飛びたいなら、好きな方法を探せばいい。
固定観念やルールから外れることは、
必ずしも失敗ではないのだ。

そうは言ったものの、
私は翼で飛ぶことに憧れている。
それに向けて試行錯誤するのも、
また自由なのだろう。

10/31/2024, 11:07:22 AM

理想郷に、漠然とした憧れはある。
けれど、いざ辿り着いたとして、どうだろう。
心が震えるほどの感動は、そこにあるだろうか。

理想郷が理想郷であるために必要なもの。
それは、自信の持つ理想が何なのかを
事前に思い描くことではないかと思う。

話は少し変わるが、大人になると、
好きな時にケーキが食べられるようになる。
カフェで注文したり、コンビニスイーツを試したり。
けれどその突発的に食べるケーキは、
子供の頃食べた誕生日ケーキより味気ない気がした。
あるとき、こう思った。
子供の頃の私が食べていたのは
ケーキへの期待だったんじゃないか、と。

私は少し、期待の仕方を忘れてしまった。
それは時に人を傷つけるし、
それに胸を踊らせるような時間もなくなった。
期待するということは楽しく、
同時に私の精神を削いでいく、
諸刃の剣に変わってしまった。
でも、理想郷なら。
夢の中みたいなまっさらな世界があるなら、
好きなものをなんだって並べられる。
今すぐ、もはや永遠に行けない場所だとしても、
想像のうちに生きるそれは、宝物になりえる。
死んだあとに行けたらいいな、くらいでも、
期待ができるものではないだろうか。

10/21/2024, 12:43:57 PM

「人生には二つの悲劇がある。
一つは願いが叶わぬこと、
もう一つはその願いが叶うこと。」

こういう言葉が、とある戯曲の中にあるそうです。
私は今日初めて知りましたが、
どうにも好きになりました。

願いが叶わないのは辛いことです。
どうしたって叶わないとわかってしまったら、
とても悲しいのです。
でも、叶うかもしれない願いに向けて
進んでいるその道中は、
生きている意味だとか未知への期待だとかで
希望を持てる日々でもあるのです。
そういう意味では、願いがまだ叶っていない段階には
それなりの幸せがあると言えるのでしょう。

こういう解釈が一般的なのかもしれませんが、
私はこの言葉が、
願いを叶えることのネガティブさを
肯定している部分が気に入っているのです。
悲願を達成したとして、
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、
一瞬、後悔する瞬間があるのです。
頑張って行きたかった学校に合格したけど、
勉強が難しくて嫌になってしまう瞬間のような。
過去の自分や応援してくれた人に失礼な気がして、
そんなこと考えるものじゃないと、
思考に蓋をしてしまうのです。
この言葉は、そんな私を、
認めてくれる言葉のような気がしました。

願いを叶えるということは
幸せを掴むことであると同時に、
新たな困難へ挑戦する権利を
得ることなのだと思います。
大小を考えなければ、日々は願いの連続です。
叶った願い、叶っていない願い、
その両方に喜びつつ嘆きつつ、
心のままに生きていこうと、
そう思える言葉でした。

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