パラパラと雨が降っている。傘を差そうかどうしようか、悩むくらいの強さで、向こうの空は明るい。
典型的な通り雨だ。
「通り雨なんて、久しぶりに見た……」
とある家の軒先をちょっくら雨宿りをしつつ、感慨深げに呟いた。
例えば、夏の「朝の涼しい内に~」という言葉が死語になりつつあるように。
夏が暑すぎて、短くなる秋が消えつつあるように。
近年はゲリラ豪雨ばっかりで、通り雨とか天気雨なんて、久しぶりに見たような気がする。
唐突な不運というより、懐かしさの光景を暫し堪能した
始発電車で出勤して、午前様で帰宅するだけの毎日。
朝にこれ以上の余地は残ってないだろうと思っていても、帰宅時には喪失感を抱えて玄関に倒れ混む。
もう、失う心も感情も削り取る余地なんてないと思っているのに、何処にあるんだろう。
倒れた玄関から起き上がれない
胸の鼓動が煩い。
鼓動の速度が上がるに連れて呼吸も小刻みになり、津波のようにヒタヒタと上昇す緊張感、不安に浸水され、私は溺れていく。
嗚呼、自分が壊れていく
時を告げる鐘が鳴る。
学校が鳴らす下校のチャイムが鳴った暫く後、防災無線から流れる5時の定時メロディが鳴った。
秋の秋分が近い夕暮れは短くなりつつあり、あっという間に暗くなるだろう。
それでも、進路選択の進路用紙に何も書けない私は、帰れなかった。
……むしろ、帰りたくなかった。
白紙の進路用紙を抱えたまま、いっそ怪談の、教室の幽霊でもなりたいな……。
学校にずっといたい、何もかわりたくない。このままでいたい。
テレビの中で、メダルを勝ち取ったオリンピック選手のヒーローインタビューが放映されている。
煌めきは、会場の目映い照明故か、栄光を掴んだ選手の瞳の輝きのせいか。
私は苦笑いしながら、テレビを消して仕事に出掛ける。
通勤中の地獄の満員電車に揉まれながら、朝のテレビのワンシーンを思い出す。
スポットライトを浴びる栄光の勝者の、裏は表に映し出されない。
勝者が歯を食い縛って続けた努力は美談として放映されるかもしれないが、その下で破れて去って行った敗者のことなんて、誰も見たくないだろう。
例えば某大会社の社長の、煌めく成功談やプライベートは誰もが気になるだろう。知りたいだろう。
だが、その大会社を支えている子会社の、社員の末端の末端、私のような派遣社員の。
満員電車に押し潰される私みたいな、十把一絡げみたいな有象無象のワンシーンなんて誰が知りたい。
煌めきとか都合のいいものだけ見て、その影とか見たくないよな、とか。
そんなネジくれたことばかり考える自分は、酷くやさぐれてると改めて実感した。
煌めきとその陰影とか、どうでもいいから、何も見ないで眠りたかったを