「ブー太くん」
「ブヒッ!?」
「君の噂はいつも聞いているよ、この厩舎の中で一番の賢者だってね」
「お前……、名前は?」
「僕の名前はトンドン、隣りの厩舎から来たんだ」
「やぁトンドン、いらっしゃい。それで俺に何か用かい?」
「僕は君に会えたら是非聞きたいと思っていたことがあるんだ」
「俺に?」
「あぁそうさ、僕たち豚はなんで生きてるのかってさ」
「どういう事だい?」
「こんな薄暗い小屋に閉じ込められて、食べる事しか楽しみのないこの世界、いったい僕たちは何の為に生きてるのか教えてくれよ」
「まあまあ熱くなるなよ」
「あ……あぁ、ごめん、熱くなっちゃったな」
「お前……、名前は?」
「僕の名前はトンドン、隣りの厩舎から来たんだ」
「あぁトンドン、お前は勘違いしてるんだ」
「勘違いだって?」
「そうだ、俺たちは去勢されているから子供は産めない、そうだな?」
「まぁ……そうだな」
「つまり恋愛も出来ない、そうだな?」
「まぁ……そうなるな」
「お前は言ったな、食べることしか楽しみが無いと」
「言ったな」
「つまりはそういう事さ」
「は?」
「つ・ま・り、俺たちは食べる為に生きてるのさ」
「……」
「不満そうな顔だな、お前……名前は?」
「僕の名前はトンドン、隣りの厩舎から来たんだ」
「あぁトンドン、丁度良い、来たみたいだぞ」
「来たって?」
「ほら、今扉から人間のメスが入ってきただろう? 彼女はサクラさん」
「うん?」
「彼女は必ず俺の前にご飯を置いてくれるんだ」
「いや、それは君が餌場の前にいるからだろう」
「お前は何も分かってない、まるで新人研修の荒井くんのようだ!」
「アラ……、 誰だいそれは?」
「いいか、俺は生きる為に食べる。そして食べる為に餌場の前でご飯を待つ。当たり前のことを当たり前にしてるだけなんだ」
「そうかっ気が付かなかったよ! 凄いなブー太くんは!」
「それに気付けただけでも君は優秀だよ、ほら俺の隣に来な」
「えっ、いや、でもそこはブー太くんの……」
「遠慮なんかするな兄弟、一緒に生の喜びを知ろう」
「ブー太くん……」
「ブー太! はーい、出てきて! 大人しくトラックに乗って頂戴ね」
「ブー太くん、呼ばれたみたいだね」
「ああ、サクラさんはいつだって美味しいご飯をくれるからな、今回も特別なご飯が待ってるに違いない」
「凄いよブー太くん!」
「その場所はお前に譲るよ」
「いいのかい!?」
「勿論だ、俺は未来で待ってるから、お前も後で来い」
「ブー太くん……!!」
「いいか? 生きる意味を見失うな! お前の生きる意味はそこにあるぞ!」
「はい!」
「それじゃあ行ってくる!」
『生きる意味』
胸が締め付けられる。
娘のデリケートな部分に立ち入るのが怖くて、足が前に出ない。
静かに深呼吸をして、出来るだけ明るく声をかけた。
「エーミちゃん♪」
「あっお母さん!」
私よりも明るく振り返った娘の笑顔は、星空のどの星よりも眩しく輝いて見えた。
「邪魔……しちゃったかな」
「全然そんな事ない!」
「パパに聞いたんだ、ここにエミちゃんが居るって。お母さんも……いいかな?」
「本当!? 嬉しいよ、お母さんもここに居て!」
親子喧嘩なんかしたこともない。
私なんかよりも大人で、私はいつだってこの子に助けられている。
私がここに居たいと言えば、決して断ることは無い。
そんな打算も含んだ考え方に、自分で自分が嫌になる。
「……ぁ」
「あのさ」
私が話しかけるよりも早く、声を掛けられて驚いてしまう。
「結婚おめでとう」
「あ……ありがとう」
不意打ちだった。
「私さ、毎年ここでお願いしてたんだー」
えへへ、と恥ずかしそうに笑ったその視線は、満天の星空を仰ぎ見る。
「パパを幸せにしてくださいって!」
言葉が出なかった私は、絞り出すように小さく「うん」と頷いた。
「願いが叶っちゃった!」
「……うん」
「パパを選んでくれてありがとう!」
「……うん」
「ちょっと待って早い早い! 泣かないで、明日の結婚式まで涙取っておいてよ」
「明日は泣かないよ!」
くすくすと娘と笑い合う。
呼吸を整えると、娘は真っ直ぐに私を見て言う。
「お母さんにもお願いがあるんだけど、いいかな?」
「なぁに? 何でも言って」
「明日の結婚式が終わったらさ、一緒にママのお線香あげに行きたい」
「うん、私で良ければ行くよ」
「それともう1個」
少し悪戯めいた口調で続ける。
「私が結婚したら一緒にヴァージンロード歩いて!」
「ええぇっ、それはパパに怒られちゃうよ〜」
「い〜やっ! お母さんと歩く!」
優しい子だ、きっと気を使ってくれているのだろう。
そんな優しさに甘えてしまう。
私もこの優しい子を支えていきたいと願いを込めて。
「分かった。じゃあ、私がタキシードを着て一緒に歩いてあげる!」
「そうしよう」
得意気に笑う娘と星空を見上げる。
この子がいつまでも笑顔でいられますように。
『流れ星に願いを』
「いただきます」
「……」
「ねぇ美味しい?」
「……ん……」
「ご馳走様でした」
「……」
「あっそうだ、明日休みでしょ? 買い物付き合ってよ、朝から市場に行きたいのよ」
「仕事」
「えっ、明日祝日なのに仕事なの? なんで?」
「……」
「おはよう」
「……」
「さようなら」
「……え?」
『ルール』
カップラーメンの残り汁にスプーン2杯のご飯を入れる。
それを掻き込んだ時。
「やっちゃったよー!」
と笑顔になる。
みかんを食べながら、三ツ矢サイダーを口に含む。
「あれ? 私もしかして発見しちゃった?」
と味覚を刺激してくるサイダーを、更に更にと流し込む。
コンビニ弁当に
「ダメよダメよ」
と思いながらも、宝石の様に振り掛ける岩塩。
背徳感という幸せを噛み締める、私の人生のピットイン。
雨の日は、半袖に短パンを着て、傘も差さずに外に出る。
そんな私の
『今日の心模様』
また4月23日。
何度も繰り返した4月23日。
僕はまたこの時間に戻ってきた。
永遠とも思えるこの時間に、最初は戸惑っていた僕も今では喜びを感じている。
これから彼女とデートに行けるのだから。
お洒落な音楽を聴きながら一番のお気に入りの服に着替えた僕は、彼女との待ち合わせ場所へ向かう為に家を後にした。
いつもと同じ場所で待っている彼女に、いつものように声を掛ける。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「ううん、さっき来たところだから」
手に持っていたスマホをカバンに仕舞うと、何かに気付いたようで僕のことを目を丸くして見てきた。
「あれー? たかし、格好いい服着てるね、どうしたの?」
「そう? こないだ買ったんだよ」
彼女は何か閃いたように悪戯っぽい笑顔で笑った。
「それじゃあ行こうか」
「そだねー」
軽いノリで出発しようとすると、後ろから慌ただしい声が聞こえてくる。
「待て待て待て待て! トイレ行くって言ったじゃん」
「ごめんごめん、しょうたと見間違えちゃった」
「見ま……」
トイレから出てきたしょうたは、そこまで言われて気付いたのか、額に手を当ててため息をついた
「おい、たかし、その服……」
「あれあれー? たかしとしょうたペアルックじゃん、どうしたの、付き合ってんの?」
「お前まさか、たかしにも同じ服プレゼントしたんじゃねーだろうな!」
「んなわけ」
これ以上は喧嘩になりそうなので、僕からネタばらしをした。
「この前買ったんだよ、たまたまね」
「は〜マジかよ」
分かりやすく落ち込むしょうたに彼女は提案する。
「しょうた、この前うちに泊まったときに服置いていったでしょ、それに着替える?」
「ああ」
その提案に乗って彼女の家に寄る話になったが、勿論彼女の家に辿り着くことはない。
この時間も終わりが近付いてきている。
三人が並んで歩いていると、対向車線を走っていたトラックがセンターラインを超えて猛スピードでこちらに向かって走ってくる。
歩道に突っ込んでくるトラック。
目の前まで迫ってきた鉄の壁に、僕らは一様に死を意識させられる。
助かる訳がない。
その瞬間。
「しょうた!」
彼女が僕に向かって飛び込んでくる。
僕は手を広げてそれを受け止め、彼女は目を丸くして言った。
「あっ」
また僕は繰り返す。
叶わぬ恋が叶うのなら、死んだって構わない。
「たとえ間違いだったとしても」