あなたが変わっていったことに名前をつける。わかりやすいようにと自分で区切りをつけて、そのくせそれの実在を信じている。別に悪いことではないでしょう。たとえば、あの色付いた葉が落ちる頃が目安だろうか。
今日はすこし暑いね。こういう困ったことは一つ切り捨ててしまう。かつてのあなたのことを忘れたいわけでは決してないんだけれど、思う通りになってほしい、って、たぶん誰もが少しは思っているし。
こんな今日が来るなんて、これまでずいぶんの間考えたことがあった?あったとしたら、望んで手繰り寄せたものなんだと思う。それが首を括る縄であったとしても。一つ一つは物語で、それらはつながって今に至る。そうやって信仰していたい。
そろそろ冬が始まる、って、誰ともなく口にする。イルミネーションを見るとやっぱり嬉しい。どこから冬がやってきて、いつ通り過ぎてしまうのか、誰も知らなかったはず。ドーナツは穴が空いたやつだとおもう。冬が来ないと困るから。
体温計が平熱より高い温度を指したことを喜んでしまうような日々の残り物が、まだ生活の端にあるような気がしていた。目を閉じれば眠りにつけるけれど、明日を迎えたくなくてブルーライトを頼った。
一度、二度、三度、目覚めては走り下りる夢を見てついに目を覚ます。夢では何度起きても焦れたのに、動かない体を以て現実感をやっと得る。不適合を露呈させないことが善いことだとするなら、怠惰のレッテルは盾だった。
微熱みたいなズレだった。怠いような気分が続いていた。永遠に続くわけじゃない日々に、残量が足りて良かったと思う。
いつだったかな。喫茶店に行ったんです。そこには雑貨も置いてあって。手編みのセーターが、7500円でね。安いね、って話してみたくなったんです。そんなに安くなくっても、いいとも思ったんですが。
喫茶店はいい香りがしましたよ。コーヒーの香ばしい感じもあるけれど、アロマの精油も取り扱っている店でしたから。感じる、って、どうして大事なものです。忘れがちだけれど、あんまり自分の頭の中に閉じこもっていると、置いていかれてしまうから。
素敵なものを見て、いつだって素敵だなあって思えるわけじゃない。精一杯、そうあれるように足掻いているだけだからね。
ね、手作りってすごいですよね。作った誰かの、時間と手間をそのまま手にするんです。向こう側は、まだ、秋に見える。もしかしたら夏だったり、春だったかもしれないけれど。
「奈落」と書いてある紙を拾いました。太いゴシック体の文字でした。手のひらの半分に収まるくらいのちいさな紙でした。
途方をなくしてしまったようで、つまりは大人でも迷子になるんですね。いつもなにか苦しそうだった。解答欄の空欄は埋まりましたか。
果てまで行くの。って君が言うから内心困った気持ちになりました。果てなんて無いのに。宇宙は光より早く拡大していて、人間たちがどれだけ走ろうと追いつきようもない。電車を追いかけるより無謀です。あるいは、もしかしたら、やさしい眠りにつくよりも。
とはいっても、君は電撃を駆け上っていって、それで、一体どこまでいくの。君のために、小さな町を作ってあげますよ。作るのはパン屋さんが好きだけど、君は食べるのがあんまり好きじゃないね。よだかではないのだから、どこまでもいけるわけじゃない。仕方がないから、帰っておいで。
言葉というのは文化の副産物のようなもので、つまりは届くとは限らないんですね。底が抜けたコップには、いくら注いだって意味をなさない。奈落は君の名前だったかもしれません。最後に小さな町も、君の奈落に落としておくね。
公園の土手の敷石のそのなかに、色のある光沢を見つけて立ち止まった。それをじぃとみてみると、なんの瓶飲料の欠片なのか、少し濁ったような綺麗な硝子片だった。
後ろから小さな子供が駆けてくる。立ち止まってそれを眺める自分の前に飛び出し、しゃがみこみ、これを拾う。「ああなんてきれいな硝子なんだろう!宝石みたいだ!」
子供はあたりを見回し、このきれいな石のいくつかあるのを発見する。そうして手のひらに拾い集める。子供の手のひらの中、捨てられたがらくたの硝子片が宝箱の中に招かれる。敷石の中に微笑むような温度が見える。かつての子供がそれを眺める。手を伸ばして、ひとつ、拾った。