秋恋
この季節はスポーツだの食欲だの、とにかく何かを始めるにはちょうどいいらしい。数カ月後に迫った新年の抱負と同じく達成できる人はいないだろうが、たしかに過ごしやすくてやる気にはなるけど肩に力が入りすぎなくていい。ただしそれはイメージする秋になっていればという条件が付く。
夏休み期間が過ぎても平気で真夏日になるようになって久しい。残暑とはなんて未練がましいのだろうか。自分勝手でしつこいと嫌われるというのは恋と同じなんだなと気づいた。この夏の俺と一緒だ。得るものはなく失うどころか、相手から大事なものを奪ってしまった感覚すらある。秋が似合う貴方に夏にすらなれない俺では上手くいかないのは当然だったのだろう。近づくことも叶わないのならば、せめて燃え尽きて貴方の養分になりたい。
君からのLINE
うるさく言いたい訳ではないけれど、一言だけでも送って欲しい。落ち着かずに何度も画面を確認するくらいならお風呂に入ればよかったなと昨日と同じ後悔し始めた。
「……はぁ」
体を伸ばしながら視線を上げると短針は下半分を過ぎたくらいだった。自分がこんなに心配性だとは知らなかった。いくつになっても知らないことがあるのね、と暇つぶしに何度開いたかわからないニュース記事を見ながら思った。
私が同じ年頃にはメールがあった。今より通信制限があったし気軽なものではなかったから似てるとは言えないけれど、だからこそスタンプのひとつでも送って欲しいと思ってしまう。同時にそんなことわかってるけど面倒くさいのよねとあなたの気持ちをわかるフリもしてしまう。
「あー、もうやんなっちゃう!」
いつまでも考えてたらきっと帰ってきた時にやつあたりしてしまう気がして重たい腰を上げようとしたそのとき、この時間だけオンにしてる通知がなった。見慣れたアイコンと「もうすぐ家」とひとこと。座り直しながらこっちにも準備があるんだからもう少し早く連絡しなさいよと心の中で呟いた。だいたいもう着くなら送ってこないでさっさと帰ってきなさい。そんな理不尽なことを思いながら、あなたにおかえりなさいを言うための準備を始めた。
踊るように
穏やかな波の音を聞きながら少し足を取られながら歩くのは楽しい。特に足が沈み込む感触は眠る瞬間に似ていて心地がいい。そんな晴れやか心とは裏腹に頭は不安で覆い尽くされている。数日前に目が覚めたとき、ここどこで自分が誰かわからなくなっていた。おまけに自分以外の何かがいる気配もない。幸い食事や睡眠が必要であるという生物としての本能まではなくなっていなかったが、何日も前から歩き続けてもなんの成果も得られない状況は堪えるものがある。そんな考え事をしていたら突然足を取られた。
「っ!?」
咄嗟に後ろへ跳んだ。目線を下げるとそこには自分の足跡の他にもへこみがった。あっちへいったり戻ってきたり、海へ向かったと思えば逆方向へ進んだりしている。名も姿も知らぬその何かもきっとこの砂浜を楽しんだことだということだろう。
数は多くないが見えなくなるくらいまで続いている。なにより今日できたものであることは確かだった。それを理解した瞬間、僕の足は軽やかに風に乗って宙を舞うように動き始めた。
時を告げる
今日もあの時間がやってきた。毎日わたしを悩ませ、苦しませる。そしてなによりも恥ずかしい。目の前にいるケルベロスが鳴くよりも大きな音が響き渡る。そう、ぐぅううううーーぐぎゅううーーとお腹がなってしまう。
天使でしかも下位に属するためにわたしの仕事はとても多い。死んでしまった人間を導き、悪魔や魔物と戦いそして人間を守護する。対象は増える一方なので毎日てんてこ舞いである。そんなわたしの今日の仕事はケルベロスを地獄に返すこと。絵画で描かれる様に空気が張り詰めている中で行われる。まして戦闘のエリートである能天使様までいるそんな状況でなってしまったのだ。ケルベロス達でさえその場にいた全員の視線がわたしに集中する。耐えきれず琴よりも震える声で言わざるを得なかった。
「ご、ごめんなさい」
顔が古い赤ワインみたいになってしまう。むしろ酔ってしまったぐらいだろうか。
あぁ、もうだめ。周りのことなんか気にできない。こんなことなら堕天してしまいたい!
貝殻
「貝殻とゴッホは似てるんだよ」
空を見ながら天気の話をするように彼女は言った。唐突に意味のわからないことを言うことがよくある子だけど、今回は群を抜いていて怪訝な顔をしてしまった。そんな私なんかを気にかけず淡々と語り始めた。
「貝殻ってね貝が死んだ後に残るものなんだ」
「生きてる間は中のウネウネが気持ち悪いって言われるのに死んじゃったら綺麗って言われるようになるの」
「ゴッホも生前は一枚しか絵が売れなかったんだって」
そこまで話して彼女は私の方を向いた。
「そこにあったものは変わらないのに評価が変わるなんて変だと思わない?」
この顔は私の反応を楽しんでるだけだ。別になにか良い答えを期待しているわけじゃない。それでも意趣返しがしたくて5秒くらい考えた。
「でも生きてる間だって同じだよ。同じことをしても同じ様には評価されないことばっかりだよ」
そこまで話して彼女の意図にようやく気づいた。彼女は涙が出るほど笑った。
「そっか! じゃあ生きてたほうがいいね!」
流石に分が悪くなって私は屋上の縁からひらりと着地した。今日も勝てなかった。
「もう遅いし帰ろ!」
ようやく日誌が書き終わった時と同じ笑顔でドアへ向かい始めた。嬉しさが滲み出る背中を見ながら思った。実のところ死にたがりは私の方で、変人だと思われてる彼女に毎日生かされてるなんて誰が信じるだろうか。もしかしたらバレてるかもしれないし、一生誰も気づかないかもしれない。でもそんなことはどうだっていい。
この歪な関係だけが私を生かしてくれるのだから。