伽藍

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7/23/2024, 2:20:26 PM

夏になると思い出す。

ひまわり畑を背にニッカリ笑う元気な少女。

日焼けした肌にはそばかすがあり、頬はいつもほんのり

赤かった。あの子は男子にからかわれるから

自分の容姿がコンプレックスだというけど、

ボクは、向日葵みたいに明るい彼女が大好きだった。

照れくさそうに目尻を細めて、そばかすのうかんだ

ほっぺを赤くしてはにかむ表情は、

まるで蕾から花が咲いたみたいに

瑞々しい艶やかさがあった。

ジリジリと灼けつくような太陽に照らされて

暑さから立ち込める熱気は蜃気楼のように揺らめく

暑さにのぼせ上がって思いのまま、麦わら帽子をかぶったあの子の乱れた髪に触れればよかった。

なんて、告白もできない臆病者がそんなスマートなこと
できるわけがなかったが。

想いを伝えることもないまま、だんだん接点もなくなって

今ではお互いそれぞれの人生を歩んでいる。

だけど、思い出となった初恋の残骸がザワザワ

動き出すときがある。

それは決まって向日葵が咲く蒸し暑い季節だ。

ボクは、花が咲いて芽が出る瞬間の美しさを知っている。

くしゃっと細まったキラキラした瞳

笑った口元にのぞく白い八重歯。

今頃あの子は、どんなふうに生きてるだろう

花は咲いてしまった。だから、これからより多くの人を

魅了していくのだ。ボクの思い出と共に

枯れ果てるその瞬間まで。








「花咲いて」

7/23/2024, 3:52:07 AM

もしもタイムマシンがあったら、

過去の自分に会いに行きたい。

そして、笑顔で感謝を伝えたい。

「ありがとう、アナタのおかげで未来(今)の私は

幸せに過ごすことができています。だから、

生きていてくれてありがとう。前に進むことを

諦めないで、笑顔で明日を迎えようとするそんな

アナタが大好きです」

生きていたら、楽しいことばかりじゃない

打ちのめされて何もかも投げ出したい時もある。

それでも、自分自身を諦めたくない。

絶対に幸せになるんだ。

未来の私に幸せになりたいと願いを託したアナタに

最高の笑顔を見せてあげたい。

アナタには眩しい未来が待っている。

だから、生きていてくれて

ありがとう。

「もしもタイムマシンがあったら」

6/3/2024, 3:22:30 AM

正直とは、諸刃の剣である。
自分の心に嘘をつかず、正しいと思った事を
貫き通せば誰かが傷つく結果になる。
そして何より、己自身も損をしてしまう事が多い。

当然だが、人間は我が身が1番可愛い。自分に
得のないことは極力したくない。
しかし、人にはちゃんと良心というモノが存在している。
それを他者に見せる事があまり良しとされない事くらい
理解しているから社会で生きていく為に、誠実であれ、
正直であれと、思ってもいないことを人々は口々に言う。

だけど、あくまで正直である事は理想論に過ぎない。
綺麗事だけでは世の中生きていけるほど甘くない。
自分だけでなく、大切な人を守る為に仮面を被り
偽る事が必要になってくるときもある。

正直である事は、人生を豊かにする上で
大事かもしれない。
だけど、正直さは時と場合によって無神経であるように
見える。人にはそれぞれ事情や感情があるからだ。
正直さ、誠実さ、無神経さはカテゴリーが微妙に違うから
より複雑化してしまうのも一因かもしれない。

重要なのは、どんな自分でありたいか、それに尽きる。

「正直」

6/2/2024, 6:27:59 AM

もう、梅雨の時期に入った。

屋根を叩きつける雨の音が煩わしくてこの季節は特に
憂鬱になる。
空から、降り注いで地面に向かって落ちていく雨は
普段は気にしない土とコンクリートの匂いを感じさせる。

お気に入りのスニーカーは、ずぶ濡れになるから
気が滅入るけど、こんな時ほど自分の好きなファッションに身を包んで一目惚れして買ったパステルグリーンの傘を差して街を歩きたい。
少しでも、気分をよくして1日を乗り越えられたら
それだけで今日も頑張れたって思えるから。

梅雨が明けたら、今度は紫外線と戦う為に日焼け止めを
装備する日々がやってくるけれど、眩しい太陽にカラッと
晴れた青空を見上げてお散歩に出かけられたらそれは
それで楽しみになってきた。

私って、案外単純なのかもね。

「梅雨」

5/31/2024, 3:58:41 PM

無垢とは、一言でいうと真っ白なことを指すと思う。

清らか、自然体、純真、偽りがない、素直、
人によっては様々な表現を使うだろう。
それら全ては、心象風景が真っさらに思えるから
言語化するとニュアンスが近い単語が出てくるのかもしれない。
あの人は透明感があるという褒め言葉もあるくらいだ。
それだけ、白く真っさらなものは美しいと私たちは
捉えるのだ。

何故、無垢とは何かと問われると同じような単語を
人々はイメージできるのか。
それは、きっと人間誰しも無垢である一面を持ち合わせているからだ。
厳密にいうと、無垢であった頃の自分を知っている、が
正しいかもしれない。

この世に産まれたばかりの赤ん坊がまさにそうだ。
何一つ、けがれていない、邪推も煩悩も知らない。
まさに、純粋とはこの事をいうのだろう。
だからこそ、庇護欲をそそられ愛おしいと思う。
なかにはその存在を疎ましく思う者もいる。それは、眩しすぎて遠ざけたくなるからなのかもしれない。
白いキャンバスのように、これから鮮やかに多種多様な
色彩に染まっていく。
誰1人として、同じ色には染まらない。それを、個性と呼ぶのだ。
何も染まってない真っ白な状態というのは、これから
何色にでも染まっていく、何者にでもなれる。そんな意味がこめられていると思った。
無邪気な子供の、瞳のキレイさといったら。
良くも悪くも真っ直ぐに見つめられて思わずそらしてしまいそうになる時もあるくらいだ。
だけど、その瞳の奥の心情からは悪意は一切読み取れない。ただ、そこには大人のように凝り固まった先入観が
はさまれていないからだろう。
それを目の当たりにする度に、ノスタルジーな気持ちすら
覚えるのは私だけだろうか。

これから、その無垢な心に色がついて純白ではなくなるかもしれない。鮮やかな色ではないかもしれない。
それでも、色に染まった大人の私たちは、子供の無垢さに
触れて童心に帰れることは可能だ。
だからこそ無垢とは尊いものだ。その美しくて儚い真心を
見守っていきたい。

「無垢」

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