伽藍

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6/2/2024, 6:27:59 AM

もう、梅雨の時期に入った。

屋根を叩きつける雨の音が煩わしくてこの季節は特に
憂鬱になる。
空から、降り注いで地面に向かって落ちていく雨は
普段は気にしない土とコンクリートの匂いを感じさせる。

お気に入りのスニーカーは、ずぶ濡れになるから
気が滅入るけど、こんな時ほど自分の好きなファッションに身を包んで一目惚れして買ったパステルグリーンの傘を差して街を歩きたい。
少しでも、気分をよくして1日を乗り越えられたら
それだけで今日も頑張れたって思えるから。

梅雨が明けたら、今度は紫外線と戦う為に日焼け止めを
装備する日々がやってくるけれど、眩しい太陽にカラッと
晴れた青空を見上げてお散歩に出かけられたらそれは
それで楽しみになってきた。

私って、案外単純なのかもね。

「梅雨」

5/31/2024, 3:58:41 PM

無垢とは、一言でいうと真っ白なことを指すと思う。

清らか、自然体、純真、偽りがない、素直、
人によっては様々な表現を使うだろう。
それら全ては、心象風景が真っさらに思えるから
言語化するとニュアンスが近い単語が出てくるのかもしれない。
あの人は透明感があるという褒め言葉もあるくらいだ。
それだけ、白く真っさらなものは美しいと私たちは
捉えるのだ。

何故、無垢とは何かと問われると同じような単語を
人々はイメージできるのか。
それは、きっと人間誰しも無垢である一面を持ち合わせているからだ。
厳密にいうと、無垢であった頃の自分を知っている、が
正しいかもしれない。

この世に産まれたばかりの赤ん坊がまさにそうだ。
何一つ、けがれていない、邪推も煩悩も知らない。
まさに、純粋とはこの事をいうのだろう。
だからこそ、庇護欲をそそられ愛おしいと思う。
なかにはその存在を疎ましく思う者もいる。それは、眩しすぎて遠ざけたくなるからなのかもしれない。
白いキャンバスのように、これから鮮やかに多種多様な
色彩に染まっていく。
誰1人として、同じ色には染まらない。それを、個性と呼ぶのだ。
何も染まってない真っ白な状態というのは、これから
何色にでも染まっていく、何者にでもなれる。そんな意味がこめられていると思った。
無邪気な子供の、瞳のキレイさといったら。
良くも悪くも真っ直ぐに見つめられて思わずそらしてしまいそうになる時もあるくらいだ。
だけど、その瞳の奥の心情からは悪意は一切読み取れない。ただ、そこには大人のように凝り固まった先入観が
はさまれていないからだろう。
それを目の当たりにする度に、ノスタルジーな気持ちすら
覚えるのは私だけだろうか。

これから、その無垢な心に色がついて純白ではなくなるかもしれない。鮮やかな色ではないかもしれない。
それでも、色に染まった大人の私たちは、子供の無垢さに
触れて童心に帰れることは可能だ。
だからこそ無垢とは尊いものだ。その美しくて儚い真心を
見守っていきたい。

「無垢」

5/31/2024, 9:59:49 AM

自分探しの旅に出かけるという言葉がある。

それだけ聞くと、本当の自分を見つけて成長し、
これからの人生どう過ごすのか旅をしながら考える
みたいなざっくりしたイメージが私の中で湧いてくる。
抽象的すぎて、結局どう探すんだよと内心思っていたが
歳を重ねて、今まさに人生の岐路に立たされている私は
その言葉の意味を考えざるおえなかった。

己を知る事で、この世に生まれた意味、命の使い方、
どんな望みを秘めているか、大概のことが明確になると
そこに向かって走っていけるのだ。
人間は、誰よりも何よりも自分の事を深く知りたい。
他人の性格診断よりも自分の性格診断の結果が知りたいのがまさにそれを体現していると思う。
人は、自分の為にしかその生命を使って生きる事が
できない。誰かの人生の責任なんて取れない、そのまた
逆も然りだ。
私は、わたしにしかなれない。他の誰にもなれない。
だからこそ、自己理解が生きるうえで必須なんだと
痛感した。

ならば、本当のわたしはどう生きていきたいんだろうと
悩み続け、考えるのさえ億劫になるほど疲弊し切っていたがふと、ある考えがよぎった。はたして子供時代の私は、こんな複雑で面倒なことを考えて悲観していただろうか。
むしろ、何も考えてなかったし幼さ故に無知で無鉄砲だから、そんな事を考えられるキャパも持ち合わせてすらいなかった。
漠然と進んでいく未来の事などどうでもよかった。お菓子が食べたいなら満足するまで食べたし、眠くなったら寝た。くだらない事ではしゃいでは笑って、飽きたら見向きもしなくなる、そしてすぐ怒って気が済むまでわんわん泣いては翌朝ケロッとしてた。ただ、今この瞬間をがむしゃらに、心のままに生きていた気がする。シンプルだけど、これが本当のわたしなんだと気づいた。

幼少期を振り返り、子供時代に熱中した好きだったものが
自分のやりたい事に繋がっていたりする。
自分探しの旅とは、歩いてきた道を辿って原点回帰するという意味ではないだろうか。
過去の記憶は、楽しいばかりではない。思い出したくもないほど深く傷ついた経験も含まれている。無邪気な子供は
その柔らかい心を傷つけられて、なんとか折り合いをつけてやがて大人になる。だけど、それは結局忘れたくて感情や本音に蓋をしただけではないか思う。
だからこそ、誰もが不足を感じてこのままでいいのかと
不安になるんだ。

己を知る事は、現在だけではなく過去の自分を振り返る事も含まれる。そこには、懐かしさと痛みも伴うだろう。
それでも、よりよい人生を歩みたい。本当の自分になりたい。だから人は旅に出たいんだ。
それは昔の自分に会いにいく旅。
本当のわたしを、迎えにいく旅。

「終わりなき旅」

5/27/2024, 3:31:17 PM

天国に行けば、きっと幸せになれる。
そんなおかしな夢を子供時代、心に秘めていた。

無邪気に、外を走りまわる同級生にくらべて
ほんのちょっぴり変な子供だった私は、やはり
浮いていたと思う。

いつも、喉を掻きむしりたくなるような寂しさを
振り切るようによく空想をしていた私は、やがて物語の
世界に逃げるようになった。少しでも、現実から目を背けたかったからだ。

そして、天国と地獄がテーマの物語を読んで
そのヘンテコな結論に至った。
その本のタイトルは、思い出せない。確か、図書館に
置いてある児童書だったと思う。

天国に行く為には、いい人でなければいけない。
悪い人は、地獄に落ちてしまうから。
純粋ゆえに、そう思い込んでしまった私はやたら人に
親切にしたりどんな時も笑顔を心がけるようになった。

だけど、当然それは長くは続かなかった。
いい人になりたいのは、天国で幸せになる為で
自主的でもなければ、心からの行動でもなかったからだ。
当時は、空回りしてばかりでどうして上手くいかないんだと悩んでいたけど今にして思えばずいぶん滑稽な話だ。

「天国に行けばきっと幸せになれる」、なんてそんな
夢に縋った幼き日の自分に言いたい。
天国に逝かなくても、アナタはこの世界で
幸せになれるのだと。
例え、今この瞬間苦しくて、悲しくて不幸でも
それは人の寿命みたいに長くは続かないのだ。
明日の自分が何を考えているかなんて誰にも分からない。
だからこそ、天国という絶対的な楽園を求めてしまった。
ただ、不安だった。現実世界で生きる私は、孤独で
寂しくて今が幸せじゃないから存在するかも分からない夢に焦がれていた。
大人になった、私は過去の私を愚かだと思っている。
それと同時に、感謝したかった。天国に逝かなくて
ありがとう。現実世界を諦めないでくれてありがとう。
あなたのおかげで、私は大人になった。

行けるか分からない、眼には見えない天国より
今、この世界に存在している事が私にとって重要だ。
存在しているのなら世界に祝福されている証拠だから。
この世界こそが、私にとっての天国なのかもしれない。

「天国と地獄」

5/27/2024, 4:22:45 AM

月に願いを

月には人を狂わせる力があるってどこかで、聞いたことがある。
当時は、無知である故に理解できなかったけど
今なら分かる。
だって、私はあの頃の無邪気な子供を脱皮して大人になってしまったから。

もし、月に願いを届けられるならば幼き日の自分は何を願うだろう。
そんなくだらないことを考える。
無邪気で、無知だった私はきっと自分の正直な願いを言葉にできるだろう。そう予想できるのは、私が物事を複雑に考えられる大人になってしまったからだ。

月に魅入って人が、狂うとしたらあらゆる煩悩を抱えた大人なのかもしれない。そこには、子供特有の純粋さや素直さを忘れてしまった人間の成れの果てなのだろう。

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