伽藍

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自分探しの旅に出かけるという言葉がある。

それだけ聞くと、本当の自分を見つけて成長し、
これからの人生どう過ごすのか旅をしながら考える
みたいなざっくりしたイメージが私の中で湧いてくる。
抽象的すぎて、結局どう探すんだよと内心思っていたが
歳を重ねて、今まさに人生の岐路に立たされている私は
その言葉の意味を考えざるおえなかった。

己を知る事で、この世に生まれた意味、命の使い方、
どんな望みを秘めているか、大概のことが明確になると
そこに向かって走っていけるのだ。
人間は、誰よりも何よりも自分の事を深く知りたい。
他人の性格診断よりも自分の性格診断の結果が知りたいのがまさにそれを体現していると思う。
人は、自分の為にしかその生命を使って生きる事が
できない。誰かの人生の責任なんて取れない、そのまた
逆も然りだ。
私は、わたしにしかなれない。他の誰にもなれない。
だからこそ、自己理解が生きるうえで必須なんだと
痛感した。

ならば、本当のわたしはどう生きていきたいんだろうと
悩み続け、考えるのさえ億劫になるほど疲弊し切っていたがふと、ある考えがよぎった。はたして子供時代の私は、こんな複雑で面倒なことを考えて悲観していただろうか。
むしろ、何も考えてなかったし幼さ故に無知で無鉄砲だから、そんな事を考えられるキャパも持ち合わせてすらいなかった。
漠然と進んでいく未来の事などどうでもよかった。お菓子が食べたいなら満足するまで食べたし、眠くなったら寝た。くだらない事ではしゃいでは笑って、飽きたら見向きもしなくなる、そしてすぐ怒って気が済むまでわんわん泣いては翌朝ケロッとしてた。ただ、今この瞬間をがむしゃらに、心のままに生きていた気がする。シンプルだけど、これが本当のわたしなんだと気づいた。

幼少期を振り返り、子供時代に熱中した好きだったものが
自分のやりたい事に繋がっていたりする。
自分探しの旅とは、歩いてきた道を辿って原点回帰するという意味ではないだろうか。
過去の記憶は、楽しいばかりではない。思い出したくもないほど深く傷ついた経験も含まれている。無邪気な子供は
その柔らかい心を傷つけられて、なんとか折り合いをつけてやがて大人になる。だけど、それは結局忘れたくて感情や本音に蓋をしただけではないか思う。
だからこそ、誰もが不足を感じてこのままでいいのかと
不安になるんだ。

己を知る事は、現在だけではなく過去の自分を振り返る事も含まれる。そこには、懐かしさと痛みも伴うだろう。
それでも、よりよい人生を歩みたい。本当の自分になりたい。だから人は旅に出たいんだ。
それは昔の自分に会いにいく旅。
本当のわたしを、迎えにいく旅。

「終わりなき旅」

5/31/2024, 9:59:49 AM