百日紅落下は不思議な少女だった。
容姿端麗、文武両道。
誰にでも優しく、彼女の唇から紡がれる言葉を聞くと、柔らかなマシュマロのような穏やかな心地がした。
彼女は、初等部中等部高等部とまとまっている一貫性の、我が日捲り学園において、最も美しい小学五年生だった―――否、周囲の少女たちと比べるのも烏滸がましいくらい、完璧な美少女だった。
と、みんなは言っているが、これは全くのデタラメだと、僕は考えている。
彼女―――百日紅落下は、完璧な美少女だなんてとんでもない、ただの詐称者である。
完璧な美少女―――悪の存在が正義を創り出すといったように、落下は、周囲を蹴落とすことにより、相対的に自分の評価を上げているのだ。
それで。
それだけで、だから彼女は、完璧の皮を被っているだけの、罪人なのだ。
もちろん、僕はなんの根拠もなく、他人を罪人呼ばわりするほど悪人ではない。
根拠のない持論は、ただの妄想である。
僕の持っている確たる根拠・・・、それは、去年の夏頃に目の当たりにした事実だった(真偽を証明出来ない証言を根拠とするかどうかについては、各々で審議してもらいたい。少なくとも、僕が今することではない)。
夏休みが入ってまだ一週間も経っていない日曜日の昼過ぎ。昼食を食べ終わった僕は、子供らしく外で遊びなさいと言う母親の言葉に従って、小銭をポケットに突っ込んで家を出た(少し歩いた先にある公園の近くに、駄菓子屋があるのだ。公園で遊ぶよりも有意義に時間を使える)。
そして向かって、向かった先に、彼女は―――百日紅落下はいた。
一人だった。
一人で、駄菓子屋の店先にある、ガチャガチャの前に腰を下ろしていた。
そのときにはまだ僕は、周囲の凡人たちと同じように、彼女のことを完璧な美少女と信じて疑っていなかったので、一体何故こんなところに一人で―――しかも、『あの』ガチャガチャの前にいるのかと、訝しげに思った。
『あの』ガチャガチャ。
ここ可憐田町には、所謂七不思議というものが存在するのだが、駄菓子屋のガチャガチャは、七不思議の一つに入っている。
なんでも、ガチャガチャの中にたった一つ、シークレットとして悪魔が梱包されているのだとか。
そしてふと、僕は考える。もしや、彼女は、シークレットの存在を信じてここにいるのではないのか、と。
そう思うと、彼女に声かけようと踏み出した足も、思わず止まってしまうというものだった。
近くの鉄柱に姿を隠しながら、百日紅の姿を覗き見る。
しばらく、台の前でぼーっとしていたようだが、おもむろに立ち上がると、ポケットから取り出した百円を台に入れ、ガチャガチャを回し始めた。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
回して、開けて、お目当てのものが入っていないことを確認すると、また回して、開けて・・・、そんな繰り返しだった。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
「・・・・・・・・・・・・」
百日紅は、開いたそれを見ると静止した。
よく見れば、その口元は僅かに弧を描いていた。
「やった。やった・・・! また、出た!」
『また』出た。
小さく呟くように零された声に、僕は、今まで己が信じていた彼女のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく感覚をおぼえた。
開かれたそこからは、黒いモヤのようなものが湧き出てくる。
それは、煙のように上空に昇りながら、着々と人の姿を形作っていった。
悪魔だ。
と、僕は反射的に思った。
可憐田町の七不思議が一つ、駄菓子屋のガチャガチャ。
その噂は、どうやら確かな事実らしかった。
モヤが完全に人の姿をとると、百日紅はソレに向かって、弾むように言った。
「わたしの、わたし以外の子たちを、全員端女にしてほしいの。そうして、それから、加減法もまるで出来ないようなおばかさんにしてほしいわ。そうすれば、そうしたら、きっと、それで、ようやくわたしは―――完璧になれるの。だから―――」
恍惚としたその表情に、僕は考えるまでもなく、行動に移した。
初めてだったから。
こんなにも歪んだ性根を持っている、自分以外の人間に出会ったのは。
悪魔すらも自分の欲を満たす道具として使い、他人を蹴落とし自分の敷居を上げる―――そんなどうしようもない、人間と呼ぶには烏滸がましい罪人。
きっと、僕と彼女は仲良くなれる。
「なにをしてるの、アマト」
舌っ足らずな声変わり前の少女の声が、思考の海にとっぷりと沈んでいた僕の腕を引きずり上げた。
百日紅落下の手には、黒色のカプセルが収まっている。
「ああ、気にするなよ、落下。きみがどんなに愚かしく卑しい女なのかということを、改めて討論していただけなんだ、自分自身とで。そんなことより、それは悪魔だろ? 相変わらずきみは、運だけは良いんだね」
「・・・・・・・・・」
「そう睨むなよ。きみが、誰にもバレずに『完璧な美少女』でいられるのは、僕がきみの共犯者をやっているからじゃあないか」
「だれも頼んでいないのよ、そんなこと。わたしには悪魔さえついていれば、少なくとも、日捲り学園では一番の美少女になれるのだから」
悪魔の入っているカプセルを抱き締めるように、強く握りしめる彼女を、僕は憐れみの目で見つめる。
やはり、彼女も凡人の一人であることに変わりないらしい。
悪魔が無限の存在であるが故に、ガチャガチャでシークレットを当てれば何度でも願いを叶えてもらえると、そう本気で信じている。
その話自体、どこの誰が言ったかも分からない眉唾ものの話だ。
全くもって、理由価値がある。
純粋で、他人の意見を頭ごなしに信じることが出来る少女というものは。
「可哀想は可愛いと言うが、案外馬鹿に出来ない言葉だと思うよ。きみは可哀想だ。しかし、そんなところが可愛い。愛しているよ、落下」
「・・・・・・・・・わたしはあなたのことが、大嫌いよ」
はてさて。
愚かしくも愛おしい人間たちが、梱包された悪魔の瞳からはどう見えているのかは、神ならぬ、悪魔のみぞ知るところである―――。
グリモワール―――フランス語では一般的に、魔導書を表す言葉。
そんな、厨二心を擽られる書物に出会った俺は、未だかつてない焦燥感に駆り立てられていた。
部屋の中を漁れば、真偽が不確かな魔術の書や、怪しげな液体の入った小瓶や、髑髏をあしらった水晶などが山程出てくる俺という人間は、もちろん本物の魔導書というものに憧れを持っていたし、それがどんなに危険な道程になろうとも、いつか手に入れたいとさえ思っていた。
そんな俺がだ。どうして件の、憧れの人―――ならぬ、憧れの本に出会って、一体何故焦燥感を覚えるのだと、疑問に思う方は大勢いると思われる・・・、無理もない、先刻まで、魔導書をものにしたいとまで思っていた男がである。
しかしだ。
もしも、読者諸君の中に、魔導書や、その類のものに、少なからず憧れを持っている方がいたとしよう―――それを前提に、もし君たちにきょうだいがいると仮定して、そんな、姉ないし兄ないし妹ないし弟ないしetc・・・が、怪しげな言語で構成されている書籍を持っていたとしたら、一体どんな感慨になるだろうか?
因みに、俺はこう思った。
これはまずい、と。
・・・まあ、この際真偽のほどは置いておくとしよう。
これが仮に本物だとしても、偽物だとしても、俺の状況がまずいことに変わりはないのだから。
おそらく、きっと、いいや確実に、俺は殺される。
仮に。
君たちにきょうだいがいたとして、そのきょうだいにえらく甘やかされ溺愛されていたとしたら話は別だ。全く心配する必要性はない。今日の夜はなんの不安に取り憑かれることもなく、なんならぐっすりと眠って、疲れを癒すこと違いない。
しかし、だ。
俺のきょうだいは、一つ上の姉で、しかも俺は溺愛されてなんていないし、なんなら邪険に扱われていると言ってもいい。
この文だけを見れば、姉のいる読者諸君には薄々察してもらえるだろう―――察してほしい。
姉がガチの魔導書を扱うような、凡庸という言葉には欠片も当てはまらないような、所謂特別な人間だとしてみる。
その場合、俺はおそらく、口封じやらなんやらで殺される。理由がなくても多分殺される。
何故なら相手は、世にも恐ろしい魔術を駆使するのだから―――!
しかし、この想像が俺の杞憂だった場合でも、残念ながら、そうやすやすと息をつくことは出来ない―――姉と弟というものは、いつの時代場所限らず、姉の方に権力が集中するものなのだ。
そこから導き出される答え―――もし姉が、俺と同類なのだとしたら、俺はやっぱり殺されるに違いない。この場合だと、姉は俺の死体処理に面倒を被ることになるが、しかしその程度の苦労は、俺を抹殺することに比べれば容易いことであろう。
ていうか、俺が姉の立場だとしたら、自分の趣味なんて見られたら、窓から羽ばたきたくなるもんね。姉の場合、それが実の弟を殺すという行動に置き換わるだけ。
そう、それだけの話。
いやどんな話だよ。
というわけなので、うん・・・まあ。
殺されるのは真っ平ごめんなので、俺はさっさとトンズラこくことにするぜ!
元々、俺は姉の本を勝手に借りようと目論んで、姉の部屋に忍び込んだので、例の本を見つけようが見つけたいが、重症を負うことは必然的だからな!
それじゃあ読者御仁、アデュー!
―――ガチャ
好き嫌い。
ってさ、人間なら誰しもあることだと思うんだ。
感受性があればね。
でさ、学生だったら誰しも―――ってことはないと思うけど、でもさ、嫌いな人多いと思うよね。
なにがって、教師。
私もね、凄くムカムカしている。いつも。
難しくって、うーんって悩んでいる問題を、いつも的確に当ててくるんだよね。それでさ、私は答えられなくって、みんなの前で恥をかく。
私、体育が一番苦手なんだけどさ、・・・あの人たちってなんなんだろうね。「やれば出来る」って主張してくるんだよ。「辛いのはお前だけじゃない」って。
あは。あはは。あ、ごめんごめん。
イライラしちゃってさ、一周回って面白くなっちゃった。おかしくなったわけじゃないから、変に思わないでね。
それでさ、本題なんだけど、きみも私と同じ気持ちでいてくれたら、私としてはこの上なく嬉しいんだ。。
つまりね、私は今から、彼ら―――教師に対する復讐計画を仕掛けようと思って、実際に今夜それをとりおこなう手筈が整っているんだけど、きみもその計画に参加しない? ってお誘いをしているんだよ。
どうかな?
もしきみが、少しでも計画に積極性を持ってくれるのであれば、今夜十二時きっかりに、××高校の焼却炉の前で待っていると誓おう。
なぁに。校門は乗り越えられるよう、側に踏み台を置いておくよ。
後、一時間四分・・・楽しい夜になりそうだね。
―――人生には、きみの将来を左右する選択肢が存在している。
朝。
最近、幼馴染の様子がおかしい。
同じ部活に入っている先輩とデートをしているところを目撃されてから、挙動が妙だ。
「なあ、今日一緒に帰らないか?」
放課後。
校門前で立っている幼馴染にそう聞かれる。一緒に帰っているところを誰かに見られたら、恥ずかしいだろ、と前までは言っていたのに、一体どういうつもりなのだろう。
一先ず、心の中で選択肢を上げてみる。
一緒に帰る。
一緒に帰らない。
取り敢えずは、この二択だろうけど・・・、以前までは、一緒に帰るなんて以ての他と言っていたのは彼の方だし、最近の彼に違和感を感じるのも事実だ。ここは、暫く様子を見るという意味でも、そっとしておくのがいいだろう。
「ごめんなさい。一緒に帰って友達に噂されるのも恥ずかしいし」
そう返すと、幼馴染は悲しそうに眉を下げて帰って行ってしまった。ちょっと可哀想なことをしてしまっただろうか。
次の日の放課後。
「なあ、今日一緒に帰らないか?」
昨日と変わらず、一言一句同じ台詞を吐く幼馴染。
諦めないなぁと思いつつ、恒例のように選択肢を二つ考える。
一緒に帰る。
一緒に帰らない。
しかしこれは、考えるまでもないだろう。
「ごめんなさい。一緒に帰って友達に噂されるのも恥ずかしいし」
幼馴染は悲しそうな表情をして帰って行った。二回目ともなると、心が痛んでくる。
また次の日の放課後。
「なあ、今日一緒に帰らないか?」
・・・三回連続でこう来るとなると、逆に関心するものがある。
ここまでくれば、選択肢を考えるのも不毛というものだ―――
一緒に帰る。
一緒に帰る。
一緒に帰る。
一緒に帰る。
―――?
「うん、一緒に帰ろう」
不思議と口が勝手に動く。
まるで、誰かに操作されているみたいに。
「ああ! 帰ろう!」
幼馴染は、私の言葉にうれしそうに声を上げた。
まるで願い事が叶ったときみたいに、満面の笑みを携えて。
―――入生、には、キみの将來を佐右すル選択死、が存在死てイる。
「はあ、最悪」
「あー最近多いよね。SNSでよく見かける。人のリプライ荒らしたりね」
「それ害悪。そうじゃなくて、最悪って言ったの」
「血と血で結ぶ約束・・・」
「なんだそれ。約束・・・契約とか?」
「ぶっぶー! 盟約でしたー!」
「今の君が一番迷惑だよ!」
「ところで、なにが最悪なの?」
「君のせいで綺麗さっぱり忘れたよ!!」
「よかったね」
「・・・さ、サンキュー?」
「どいたま」
「往復一回殴りたい」
「せめて一発にして」