渋柿

Open App
4/18/2025, 2:28:29 PM

物語の始まりは、
普段はやらないようなことをやったり、
普段は思わないようなことを思ったり、
そんなふうに、日常に違和感を覚えたとき
だと思う。

例えば、
日の出の見える展望台で1人、あえて西の空を見るようなこと。

動物園に行って、当たり前に動物をみていることに違和感を覚えたこと。

そんな変な心を抱いたことを自覚したとき、私は無性に嬉しくなる。

そして、その変な心をあえて逃さずに深く探求することが物語の役割だと思う。

新しい情緒を、毎日逃さず捕まえたい。

4/18/2025, 2:07:31 AM

1 成功するよりも、
1000 挑戦するほうが、大変だ。
1000 の挑戦には、999 の失敗が含まれるのだから。

4/10/2025, 11:54:43 PM

ハエになってでも、空を飛ぶ。

3/31/2025, 2:45:54 PM

子供の頃、別れはもっと単純だった。
昔、私の家の近くには、よく行った生物園があって、そこにいるオオサンショウウオが私はお気に入りだった。
そこに行くたびに、私はそいつに会いに行き、しばらく物見したあと、「またね!」と告げて立ち去る。
彼は当然人間の言葉なんてわからないし、ほとんど目も見えていないらしいから、私のことなど頭の片隅にもないだろう。
それに、彼はいつも岩陰でじっとしていて、まともに動いたところなど私は見たことがない。
そんな一方的な出会いと別れで、でも、それに私は満足していた。
そう、それが幸せだったんだ。
駅前の銅像、そば屋の前のタヌキ、公園の大きな桜の木にさえ、出会いがあって、別れがあった。
それがいつの日にか、道に咲く花はただの花になって、駅前の銅像はただの目印になっていた。

子供の頃、別れはもっと単純だった。
それは私が「今」を生きていたからだ。
先のことなんて考えずに、今、この瞬間、誰かと会えることの愛おしさを、感じていたからだ。
それが会えなくなることを知り、悲しみを知ってしまってから、私は先のことを恐れて、そればかりを恐れて、「今の愛しさ」を忘れてしまっていた。
別れることは、辛くて、さみしくて、怖い以前に、
「出会いの因果」なんだ。
だから、別れがあるということは、私たちが出会ったという証なんだ。
銅像だって、花だって、人間だって同じだ。

どうか、別れさえも祝福できるような、大人になれますように。





P.S. 作り話です

3/30/2025, 3:28:53 AM

泣いてる人の姿は滑稽だ。
愚かで、身勝手で、情けない、無様な姿だ。
だから、人前では絶対に泣いてはいけない。
それが、私が泣くことを最も恐れている理由だ。
みんなが見るんだ。
鬱陶しそうに、興味深そうに、憐れんだ目で、見るんだ。
人は美しいものだけをみていればいいじゃないか。
空があって、星があってこの広い世界があるはずなのに。
なのに、なんで私を見るんだ。

Next