【 安らかな瞳 】
あの日、彼女は光を失った。
夫の裏切りで友人とやらに弄ばれたと、
消え入りそうな声で掛けてきた電話。
心を乱されて、視界は暗闇に覆われて、体も衰弱して、
駆けつけた時にはもう遅かった。
入院した彼女は、漆黒の世界に何を見ているのか。
悪夢に苛まれ、体を震わせ、一人で恐怖に耐えるばかり。
僕がしてやれることは、ただ一つ。
ひっそりと、奴らを葬ることだけだ。
時間はかかったが、なんとかやり遂げ、彼女に知らせる。
一瞬、化け物を見たかのような表情をされたが、
状況を理解したのだろう。
優しい微笑みを僕にくれた。
ありがとう―――
その言葉を発した彼女の眼は、安堵に満ちていた。
【 平穏な日常 】
あちこちから上がる煙の筋。
黒焦げて崩れ、元が分からなくなった建物。
一歩ごとに蹴躓く何かの死体。
一瞬で消された風景は、一瞬で思い出せなくなった。
断片しかない記憶を必死に繋いで辿ってみた。
真っ昼間の建屋内でも分かるほどの強い光が、
突然空から降り注いだ。
目が眩んだかと思えば、追いかけるように爆音が響く。
意識が飛んで、気付いたらこの状態だ。
あまりの呆気なさに、引きつったような笑みすら浮かぶ。
(これは何だ?どういうことだ?)
思考が先へ進まないまま頭を抱えていたら、
今度は瞬時に暗闇に覆われ、また意識が無くなった。
「お疲れ様でしたー。体験終了でーす」
間延びした声で目覚めると、全身に取り付けられていた装置が外されているところだった。
「『リアル戦争最前線』、アンケートお願いしまーす」
次第にすっきりしていく頭が、ようやく状況を理解した。
夢のようで夢じゃない、不思議な感覚だった。
あんな思い、現実でなくて良かった―――。
肩が震えるのを無理やり抑え込んで、会場を後にした。
【 物憂げな空 】
最近、気になる子がいる。
でも、あの子には別の思い人がいるのも知っている。
(せっかくの晴れだから、お出かけに誘おうか…)
分かってはいる。
どんな時も、あの子が向いているのは別の方で、
チャンスなんて無いのだと。
(あ、やっぱり…)
まごついてたら、案の定、あの子の思い人がやってきた。
偶然か必然か。
何かが起きる前に、お出かけの予定は潰えてしまった。
その気持ちに応えるように、雲が広がりだす。
あーあ、思いを汲んでくれるのは空だけか…。
【 待ってて 】
先立つ不幸、とは言うけれど、
輪廻転生を願う僕には相応しくない。
今ある生を終えるのは、天命なのだ。
だから、次がある。
僕はきっと、貴方の元に還ってくるよ。
人の姿をしているかは分からないけど、
どんな形でも必ず還ってくる。
お願い。
もう少しだけ、僕を覚えていてね。
そうすれば気付くはずだよ。
貴方なら、きっと。
【 大空 】
『ねえ、お母さん。何で鳥は飛べるの?』
『羽があるからよ。何か気になるの?』
『だってね――』
そこで夢は途切れ、目が覚めた。
近所の森の散歩道、母に手を引かれながら歩いた記憶だ。
(懐かしいなぁ…久々に夢見た)
あれから二十数年、今では自分が親になった。
「ねーママ。鳥さんはどうやって飛ぶの?」
「手の代わりになる羽を使うんだよ。気になるの?」
「お空を飛べたら天国のばあばに会えるでしょ!」
唐突に、今朝の夢が蘇る。
続きはそう、これだった。
『だってね、お空のお父さんに会いに行きたいから!』