よい

Open App
3/4/2024, 2:34:19 PM

思い出さないで欲しい。
思い出される度忘れられるということが嫌なの。
でも、思い出して欲しい。
すっかり忘れたあとに、穏やかな朝の行きつけのカフェテリアとかでね。
どうしようもない生の軌跡に君が心を動かしてくれたなら、私にも意味があったのかなって思えるよ。

死の中に廃棄された命が春を呼んで、芽吹く盛んな小さき者が世界に彩りを与える。

俺は無になってから、無の中の底なき深みに、有ることの豊穣さを見つけた。
ここには美しい「花」があるんだ。
でも「花」の美しさというものはない。
ぜんぶ、すべてが統一された世界で、俺は君の笑顔を思い浮かべる。
後にも先にも唯一一回限りという出来事が、どんなに俺の不安定な生命に繋がっているかを思い知らされた。
そこには空虚じゃなくて、君が「ある」んだ。
「ある」が充満しすぎて窒息しそうなんだ。
夢から覚めた朝に「ある」はずのものがないという静けさがうるさい。
いない君が毎日そっと触れてくるんだ。それが恐怖でたまらなくて、いないという事実に吐き気がして、もうぐちゃぐちゃだ。
君と過ごした全ての喜びが永遠を愛して、およそ生あるものの見出されるところに「ある」。

ああ、うるさい。

.大好きな君に

3/4/2024, 3:18:30 AM

今日ひなまつりか
あっばか!旧名を使うな!桃の節句だろ

向かい側に座る友が身を乗り出して小声で言った。やっべ。俺は口を勢いよく塞ぐ。そろと横目で周りを見ると、こちらを睨んでくる集団とにこやかに笑う集団と目が合った。友と同じように焦った顔やらうわーと苦笑いする顔もいてやっちまったと思った

やあ。その呼び方をする者がまだいたなんて

あーもうめんどくせえ。友がボソッと言う。俺は内心ごめんと思いながら話しかけてきたさわやか君を見上げる。さっきにこやかに目を合わせてきた奴だ

これはつい昔のクセで口に出しちまっただけですんで、別にそちら側に肩入りしてる訳じゃないんで
やはり!「つい」で言ってしまうんだ!ならば呼び名は変えるべきじゃない!!

...と思わないかい?胡散臭い笑顔を張りつけたさわやか君は君たち、僕らのパーティーに招待するよとおもむろに白い封筒を胸元から取り出した。
いやいらないっすと断ろうとした瞬間、ガタンッと向かい側から音がした。嫌な予感がする。

てめえ、いい加減にしろよ。その言葉は差別として撤廃されたろうが
おやおや。なにかな。平等を盾にして言葉の自由を奪う過激集団が
黙れ!!幼女を犠牲にして祭り上げるお前らの方がタチ悪ぃんだよ

翌日さわやか集団と睨み集団のひなまつりドンパチ事件が新聞に上がり、一般人をも巻き込んだものとして両者とも警察に検挙されたという。
いってえなもう。隣で横たわる友がボヤいた。

.ひなまつり

3/2/2024, 12:56:13 PM

志望校諦めたの?

たった一言父から言われた。前期が終わり、卒業式を終えた2日目の夜、そのまま浮かれ気分でメイクやらネイルやらを楽しんでいた私を見て。

勉強してますけど〜

べーっと舌を出して言った。父は笑って自分の部屋へ戻って行った。
少し現実に引き戻される。
確かに、表面上私は諦めているかのような態度だったのかも。浮かれ気分でもういいやと投げ出しているかのような感じだったのかも。
朝から対策の勉強してたんだけどな。
ははっと乾いた笑いが出た。
3月になって3年はほぼ休みだ。でも私は前期が終わってからも後期のために学校を訪れていた。卒業してからも先生たちは教室を解放してくれると言うので、もちろんそれも行く気だ。

私以外に勉強をしに来る同級生はいなかった。
私以上に対策を万全にしている人もいなかった。
そしていつも玄関で見送ってくれたのは父だった。

なのに。

そんなことお父さんの口から聞きたくなかったよ
まだ合否すら出ていないのに

とめどなく溢れる涙としゃくり上げる喉を父の部屋まで聞こえないようにと私は必死にこらえた。

絶対合格してやるあのクソ親父

.たった1つの希望

3/2/2024, 9:34:26 AM

わたしはきっとあなたよりずっと臆病で卑怯だ。
自分は悪者にならないでずっと平生を保つの。
あなたが考えていることはわかってる。
でもわたしは最後まで気付かないふりをするわ。
子供たちと食卓であなたを待っている時に飲み会で遅くなるという連絡もこれで何回目かしら。
わたしとあなたはとっくに冷めきっている。
先週あなたの書棚から離婚届が出てきたの。
予想よりも早く見つけたそれに少しばかり感心してしまったわ。
あなたって行動早かったのね。普段の行動は遅いのにね。
時間をカチコチに凍らせてしまって未来永劫変わらなくしてしまいたい。けれど、そんなことお構い無しに時はすぎていくの。
わたしは決して離してやらない。
絶対に逃がさない。
ああそうだ。
あなたが決断したことを決行するその日までに弁護士でも雇っとこうかしら。

.欲望

2/29/2024, 9:29:18 AM

白玉がやってくる季節が到来した。
今年は3、4個ほどでふよふよと街のいたるところをさ迷っている。すると1個だけ街を出ていく白玉を発見した。白玉の来た道を逆に辿ると家に着いた。行ってきますと大きな荷物を背負った姉が出てくる

お姉ちゃん、今年なの?
うん 今すぐ追いかけなくちゃ じゃあね

ポンと頭に手を置かれ、姉は期待に満ちた表情で今しがた出ていった1個の白玉の跡を辿って行った。
お姉ちゃんもう戻ってこないのと私が母に抱きつくと、お姉ちゃんは大人になったのと私の頭を撫でる

絶えることなくそこへ向かう途上にありながら、いつも繰り返しそこへ通じる道を見いだせないでいる
ここでは見られない世界をあなたももうすぐ見ることになるわ

母の胸に顔をうづめながら母のくもった声を聞いた

数年経って私も旅立つ時が来た。登山用の縦長リュックを背負って母に挨拶する。
玄関を開けると昼の明るさに目を細めて、足元にある一筋の白い道を遠くまで見通した。
今は単に私があちこちさ迷っているだけでなく、私の中身があちこちさ迷っている。
確然とそびえる不安はあるが、それよりも大きな何かが浮き足立つ私の足を先へ先へと駆り立てようとしていた。
姉もこんな気持ちだったのだろうか。
暗闇を取り隠すほどの太陽の威力を前に、私は一歩踏み出した。

.遠くの街へ

Next