弥梓

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8/6/2025, 5:04:02 PM

『またね』

※BL

またね、と笑ったお前の笑顔は今でも昨日のことのように思い出せる。
別れ際、名残惜しさを隠さずに俺の手を握った、俺よりも一回り小さな細い手のぬくもりも。
引き留めれば良かった。
もう少し一緒にいたいと、その手を握り返して抱きしめて、そのまま家に連れ帰ってしまわなかったことをずっと後悔し続けている。

8/3/2025, 11:47:14 AM

『ぬるい炭酸と無口な君』

※BL

ガラスのコップには水滴が浮かんで、紙製のコースターはその水分を吸いすぎてふにゃふにゃになってきている。
氷はとっくに溶けて、コップの中身は薄まって緩くなったコーラだったものに変わってしまったが、沈黙が気まずくて僕はそれをストローで一口吸った。
炭酸が抜けて甘ったるいのに香りも味も薄くて最悪な飲み物になっていたけど、他にすることのない僕はなんとかそれを飲み下す。
そしてまた、向かいの席に座る君を盗み見る。
相変わらず難しい顔をして書類と睨めっこしている。
もう三十分以上はこの状態だ。小さな文字がびっしり印刷された僕の渡したコピー用紙の束を一生懸命読んでいる。
作ってる時は心底真剣だったけど、少し冷静さを取り戻すとこの文字数は異常だったかもしれないと後悔が浮かぶ。
現実逃避にもう一口このまずい飲み物を飲むか、レジ横にあったお冷やをとってくるか悩みはじめたところで、君が顔をあげた。
「で、結局お前は何が言いたいんだ?」
「何って、だからそこに書いたじゃないか」
「お前と結婚を前提に付き合うメリットとやらはな」
「こ、声に出して言わないでくれ。恥ずかしいだろ」
「こんなもん作ることが恥ずかしいってくらいの常識は持ち合わせてたみたいで安心したぜ」
「今は自分でもちょっとバカなことしたと後悔してるからそれ以上言わないでくれ……!」
「分かったよ。それで、お前と付き合うメリットは理解したが、お前がなんで俺と付き合いたいのかは書いてなかったんだが?」
「そんなの言わなくても分かってる癖に」
「さあて、さっぱり見当がつかないな。さあ、聞かせてもらおうか」
「……好き、だから。君のことが、好きなんだ」
「こんなめんどくせえもの作んなくったって、それだけで十分だってのに」
「え……?」
間抜けな声を上げた僕の右手に君の手が触れた。
「俺もお前が好きだ」

8/1/2025, 10:34:56 AM

『8月、君に会いたい』

久しぶりに雨が降った。
いつもより暑さも和らいで少しだけ過ごしやすい。
こんな日は君がいなくなった日を思い出す。
あの日も朝少しだけ雨が降って、お昼前に雨がやんだ後は空に大きな虹がかかった。
それを綺麗だねと笑った君の笑顔は、真夏の太陽のように輝いていた。
君の門出を空も祝福しているんだろう、と言った僕に抱きついた君の細い肩が震えてるのには気が付かないふりをした。
夢を叶えるために遠い国へ旅立つ君のことを応援したかったから。
そばにいて欲しいという自分の気持ちもしまい込んで、さよならを告げた。
待っているとは言わなかった。
優しい君は僕のことを気にしてしまうだろうから。
それでもいつか、君が帰ってきた時もし君も一人で僕に連絡をくれたなら、なんて淡い期待だけは捨てられずにいた。
ポストに入っていた外国からの手紙。見覚えのある筆跡に期待と不安が入り混じる。
君の答えはどちらなのだろう。
封を開けると、異国の香りがした気がした。
丁寧に二つ折りにされた便箋を開く。
真っ白な便箋の真ん中に小さく書かれた『会いたい』の文字に、僕は居ても立っても居られなくなって、クローゼットの奥にしまい込んだキャリーバッグを引っ張り出した。

7/31/2025, 5:20:50 PM

『眩しくて』

※BL
スパダリ年下攻×考えすぎる年上受



太陽の光を受けて君の金色の髪がいっそう輝きを増す。
それが眩しくて、僕は顔を背けてしまった。
暗いところが相応しい僕たちは、似たもの同士だと思っていたのに。君はいつのまにか光の下で朗らかに微笑むようになってしまった。
置いていかれる寂しさと、明るい道を歩み始めた君の幸せを願う気持ちと、いつか、いつか君の隣に立つ光の似合う誰かを想像しては嫉妬で気が狂いそうになる。
「どうしたんだ?」
「少し眩しかっただけだ」
僕の様子を訝しんだ君が近づいてくる。
嬉しいけど、こんな醜い僕を見ないでほしい。
君の右手が僕の頬に触れる。暖かな温もりが僕の心をかき乱す。
「暑さにやられたか?」
「本当に眩しかっただけだよ」
答えながらも、君の目を見ることは出来ない。君の綺麗な青い瞳を間近で見ることが大好きで、僕だけの特権だったのに。
きっとこの特権はすぐに僕だけのものじゃなくなる。
それが分かるから君の目を見ることも怖くなってしまった。
僕だけのものじゃなくなるなら、君の目をくり抜いて僕のものにしたいなんて、そんな気の狂ったことを考えている僕を知られたくない。
目を合わせない僕に、君は苛立って舌打ちをした。左の手が伸びてきて僕の手首を掴んだ。骨が軋むほどの痛みが、君の僕への執着の証のようで、安堵の笑みがこぼれてしまう。
「今更、逃げる気か?」
「君との関係に少し飽きてきたのかも」
「お前……そんな泣きそうな顔で言って信じると思ってんのか?」
「そんな顔してない。君のことはもう飽きた。別れたい。こうやって僕に触れるのもやめてくれて」
言いながら自分でも声が涙で震えて情けないことになっていくのは分かった。情けない。年下の君にこんな甘えてばかりで。そう思うと惨めな気持ちまで湧いてきて、どんどん声も震えてしまう。
「ったく、どうしたんだよ? 最近変だぞ」
「……君を、君を好きになりたくなかった。こんな気持ち知らないままでいたかった。もう、嫌なんだ、君といると自分の嫌なところばかりに気付いて、僕は……僕は……」
大きなため息が頭の上から聞こえてくる。ああ、嫌われた。こんな面倒なやつそりゃあ嫌になるだろう。
情けないことに、涙が溢れそうになって、それだけは堪えようと唇を噛み締める。
頬に触れた手が離れて、手首を掴む手の力が緩んだ。
君の熱が離れてひんやりとした空気に、心の奥まで冷えた心地がした。
「ばーか」
そう言った君の声はずいぶんと優しくて、思わず顔を上げてしまった。
海のような深い青が僕を見ている。僕のすべてを包み込む青に、昏い気持ちも呑み込まれてしまう。
君の左手が僕の腕を引っ張って、倒れ込む僕の背中に一度離れた右手が回されてぎゅうっと力を込めて抱きしめられる。
暖かい。
君の匂い。
大好きな君。
「君の幸せを願いたい。君には幸せになってほしいって本気で思うのに。僕以外の誰かと幸せになる君を思うと、どうしても願えないんだ」
「ほんっとにバカだな、お前は」
「分かってるよ、好きな子の幸せを願うことすら出来ない愚かな人間だってことくらい」
「そうじゃねえ。俺が好きなのはお前だし、一緒に幸せになりたいのもお前だけだ。そんなことも分かってなかったのかよ」
「今は、だろ」
「はぁ?」
「君は変わってしまった、僕みたいなやつと釣り合ってた君はもういないんだ」
「釣り合うとか意味わかんねえが、俺が変わったとしたらお前のせいだろ。お前が俺を変えたんだ」
そう言って僕にキスをする君は、やっぱり眩しすぎて、僕は眩しさに目を灼かれないよう瞳を閉じた。

7/26/2025, 2:23:00 PM

『涙の跡』
※BL

 朝、目を覚まして一番に目に入るのは、今日も恋人の頬に残る涙の跡だ。
 俺に心配をかけまいと、夜な夜な声を殺して静かに泣いているのも知っている。背中越しに聞こえてくる微かな嗚咽を聞くと、抱きしめてそんな会社辞めてしまえと言ってしまいたくなる。
 けれど、同じ男として仕事を投げ出しなくない気持ちも、仕事に悩むそんな姿を見られたくない気持ちも分かる。
 だから今日も涙の跡には気が付かないふりをして、恋人を起こさぬようにベッドを抜け出る。
せめて暖かな朝食を用意して、笑顔で仕事に送り出してやりたい。
 寝室の扉をそっと閉める時、「いつもありがとう」と小さな声が聞こえた気がした。

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