真岡 入雲

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7/17/2024, 6:19:03 PM


「佳奈美、大丈夫か?」
「今のところは」
「待ってろ、すぐ連れて行ってやるからな」
「安全運転でお願い」
「おぅ、任せろ!」

父が3ヶ月前に買い換えたワンボックスカーの後部座席。
そこに仰向けになり、私は定期的にやってくる痛みと戦っていた。

視界は四角く切り取られた空しか見えず、時折、電線と電柱がちらちらと端を掠めて行く。
実家のある町はかつての賑わいを失い、過疎化の一途を辿っている。
一企業によってもたらされていた町の繁栄は、企業の業績悪化による規模縮小で陰りをみせ、私が子供の頃に比べ人口は半減した。
そうなれば、町は寂れる一方だ。
まず、働き口がない故に、若者が町から流出する。
若者が居なければ、子供の数も減る。
そうなると、小児科、産婦人科等の病院は経営が厳しくなる。
経営が成り立たなくなれば個人病院は閉院するし、大きい病院は対象の科がなくなる。
これとは別に医師不足の問題もあり、診察日が減ったり、紹介以外は受付けないなど対応が厳しくなってくる。
この町も例外ではなく、産婦人科に関しては3年前に個人病院の医師が高齢で引退してからは、高速を使って1時間弱かかる総合病院が最も近い産院となってしまった。

初めは里帰り出産を諦めようかとも思った。
病院まで1時間弱かかるのならば、自宅のある街の方が産院が近いし良いのではないかと思っていたけれど、タイミング悪く夫の遠方への赴任が決まってしまった。
夫も何度も会社に掛け合ったのだけど、大口の取引先からの指名となれば会社としては夫を行かせない訳には行かなかった。

「仕方ないよね」
「何か言ったか?痛いのか?」
「ううん、平気、何でもない。お父さんちゃんと前向いて運転してね」

どうするか夫と何日も相談した。
夫の両親は海外で生活しているため、頼ることは難しい。
また夫の兄妹も遠方に住んでおり、同様の状況。
私の実家は病院の問題を除けばサポート体制は良かった。
母は小学校の教員のため仕事を休むのは厳しいが、妹が実家住みで仕事の時間も融通が効くので心強い。
それに父も自営業のため、時間には融通が効く。
ということで、私は病院の問題はあるものの里帰り出産を決めた。
まぁ、誤算だったのは妹が3日前に階段から落ちて足首を捻挫してしまったことだろうか。
全治10日と診断され、今現在多少不便な生活を強いられている。

「あっ⋯⋯っ」
「痛いのか!」
「ちょっとだけ。大丈夫、まだ我慢できる」

病院まであと半分くらいだろうか。
私は下腹部の鈍痛から気を紛らわすため、空を眺めた。

『お父さん、アレ、東京タワー?』
『うん?アレは違うな。アレは鉄塔だ』
『じゃぁコレ?これが東京タワー?』

子供の頃の私はとても車に酔いやすく、車に乗ると同時に後部座席に横になって寝る準備をしていた。
何故なら寝るのが一番車に酔わないで済む方法だったから。
だから私の子供の頃の車の記憶は、窓から見る空や雲が殆どだ。

そしてその日はテレビで東京タワーの話題が出ていた。
だからか私は車の窓から鉄塔が見えると、『東京タワー?』と確認していた。
今ならわかる、東京から数百km離れたこの田舎に東京タワーがあるはずがない。
そもそもここは東京では無いのだから、東京タワーは無くて当たり前だ。
それでも仰向けになって、強制的に切り取られた視界の端に鉄塔が掠める度に聞いていた。

「とう、きょ、タワー?」
「違うぞー、アレは鉄塔だ。佳奈美、後ちょっとだ、頑張れ!」
「うぅぅ、痛ぁいっ」
「もう少しだ!アレも東京タワーじゃないぞー!」

初めて自分の目で東京タワーを観た時は凄く感動した。
鉄塔なんか相手にならないくらい、大きくて立派だったから。

「そうだ佳奈美。産まれてくる子が歩けるようになったら、皆で東京タワーに行くか!」
「なん、えっ、ど、して」
「今思い出した、佳奈美との約束」
「やく、そ、くぅぅっ、?」

眉間に深く皺を刻み、一際強い痛みを堪える。
痛みの間隔が徐々に狭くなってきているのは気のせいではないはず。

『お父さん、東京タワー見たいー!東京タワーに行こう!』
『東京タワーは遠いなぁ』
『東京タワー、みーたーいーっ』
『うーん、じゃぁ、佳奈美がもう少し大きくなったら連れて行ってやる』
『本当?ヤッター!』

それは、遠い日の記憶。
遠すぎて自分の都合の良いように、改ざんされているかもしれない古い記憶。

「おと、さん。こん、ど、こそ、っぅ、やくそ、く、まもって、ね」
「おぅ、任せとけ!」

そこからの記憶は曖昧で断片的にしか残っていないけど、生まれてきた孫を抱き、ただでさえ皺だらけの顔を更に皺くちゃにして泣きながら笑っている父の姿と、母が手にしたスマホの画面の中で父と同じように泣きながら笑っている夫の姿が、最も新しい家族の記憶。



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(´-ι_-`) 東京タワー、スキです。

7/17/2024, 4:35:02 AM


「で、俺は何でせっかくの連休にお前と二人でグランピングなんてさせられてるんだ?」
「⋯⋯キャンセル料が勿体なかったからだなぁ。当日キャンセルは100%なんだよ」

三連休の初日、天気はこれでもか、という程の晴天で絶好の行楽日和だった。
午前中に家を出て、途中、親友の梶原を拾って高速を走ること2時間弱。
予約していたイタリアンレストランで少し遅い昼食をとり、辿り着いたのがここ。
雑誌で特集が組まれるほど評判もよく人気があって、半年前でも予約が難しいと言われるグランピング施設。
去年の年末に運良くこの三連休に予約が取れて、半年以上かけて色々と準備をしてきた。

「あのな、そういう事じゃなくて⋯⋯。はぁ、俺には理由を聞く権利があると思うんだが?」
「⋯⋯あぁ」

施設に着いて、取り敢えず温泉に入ってひと息ついた。
夕食は豪華なバーベキューを腹いっぱい食べ、再度温泉に入って身体の疲れを癒すとすっかり日も沈み、眼下には夜景が広がっている。
梶原は焼酎、俺はワインを片手に、テント外に備え付けられたソファに座りゆったりと時間を過ごしていた。

「夜中いきなり『明日11時頃迎えに行く。泊まりで旅行しよう』なんて、俺にだって予定ってもんが⋯」
「予定⋯」
「⋯⋯⋯ねぇよ、ハイ、すみません、見栄張りました。予定なんてこれっぽっちもありませんでしたぁ」

高校からの仲である梶原とは時折こうして二人で出かける。
いつもは予定の一週間前には連絡を入れてはいるけれど。
梶原は俗に言うニートってやつだ。日がな1日、いや一年中好きなことをして生きている。
本人曰く、一生遊んで暮らせるだけの金があるなら、あくせく働く必要は無いだろう?とのことで、都心から少し離れた場所のファミリーマンションを購入して、ひとりで生活している。
梶原は高校の頃からバイトに明け暮れていた。大学生の頃にはバイトで貯めた金を元に、投資を始め見る見るうちに元手を増やし、卒業する頃には一般サラリーマンの生涯年収の十数倍にあたる資産を保有していた。
もちろん今でも投資はしているが、資産の十分の一程度で長期のものに絞ってやっていると言っていた。
最近は陶芸にハマったらしく、近くに作業場を借りて黙々と器を作っているらしい。
その前はDIYに嵌り、家を1軒購入してひとりでリフォームし、売りに出していた。
凄いのはリフォーム時に、電気配線の工事をするのには資格が必要だ、とか言って、業者に依頼するのではなく、その資格を自分で取ってしまうところだ。
俺はいつも梶原のそういう所に憧れてしまう。

「別れたんだ、昨日」
「え?あの、ボンキュッボンの彼女と?」
「あぁ」
「⋯3年目、だったよな?この間指輪も買ったって言ってなかったか?」
「買った。給料3ヶ月分まではいかないけど」

俺は徐ろに上着のポケットに手を突っ込み、手のひらに収まる小さなラッピングされた箱を取り出した。
白と青の2色のリボンがかけられた白い箱を、梶原に手渡す。
その中には少し大きめのダイヤモンドとサファイアを使ったデザインの指輪が鎮座している。

「もしかして、今日ここで?」
「そのつもりだった、けど、お前にやる」
「あのな、貰っても嬉しくねぇよ」
「捨てても良い。流石に自分では⋯捨てられない」

梶原は暫く手のひらで箱を弄ぶと、ポケットにしまい込んだ。

「話せ。少しは楽になるだろ」
「ありがとう」

話せば、自分が情けなくなる。が、誰かに聞いて貰いたかった。
俺は、ぽつり、ぽつりとここ最近のことを梶原に話した。

「彼女が言うには、俺はキープだって」
「キープ⋯⋯」
「ここひと月くらいかな、具合が悪いとか、忙しいとかで会えなくてさ。でも、前もそんな事あったから、あんまり気にしてなかったんだ。けど2日前に同僚が見たって言うんだ。取引先の社員と彼女が腕組んで楽しそうに歩いてたって」
「他人の空似とかじゃなかったのか?」
「だったら良かったんだけどさ、バッチリ彼女だった」

同僚は咄嗟に動画を撮っていた。
同僚の持つ小さな長方形の画面に映っている女は、誰が見ても、どこからどう見ても彼女でしかなく、しかも最悪な事にふたりが向かった先はそういうホテル。
ホテルに入る手前で濃厚なキスを交わし、お互いの腰に手を回しながらホテルに入っていくのを見て、俺の目の前は真っ暗になった。
それからの記憶は曖昧で、ただ俺は昨日の夜に彼女と会う約束をした。
彼女は明日会うのだから、と、乗り気ではなかったが、俺はどうしてもと頼み込んだ。

俺は彼女に否定して欲しかった。
あの時の俺は、ほんの少しの1%にも満たない希望に縋り付いていた。

待ち合わせた店で、同僚の撮った動画を彼女に観せると彼女はひとつ溜息を吐き出した。
そして、そこには俺の知らない女の顔があった。

『そうよ、これ私よ。彼は本命なの』
『ほん、めい?』
『あなたはキープ。でも、もういいわ。私、彼にねプロポーズされたの。見てこれ。凄くイイ指輪でしょう?』

彼女が鞄から取り出したのは、俺が買った指輪よりも大きなダイヤモンドがあしらわれた指輪。

『それに私、妊娠してるの。勿論、彼との子よ。あなたのはずないじゃない、何時もゴムしてたでしょう?』

俺は目の前にいる女が、自分が結婚したいとまで望んで愛した女だとは思えなかった。
彼女は運ばれてきた飲み物に口もつけず、椅子から立ち上がり

『あ、私のアドレス消しといてね。じゃ、サヨウナラ』

と言って、振り返ることなく店から出ていった。
俺は支払いを済ませ、店を出て、家に帰り、風呂に入った。
少しづつ頭の中が整理されてくると、胃がムカムカするような怒りと共に、何もかもどうでもいいという感情が湧いて来た。
ただそんな中、予約したグランピングの事を思い出して、キャンセルするくらいならと梶原に連絡を入れたのだった。

「女は怖いな」

ポツリと呟いた梶原の言葉には重みがあった。
梶原は大学在学中に修羅場を経験している。
まぁ、梶原が悪い訳ではなく、梶原を巡って女の子達が勝手に行動した結果の出来事ではあるが、それでも梶原の心に傷を残した事には変わりない。
誰が漏らしたのか梶原が随分な資産を持っていることが学内でも有名になっていて、梶原の周りには砂糖に集る蟻のように、男も女も集まっていた。
だが梶原はそんな奴らを相手にはしなかった。
元々人との付き合いが得意ではなかったこともあるのだろうが、梶原には俺以外に友達と呼べるような人間はいなかった。
基本的に無視を決め込んでいた梶原に対し、周りは勝手にヒートアップして行った。
そして、ある日の事件によって大勢の人間の体に消えない傷が残り、数人の人間に前科がついた。
幸いだったのは、その現場に梶原がいなかったこと。

「あぁ、怖いな」

手にしたワインをひと口飲んで、俺は空を見上げる。
東京では見られない多くの星と、夜空を分断する天の川の微かな光。
画面を通してみると、それはただの光でしかないが、自分の目でみる星の光は儚くも力強い。

「あぁ、会社行きたくねぇ」

本命と婚約した彼女は早々に退職するだろう。
仕事に対して真面目に取り組んではいたけれど、今の仕事が好きな訳ではないようだったから。
俺と彼女の事は、同じフロアの人間なら誰でも知っている程だったから、残される俺は皆から同情の念を贈られるだろう。
そう思うと、今から気が重い。

「辞めればいい、会社なんて」
「⋯お前なぁ」
「我慢して働きたいほど、そんなに今の仕事が好きなのか?」
「そういう訳じゃないが⋯」
「人生なんて短いんだ。その短い人生の中で悩んで傷ついて我慢して生きるなんて勿体ないだろう」
「そりゃそうだけど」
「ほら、見てみろ。宇宙のなんと偉大なことか!こんな広い宇宙の片隅の、小さい小さい星に住む、小さい小さい人間なんて、砂粒以下の存在だ。だったら、自由に好き勝手生きたっていいじゃないか!」

ミュージカル俳優みたいに大袈裟な身振り手振りを加え、ソファから立ち上がった梶原はグラスを持った手を空に突き上げる。

「親に心配させたくない」
「会社に勤めていれば安心するのか?」
「少なくとも無職よりは安心だろう?」
「ふむ。まぁ一般的にはそうか。ならば、会社を立ち上げよう」
「⋯⋯⋯は?」

梶原はくるりと踵を返して、満面の笑みをみせた。
その後ろには街の灯りと、満天の星。

「お前ひとりくらい、一生食わせてやれるだけの資産が俺にはある。だから、お前の人生を俺に寄越せ」
「はぁぁ?」
「やりたいことをやるのは楽しいが、やっぱり独りだと限度がある。だから、お前が必要だ」
「⋯⋯何だかプロポーズみたいだな」
「ん?そうか、なら指輪を贈らないとな」

そう言って、梶原はポケットから俺が渡した箱を取り出した。

「おい、それ⋯⋯あっ!」

梶原は器用に片手でラッピングを外すと箱を開け、中から指輪ケースを取り出しキラキラと光る街の灯り目掛けて放り投げた。

「捨てて良いんだろ?」
「⋯⋯あぁ、問題ない」
「安心しろ、ちゃんと新しい指輪買ってやる」
「要らねぇよ」

本当、いつも梶原には助けられる。

「そうか?じゃぁ、取り敢えず、俺たちの未来に乾杯だ!」
「ん?⋯あー、おう、乾杯だ!」

二週間後、会社で皆から哀れみの目で見られ、居心地の悪い思いをしていた俺のスマホに梶原からメッセージが届いた。

「マジか⋯」

画面には満面の笑みで書類を手にした梶原と、『お前の席も用意してあるぞ』の文字。
俺は休憩室のはめ殺しの窓から空を見上げる。
ビルの隙間の狭い空に浮かぶ白い雲が、風に流され形を変え、やがて視界から見えなくなっていく。
頭の中で再生される、星空と街の灯りに向かって叫んだ、偽ミュージカル俳優の言葉。

『宇宙のなんと偉大なことか!こんな広い宇宙の片隅の、小さい小さい星に住む、小さい小さい人間なんて、砂粒以下の存在だ。だったら、自由に好き勝手生きたっていいじゃないか!』

「よし、決めた!」

俺は休憩室のドアを開ける。
その先に彼女がいたような気がしたが、今はどうでもいい。
確か有給はたっぷり残っていたはずだ。
大きな仕事は終わったばかり。
今手元には重要な案件はない。
居室のドアを開け、目的の人物を探す。
窓際でモニターに向かい険しい顔をしているその人の名前を呼んで、満面の笑みで俺は近づく。
あの日星空の下で見た、偽ミュージカル俳優のように俺は自分勝手に生きることにする。

「居心地が悪いので、退職します」
「⋯⋯は?」

その後少し色々あったが俺は無事居心地の悪い会社を去り、そして今日、親友が立ち上げた会社へ入社する。
親友との楽しい未来に乾杯だ!



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心じゃなくて頭に浮かんだことになってしまった (´-ι_-`)



7/15/2024, 3:13:26 PM


『いつから、とか、そんなの覚えていない
いつの間にか好きになっていた
ただそれだけ

ダメだってわかってる
どんなに好きでも、どうにもならない事ぐらいわかってる
でも、諦められなくて、辞められなくて
結局今の今まで、ずっと好き

このままじゃダメだと思って、色々頑張ってみた
他に目を向けてみたり、あなたを見ないようにしてみたり
あなた以外に夢中になれるものを探してみたりもした
なのに忘れられるかな、と思うと、突然あなたの記憶が蘇ってくる

どうしてだろう
なんでだろう
こんなに好きなのは
特別なわけじゃない
本当に普通、なのに皆から好かれているあなた
だから決して、私だけのものにはならない

どうしよう
どうすればいいの?
あなたは、こんなにも私の心を捉えて離さない
もうこれ以上は、私病気になってしまう
止めないといけないのに
もう、終わりにしようって思うのに
やめることができない』

「あぁ、誰か私を止めてー」
「了解〜!」

Enterキーを押した直後に伸ばした手の先から、赤を基調とした袋が拐われた。
拐った犯人は袋の口をあけると、中から1本のスティック状のお菓子を取り出した。
袋に閉じ込められていた食欲をそそる香りが辺りに拡がり、独特のエビの風味が、食べてもいないのに口の中に拡がった気がする。
そして犯人は彼女が口にするはずだった5cmの菓子を口に放り込み、サクサクと小気味よい音をさせながら咀嚼した。

「あ、ちょっと、返しなさいよ」

椅子から腰を浮かし、自分の手元から拐われた袋に手を伸ばすが、もう少しのところで袋に、いや弟に逃げられた。

「止めて欲しかったんだろ?ご要望通り、止めてあげただけだよ」
「ち、違っ⋯わないけどっ、ソレ私のかっぱえびせん!」
「いーじゃん、いっぱいあるんだからさ。それにもう1袋食べたんだろ?」

そう言うと、犯人は部屋の隅に重なって置かれている段ボールに近寄った。
3段に積まれた段ボールが6箱、1箱12袋入りのはずなので72袋。
姉はコレをひと月かからずに食べきってしまう。
流石に弟としては姉の健康が心配になるところだ。

「いっぱいあるのは私が買ったからよ!」
「はいはい、んじゃ後で金払うわ」
「そういう問題じゃ⋯⋯、そう言えばアンタ何しに来たのよ」
「あ、忘れてた。工藤さん来てるよ、今母さんが相手してる。姉ちゃん、今日デートじゃないの?」

しばしの間があって、声にならない叫び声が姉の口から吐き出された。
椅子から立ち上がり頭のヘアバンドを勢いよく外し、上着に手をかけた所で姉は弟を振り返った。

「ソレあげるから、30分時間稼いで!」
「へーい」

弟がまだ部屋にいるのも構わずに、姉は上着を脱ぎ捨てた。
その様子を視界の端に捉えつつ、弟はスナックを口に放り込む。

「ん〜、やめられないとまらない〜♪」

さて、どうやって30分時間を稼ごうか。
取り敢えずは、このかっぱえびせんを一緒に食べて、先月買ったゲームでもしようかな。

7/15/2024, 4:24:47 AM


俺の人差し指を握る小さな五本の指は、意外なほど力強く、そして温かかった。
それが原始反射で、赤ちゃんが生き残るため、成長するために必要なものだと言うのは後から知った。


母さんは高校卒業と同時に結婚して、その半年後に俺を産んだ。
計算が合わないのは、結婚前にお腹に俺がいたからなんだが、そこは母さんからしてみれば計算通りだったらしい。
母さんと俺の父さんは、歳の差が25歳もあった。
それもそのはずで、父さんはじいちゃんの幼馴染で、母さんのことは生まれた時から知っていた。
でも、母さんは小さい頃からずっと父さんのことが好きだったらしい。
小学校高学年の頃にはそれが家族や友達に対する好きではなく、恋愛のそれである事を自覚していたと言うのだから、随分と心の成長が早かったのだと思う。
じいちゃんやばあちゃんは随分懐いてるな、位にしか思っていなかったし、父さん本人も懐かれてるなぁとしか思っていなかったそうで、母さんが婚姻可能年齢になったその日、じいちゃん、ばあちゃん、そして父さんの前で、父さんに結婚を前提としたお付き合いを申込んだ時は、なかなかの修羅場だったと聞いた。
父さんも父さんでその年齢まで独身で、何人かとお付き合いはしたらしいけど結局結婚するまでには至らずじまいで、このまま独身でもいいかなとか考えていたらしい。
そんなこんなで色々とあったらしいけど、そこは母さんの粘り勝ち。
じいちゃんとばあちゃんから父さんがOKしたならと付き合う許可をもぎ取って、両親公認で父さんを口説き落としにかかった。
じいちゃんとばあちゃんも、父さんが堕ちる事はそうそうないだろうっていうのが本音で許可を出した。
でも、じいちゃんもばあちゃんも、そして父さんも甘かった。
相手は赤ん坊の頃から知っている子で、親子ほどの歳の差。
こんなオジサンよりも、学校の先輩や同級生とか、歳の近い気の合う相手と出逢えば目が覚めるだろう。
なんて、大人の曖昧な可能性に掛けた脆い防壁では、母さんの攻撃を防ぐ事はできなかった。
学生のうちに会社を立ち上げ、それなりの収益を出すほどに成長させた仕事のデキる男だった父さんは、母さんとの闘いにおいては初手から誤ったと言っていた。
本気の母さんは凄かったらしいが、俺にはまだ早いと、詳しいことは教えてくれなかった。

『気がついたら、愛してたんだよ』

最後に父さんと釣りに行った岸壁で父さんはそう呟いた。
静かに海を見つめるその横顔が、酷く幸せそうだったのを覚えている。


「お兄ちゃん?」

首を傾けて俺の顔を覗き込んでくる小さな女の子。
4年前、俺が15歳の時に母さんが産んだ、父親の違う妹。

父さんは、俺が6歳の時に交通事故に巻き込まれ、俺と母さんを残してあの世へ旅立った。
俺と釣りに行った3日後のことだった。
その日から母さんは忙しくするようになった。
まるで忙しくすることで父さんが居ないことを誤魔化すように。
そしてそんな母さんを支えてくれていたのが、妹の父親。
彼は父さんの会社の社員で、自分にもしもの事があったら、と生前父さんに頼まれていたらしい。
張り詰めていた母さんの顔が徐々に柔らかくなって、元に戻るまでに5年という時間がかかった。
それから更に2年経った頃、母さんから彼との再婚について相談された。
正直、複雑な気持ちだった。
けれど、母さんの人生は母さんのものだと思うし、それで母さんが幸せになれるなら父さんも喜ぶはず。
だから俺は母さんの背中を押した。
彼と俺の関係はやっぱり微妙で、2人で話し合って親子としてではなく、年の離れた友人として関係を築いていこうという事に落ち着いた。
その関係も徐々に板について、妹が生まれて、知らない人が見れば普通の家族にみえたかもしれない。
じいちゃんばあちゃんとも仲良くて、よく皆で買い物や旅行に行っていた。
でも本当に仲が良すぎて、…⋯皆で一緒に父さんに会いに行ってしまった。

「おじいちゃん、おばあちゃん、パパとママ、みんなにバイバイしようか」
「バイバイ?」
「うん、バイバイ」
「⋯⋯」

こくりと頷いた妹は、一人一人に挨拶をする。

おじいちゃん、またあそんでね、バイバイ
おばあちゃん、いっしょにねようね、バイバイ
パパ、ごほんよんでね、バイバイ
ママ、ホットケーキやろうね、バイバイ

「バイバイしたよ」
「うん、偉いね」
「うん。⋯お兄ちゃん、て」
「つなぐ?」
「⋯⋯うん」

妹は棺の一つ一つが閉じられていくのをじっと見つめていた。
普通じゃないことは、周囲の様子や雰囲気からわかっているんだと思う。

繋いだ手の温もりは、あの頃と変わらない。
ギュッと握られる力強さはあの頃よりも強くなっていた。
それでも、この手はまだまだ小さい。

「お兄ちゃんもバイバイ?」

小さい目にいっぱい涙を溜めて、妹は問う。

「バイバイしないよ。ずっと一緒にいるよ」
「ほんと?」
「本当、約束する」

しゃがんだ俺の首に、ぎゅっと抱きついた妹の背中を軽く2回、ぽんぽんと叩いてそのまま抱き上げる。
昔よく父さんにこうしてもらった事を不意に思い出した。

妹と二人、手を取り合って生きていきます。
だからどうか、皆で見守っていて下さい。
それと、父さんに伝えてください。
もっと一緒に釣りがしたかったって。

7/13/2024, 6:28:47 PM


誰かと自分を比べ
劣等感に苛まれ

誰かに勝って
優越感に浸る

比べても意味が無いのに
勝っても何も変わらないのに
どうしてそんなに他人が気になるのか

比べるべきは
過去の自分

勝つべき相手は
理想の自分

人と比べずに
自分と比べ

人と競わずに
自分の理想と競え

今なら、そう言える

劣等感からくる被害妄想に取り憑かれ
優しい人達の手を弾き飛ばし
誤った優越感に浸っていた
幼すぎる精神を持つ
遠い過去の自分に

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