「で、俺は何でせっかくの連休にお前と二人でグランピングなんてさせられてるんだ?」
「⋯⋯キャンセル料が勿体なかったからだなぁ。当日キャンセルは100%なんだよ」
三連休の初日、天気はこれでもか、という程の晴天で絶好の行楽日和だった。
午前中に家を出て、途中、親友の梶原を拾って高速を走ること2時間弱。
予約していたイタリアンレストランで少し遅い昼食をとり、辿り着いたのがここ。
雑誌で特集が組まれるほど評判もよく人気があって、半年前でも予約が難しいと言われるグランピング施設。
去年の年末に運良くこの三連休に予約が取れて、半年以上かけて色々と準備をしてきた。
「あのな、そういう事じゃなくて⋯⋯。はぁ、俺には理由を聞く権利があると思うんだが?」
「⋯⋯あぁ」
施設に着いて、取り敢えず温泉に入ってひと息ついた。
夕食は豪華なバーベキューを腹いっぱい食べ、再度温泉に入って身体の疲れを癒すとすっかり日も沈み、眼下には夜景が広がっている。
梶原は焼酎、俺はワインを片手に、テント外に備え付けられたソファに座りゆったりと時間を過ごしていた。
「夜中いきなり『明日11時頃迎えに行く。泊まりで旅行しよう』なんて、俺にだって予定ってもんが⋯」
「予定⋯」
「⋯⋯⋯ねぇよ、ハイ、すみません、見栄張りました。予定なんてこれっぽっちもありませんでしたぁ」
高校からの仲である梶原とは時折こうして二人で出かける。
いつもは予定の一週間前には連絡を入れてはいるけれど。
梶原は俗に言うニートってやつだ。日がな1日、いや一年中好きなことをして生きている。
本人曰く、一生遊んで暮らせるだけの金があるなら、あくせく働く必要は無いだろう?とのことで、都心から少し離れた場所のファミリーマンションを購入して、ひとりで生活している。
梶原は高校の頃からバイトに明け暮れていた。大学生の頃にはバイトで貯めた金を元に、投資を始め見る見るうちに元手を増やし、卒業する頃には一般サラリーマンの生涯年収の十数倍にあたる資産を保有していた。
もちろん今でも投資はしているが、資産の十分の一程度で長期のものに絞ってやっていると言っていた。
最近は陶芸にハマったらしく、近くに作業場を借りて黙々と器を作っているらしい。
その前はDIYに嵌り、家を1軒購入してひとりでリフォームし、売りに出していた。
凄いのはリフォーム時に、電気配線の工事をするのには資格が必要だ、とか言って、業者に依頼するのではなく、その資格を自分で取ってしまうところだ。
俺はいつも梶原のそういう所に憧れてしまう。
「別れたんだ、昨日」
「え?あの、ボンキュッボンの彼女と?」
「あぁ」
「⋯3年目、だったよな?この間指輪も買ったって言ってなかったか?」
「買った。給料3ヶ月分まではいかないけど」
俺は徐ろに上着のポケットに手を突っ込み、手のひらに収まる小さなラッピングされた箱を取り出した。
白と青の2色のリボンがかけられた白い箱を、梶原に手渡す。
その中には少し大きめのダイヤモンドとサファイアを使ったデザインの指輪が鎮座している。
「もしかして、今日ここで?」
「そのつもりだった、けど、お前にやる」
「あのな、貰っても嬉しくねぇよ」
「捨てても良い。流石に自分では⋯捨てられない」
梶原は暫く手のひらで箱を弄ぶと、ポケットにしまい込んだ。
「話せ。少しは楽になるだろ」
「ありがとう」
話せば、自分が情けなくなる。が、誰かに聞いて貰いたかった。
俺は、ぽつり、ぽつりとここ最近のことを梶原に話した。
「彼女が言うには、俺はキープだって」
「キープ⋯⋯」
「ここひと月くらいかな、具合が悪いとか、忙しいとかで会えなくてさ。でも、前もそんな事あったから、あんまり気にしてなかったんだ。けど2日前に同僚が見たって言うんだ。取引先の社員と彼女が腕組んで楽しそうに歩いてたって」
「他人の空似とかじゃなかったのか?」
「だったら良かったんだけどさ、バッチリ彼女だった」
同僚は咄嗟に動画を撮っていた。
同僚の持つ小さな長方形の画面に映っている女は、誰が見ても、どこからどう見ても彼女でしかなく、しかも最悪な事にふたりが向かった先はそういうホテル。
ホテルに入る手前で濃厚なキスを交わし、お互いの腰に手を回しながらホテルに入っていくのを見て、俺の目の前は真っ暗になった。
それからの記憶は曖昧で、ただ俺は昨日の夜に彼女と会う約束をした。
彼女は明日会うのだから、と、乗り気ではなかったが、俺はどうしてもと頼み込んだ。
俺は彼女に否定して欲しかった。
あの時の俺は、ほんの少しの1%にも満たない希望に縋り付いていた。
待ち合わせた店で、同僚の撮った動画を彼女に観せると彼女はひとつ溜息を吐き出した。
そして、そこには俺の知らない女の顔があった。
『そうよ、これ私よ。彼は本命なの』
『ほん、めい?』
『あなたはキープ。でも、もういいわ。私、彼にねプロポーズされたの。見てこれ。凄くイイ指輪でしょう?』
彼女が鞄から取り出したのは、俺が買った指輪よりも大きなダイヤモンドがあしらわれた指輪。
『それに私、妊娠してるの。勿論、彼との子よ。あなたのはずないじゃない、何時もゴムしてたでしょう?』
俺は目の前にいる女が、自分が結婚したいとまで望んで愛した女だとは思えなかった。
彼女は運ばれてきた飲み物に口もつけず、椅子から立ち上がり
『あ、私のアドレス消しといてね。じゃ、サヨウナラ』
と言って、振り返ることなく店から出ていった。
俺は支払いを済ませ、店を出て、家に帰り、風呂に入った。
少しづつ頭の中が整理されてくると、胃がムカムカするような怒りと共に、何もかもどうでもいいという感情が湧いて来た。
ただそんな中、予約したグランピングの事を思い出して、キャンセルするくらいならと梶原に連絡を入れたのだった。
「女は怖いな」
ポツリと呟いた梶原の言葉には重みがあった。
梶原は大学在学中に修羅場を経験している。
まぁ、梶原が悪い訳ではなく、梶原を巡って女の子達が勝手に行動した結果の出来事ではあるが、それでも梶原の心に傷を残した事には変わりない。
誰が漏らしたのか梶原が随分な資産を持っていることが学内でも有名になっていて、梶原の周りには砂糖に集る蟻のように、男も女も集まっていた。
だが梶原はそんな奴らを相手にはしなかった。
元々人との付き合いが得意ではなかったこともあるのだろうが、梶原には俺以外に友達と呼べるような人間はいなかった。
基本的に無視を決め込んでいた梶原に対し、周りは勝手にヒートアップして行った。
そして、ある日の事件によって大勢の人間の体に消えない傷が残り、数人の人間に前科がついた。
幸いだったのは、その現場に梶原がいなかったこと。
「あぁ、怖いな」
手にしたワインをひと口飲んで、俺は空を見上げる。
東京では見られない多くの星と、夜空を分断する天の川の微かな光。
画面を通してみると、それはただの光でしかないが、自分の目でみる星の光は儚くも力強い。
「あぁ、会社行きたくねぇ」
本命と婚約した彼女は早々に退職するだろう。
仕事に対して真面目に取り組んではいたけれど、今の仕事が好きな訳ではないようだったから。
俺と彼女の事は、同じフロアの人間なら誰でも知っている程だったから、残される俺は皆から同情の念を贈られるだろう。
そう思うと、今から気が重い。
「辞めればいい、会社なんて」
「⋯お前なぁ」
「我慢して働きたいほど、そんなに今の仕事が好きなのか?」
「そういう訳じゃないが⋯」
「人生なんて短いんだ。その短い人生の中で悩んで傷ついて我慢して生きるなんて勿体ないだろう」
「そりゃそうだけど」
「ほら、見てみろ。宇宙のなんと偉大なことか!こんな広い宇宙の片隅の、小さい小さい星に住む、小さい小さい人間なんて、砂粒以下の存在だ。だったら、自由に好き勝手生きたっていいじゃないか!」
ミュージカル俳優みたいに大袈裟な身振り手振りを加え、ソファから立ち上がった梶原はグラスを持った手を空に突き上げる。
「親に心配させたくない」
「会社に勤めていれば安心するのか?」
「少なくとも無職よりは安心だろう?」
「ふむ。まぁ一般的にはそうか。ならば、会社を立ち上げよう」
「⋯⋯⋯は?」
梶原はくるりと踵を返して、満面の笑みをみせた。
その後ろには街の灯りと、満天の星。
「お前ひとりくらい、一生食わせてやれるだけの資産が俺にはある。だから、お前の人生を俺に寄越せ」
「はぁぁ?」
「やりたいことをやるのは楽しいが、やっぱり独りだと限度がある。だから、お前が必要だ」
「⋯⋯何だかプロポーズみたいだな」
「ん?そうか、なら指輪を贈らないとな」
そう言って、梶原はポケットから俺が渡した箱を取り出した。
「おい、それ⋯⋯あっ!」
梶原は器用に片手でラッピングを外すと箱を開け、中から指輪ケースを取り出しキラキラと光る街の灯り目掛けて放り投げた。
「捨てて良いんだろ?」
「⋯⋯あぁ、問題ない」
「安心しろ、ちゃんと新しい指輪買ってやる」
「要らねぇよ」
本当、いつも梶原には助けられる。
「そうか?じゃぁ、取り敢えず、俺たちの未来に乾杯だ!」
「ん?⋯あー、おう、乾杯だ!」
二週間後、会社で皆から哀れみの目で見られ、居心地の悪い思いをしていた俺のスマホに梶原からメッセージが届いた。
「マジか⋯」
画面には満面の笑みで書類を手にした梶原と、『お前の席も用意してあるぞ』の文字。
俺は休憩室のはめ殺しの窓から空を見上げる。
ビルの隙間の狭い空に浮かぶ白い雲が、風に流され形を変え、やがて視界から見えなくなっていく。
頭の中で再生される、星空と街の灯りに向かって叫んだ、偽ミュージカル俳優の言葉。
『宇宙のなんと偉大なことか!こんな広い宇宙の片隅の、小さい小さい星に住む、小さい小さい人間なんて、砂粒以下の存在だ。だったら、自由に好き勝手生きたっていいじゃないか!』
「よし、決めた!」
俺は休憩室のドアを開ける。
その先に彼女がいたような気がしたが、今はどうでもいい。
確か有給はたっぷり残っていたはずだ。
大きな仕事は終わったばかり。
今手元には重要な案件はない。
居室のドアを開け、目的の人物を探す。
窓際でモニターに向かい険しい顔をしているその人の名前を呼んで、満面の笑みで俺は近づく。
あの日星空の下で見た、偽ミュージカル俳優のように俺は自分勝手に生きることにする。
「居心地が悪いので、退職します」
「⋯⋯は?」
その後少し色々あったが俺は無事居心地の悪い会社を去り、そして今日、親友が立ち上げた会社へ入社する。
親友との楽しい未来に乾杯だ!
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心じゃなくて頭に浮かんだことになってしまった (´-ι_-`)
7/17/2024, 4:35:02 AM