I LOVE...
何か短編を書こうと試みているのだけれど、最近何も思いつけていない。今日はもうマイルールを無視して日記を書こうと思う。このまま何も投稿しないでいたら、いずれフェードアウトしてしまいそうだ。
3日前のお題は「ミッドナイト」だったか。丁度その日の夜満月だったそうで、満月って日付が変わる頃に南中する(一番高いところに上がる)から、それをテーマに書こうと思った。でもそれ以上思いつかなかった。
その次の日は「優しさ」だっけ。昔下書きした短編で「子どもの純粋な好奇心を大人が優しさと決めつけて、段々純粋な心が失われていく」というやつがあったので清書しようと思った。(改めて見るとなかなかな内容だな。)結局手を付けずに終わった。
昨日はたしか「街へ」だった。これについては本当に何も思いついていないし、思考を放棄していた。もし書くとしたら、新社会人の独白みたいな内容になっていたと思う。
そして今日のテーマは、LOVEか。正確には「I LOVE...」だけど。
自分にとっての「愛」についてはよく悩む。
純粋なLOVEを向ける相手はとっさには思いつかない。曲なんかに出てくる「あなた」に当てはまる人はいない。毎回「自分」に置き換えて聞いている。
家族との仲は良いし、よく遊ぶ友達もいるけれど、「あなた」ではない。恋愛的に好きな人はそもそもいない。
自分自身にだって純粋なLOVEが向いているわけではない。そこにはHATEも含まれている。人以外にも同じで、たとえ好きなものでもその「好き」は純粋なLOVEではない。
私は愛情を持てない人間、というわけではない。むしろ愛は深いほうだと思う。ただ常にそこにHATEもついてくるというだけで。
もし今日のテーマ「I LOVE...」が「I LOVEに続く言葉を考えよ」ということではなくて、「何を続ければいいか分からなくなった様子」を示しているなら私にぴったりだと思う。愛してはいるけど様々なネガティブな感情も同時に含まれていて、「I LOVE YOU.」とはとても言えない。
他人の表現物ですが、お題を見たときからキタニタツヤさんの「I DO NOT LOVE YOU.」という楽曲が頭から離れないので少し触れます。引用にとどめればきっと問題ないでしょう。
歌詞に「I DO NOT LOVE YOU. I DO NOT HATE YOU, TOO.」と言う部分がある。多分私が持つ「愛」はこれに近い。
ここまでの流れも踏まえると「I LOVE YOU, BUT I HATE YOU, TOO.」でも良さそうだけど、それでは少し違うのだ。この辺は感覚的なことなので説明が難しい。「DO NOT」に込められた葛藤や孤独感、劣等感が大事なのかなと思う。逆に言えば、葛藤や孤独感、劣等感こそが私にとっての「愛」の正体かもしれない。
(ちなみに私はキタニさんの曲をよく聞くし、「I DO NOT LOVE YOU.」のような曲を書いてくれたという点で人間としてもある程度信用しているし、キタニさんの変化や行く末をいちファンとして最後まで見届けたいと思っているけれど、それでも彼でさえ「あなた」ではない。)
もう一つ今日のお題を見て思ったことを書いて終わりにする。
このような日記(エッセイ?)や小説も含めて、あらゆる表現物はLOVEの表出である、と思った。
本来ならLOVEはポジティブな意味だけを持つのだろうが、私の感覚ではHATE含むあらゆる感情はLOVEから産まれているように思う。先述した葛藤や孤独感、劣等感もそうだ。
私たちは自分たちのグチャグチャした心、もといLOVEを無理やり切り取って作品を完成させている。そんな気がしたのだ。
以上が私のLOVEに対する雑感であり、私の愛そのものである。
私の愛を読んでくれてありがとう。I LOVE...
安心と不安
「安心と不安」は、天界独自の諺(ことわざ)です。
昔々、ある神様は地上の生物から不安を取り除いてあげようとしました。結果、生物たちは死や危険に対する不安感を失くし、積極的に滅亡に向かおうとしました。
見かねた神様は生物に不安を戻して、代わりに安心を取り除きました。すると生物たちは常に落ち着かなくなって、食事を取らず子も成さず、やはり滅びに向かいました。
そこで神様は、生物から安心と不安の両方を取り除きました。すると不思議なことに、彼らは再び安心も不安も抱くようになりました。そして生物は安定して繁栄を続けました。
安心が崩れれば不安になり、不安が無くなると安心する。両者は対を成すものでありながら、共存してこそ安定することができたのです。
このことから、「たとえ善意であっても安定状態に手を加えると良いことにならない」という例えに用いられます。最近は「対立しているように見えるものも共存させておくのが最善である」という意味でも使われるようになりました。
いずれにしても、優秀な神様になるために最も大事な考え方の一つです。頭の片隅に入れて、何か決断をする際はこの言葉を思い出してください。
逆光
皆既日食の日、世界は朱に染まる。
「始まる!」
子どもたちが一斉に上を見上げる。太陽が星の後ろ側に隠れていき、心なしか辺りが暗くなる。ワァッと大きな歓声が沸き起こった。
「すごいすごい! 太陽が小さくなってる!」
「すごいでしょう。これを『日食』と呼びます」
先生は得意げに教えるが、子どもたちのほとんどは空で巻き起こる天体ショーに夢中で聞いていない。煌々と輝く太陽が大きな闇に飲まれていく。子どもたちからすればとても不思議で、魅力的な現象なのだろう。
先生は嬉しいため息をつきながら、一言だけ説明を加えた。
「太陽が食べられるという意味なんですよ」
「――太陽、食べられちゃうの?」
「え」
自身も太陽の行く末を見守っていた先生は、驚いて下に目をやった。太陽から注意を逸らさせるつもりはなかったのだが、一人の心やさしい子が泣きそうな目で先生を見つめている。
なんていい子なのだろう、でも大丈夫だから、ほら、上を見てご覧。
そう言おうとしたとき、辺りが急に真っ暗になった。太陽が完全に隠れたのだ。皆既日食である。
さあ、今が良いところだ! 見逃すわけにはいかない。改めて子どもに上を向いてもらおうとするが、今度はギャアッという大きな声に遮られた。それは歓声というよりは悲鳴のようだった。
「血だ!」
誰かの声がやけに大きく響く。つい先程まで揃って上を見上げていた子どもたちは今、皆自分たちの足元を見て怯えきっていた。
たしかに地面は真っ赤に染まっていて、まるで血の海のようだった。空はすっかり真っ暗で、私たちを飲み込みそうな大きな黒い星が真上に鎮座し、赤い後光を放っている。
怖がることはない。空の大きな星が黒く見えるのは完全に逆光になっているせいで、星の周囲から漏れ出る赤い光がその証拠だ。私たちの地面の赤色はその光が映っているためであって、決して血ではない。
……と先生は知っているが、それをどう説明すれば良いのか考えあぐねた。
そうこうするうちに赤い光は金色の日光へと変化し、地面は赤色から黒色に、そしていつもの灰色へと戻っていった。気づけば太陽はいつもの丸に戻っていたが、子どもたちの中には泣く子もいて太陽に構っている暇はない。3年に一度の貴重なイベントは大惨事に終わってしまった。
次は伝え方を気をつけよう。先生は深く反省したのだった。
『月から見た日食。またの名を月食』
こんな夢を見た
僕が見たのは例えばこんな『夢』だった。
みんなのスーパーヒーローになった。わるものをやっつけた。
かけっこで1番になった。日本で1位の天才だった。
好きな人と一緒にいた。大切な人が隣にいた。
いてほしかった。
世界を変える存在になりたかった。誰かにとっての一番になりたかった。
空は飛べなかった。魔法は使えなかった。僕は特別じゃなかった。運命もなかった。気付けば一人だった。
『夢』を見なくなった。
ただ眠って起きる、その間の時間は真っ黒で、起きている時間だって頭の中は真っ黒で。
いつからこうなのか、思い出そうとしても真っ黒で、見えるのは結局遠い昔の夢ばかりだ。
今日はもう眠ろう。真っ黒な時間に落ちよう。
眠ることを「夢を結ぶ」とも言うそうで。結ぼうにも、頭の中に黒色しかないのなら、どうしたって見える夢は黒色だけれど。
それでも結ばれる『夢』が少しでも残ってくれているのなら、その結び目は黒の中で彩りとなるだろうか。
黒色の中に沈みながら、僕は『夢』の残り香がゆったりと結ばれていくのを眺めている。
きっと、そんな夢を見る。
おやすみなさい。
タイムマシーン
「タイムマシーンがあったらどの時代に行きたい?」「時間を移動できるなら、過去と未来のどちらに行く?」
そのような問いを娯楽として楽しんでいた頃は、まさかタイムマシーンが現実のものとなるとは思われていなかっただろう。
3072年、国や家族という概念がなくなり、人々の生活様式は大きな変貌を遂げた。かつて温帯と呼ばれた地域においても今や夏になれば最高気温が60℃を超える日も珍しくなく、不要な外出は禁じられている。極高緯度の地域を除けば人類は屋内で生活するほかなかった。各々の体は現実世界とデータ世界の2つに並列して存在しており、活動の拠点となるのはほとんどがデータ世界だった。
タイムマシーンが技術的に可能となり、人工動物を用いた治験を経て人間による臨床実験が認可されたのは、この年の夏のことだった。
タイムマシーンのニュースに、人々は関心を抱かなかった。データの世界においては既に時間を行き来することができていた。数分立っているだけで死にかねない外の現実世界に興味はなかった。好き好んで現実世界に浸り、実体としてのタイムマシーンを作り上げた科学者のグループに嫌悪感を抱く者さえいた。嫌悪とまでいかなくとも、ほとんどの人は彼らに対して排他的だった。臨床実験のための公募が行われたが、応募者はひと月待ってもゼロのままだった。
夏と冬との変わり目に、科学者たちはこのように話した。
「私たちは互いの力を持ち寄り、高い理想を以てこの機械を完成させました。これは人類の夢と希望が詰まったものであり、そうであるべきでした。
しかし現実はそうではありませんでした。私たちは悲しい。およそ1100年前の記録を、皆様は読んだことがあるでしょうか? 私たち人類は時間旅行を夢見ていました。1000年以上の時を経て、人類の夢は叶ったのです! この機械が完成したとき、私たちは心の底から喜びました。しかし、それは私たちだけだった。人類の夢は変遷し、今や時間旅行を夢見る者はいなくなってしまった。
本当に悲しく思います。
『タイムマシーンがあったなら』、皆様はそのようなことを考えたことはありますか? かつては一般に問われていた問いでした。私たちも日夜考えました。本当に、たくさん考えました。
自分の子供の頃に戻るとか、未来を覗き見るとか、本当にたくさん考えました。皆様には意外かもしれませんが、場合によっては、過去に戻ってタイムマシーンの開発をやめさせるつもりでした。本当に、本気で考えていました。私たちはこの技術が取り合いになって、争いの火種になり得ると、本気で考えていたのです。
実際は違った。皆様ご存知のとおりです。本当に、悲しく思っております。
私たちはこの技術を望む人たちに届けたい。私たちは皆様に喜んでもらうために、寝る間も惜しんでこの機械を開発したのです。
申し訳なく思っております。しかし、これは人類の、そして勝手ながら私たちの望みなのです。
『タイムマシーンがあったなら』、これはありえないと考えていた選択肢でした。私たちは望む人たちに届けます。1000年前の人々へ、私たちが希望となる時代へ、私たちは時を渡ります。
皆様さようなら。ありがとう」
この声明が出された後研究所の捜索が行われたが、そこには誰も残っておらず、タイムマシーンもなくなっていた。1000年前の記録にもそれらしき記述は発見されていない。彼らの行方は不明のままである。