僕は石ころだった。
川辺にある普通の。なんてことない石ころ。
隣に座った誰かに話しかけられていた。
その人はとてもキラキラしていて、綺麗だったと思う。
僕はその人の話を聞き続けた。
いや、聞かされ続けた。
耳がないので、曖昧にしか聞き取れかったけれども。
過去に何があったとか、それで今は1人だとか。
持っている力を、何に使ったらいいかわからないだとか。
口も手もない僕は、答えられない。
その頃はまだ自我などなかったが。
ある日のことだった。
今日もその人は隣に座って、言葉を吐く。
「なぁ、石ころ。お前は何が欲しい?
私は、話せる友人が欲しいよ」
これが、はっきり聞こえた最初の言葉だった。
僕はこの時、二度目の誕生を迎えたんだ。
まだ石ころのままだけど、自我を持って話せるようになった。
その人は驚いていた。でも、どこか悲しそうだった。
僕たちはそれから色々な話をした。
難しいことは僕にはわかなかったから、
ただ素直に思ったことを伝え続けた。
あの時もそう。
「なぁ、石ころ。私は、私だけがここに残っていて、
意味があると思うかい?」
「うーん、僕はあなたのおかげで、ここにいることに退屈しませんが、それではダメですか」
その人は、ふっと笑って
「そうか、じゃあ私がここで生きる意味もあると?」
「あると思いますよ。あなたが毎日、楽しければそれでいいと思います。僕は楽しいですし。」
抑えきれない笑いを隠すためか、
その人は膝に顔を被せたまま、震えていた。
「そっかぁ…ありがとう石ころ」
冬、私が訪れた山の中にぽつんと小さな村があった。
吹雪の中、足を怪我をしてしまった私を、
そこの住人はみな優しく、とても良くしてくれた。
その村は数えられるほどの人しか住んでおらず、
食料も少なかった。がみな、幸せそうに生きていた。
ある時、私は少し歩けるようになったので村の散策をしてみた。
ふと、離れたところに小屋があった。
物置小屋か何かだろうと思った。
「あそこには近づかんほうがええ、おめぇさん呪われっぞ」
そう、看病してくれた人が言っていた。だから、近づかないでおいた。
季節は春になり、この村を去ろうとした時、
子供が貧相な格好であるいていた。
体はやせ細り、靴もなく、見るに耐えなかった。
村人たちは睨みつけ、村の子はその子に石を投げつけて、
遊んでいた。
その子はなんの反応も示さず、抵抗なく、
私が近づかなかった小屋へと帰っていった。
「人が…あの子が住んでいるのか…?」
私は驚いた。同時に、村人に怒りを覚えた。
なぜあの子はあんなところに住んでいるのか。
なぜあの小屋に近づけば呪われるのか。
…誰も教えてくれなかった。
「あんな小さな子供が、呪うわけないだろうっ…!」
「あのままでは死んでしまう…っ!」
急いであの小屋へと向かった。
「…………だれ?」
足音に気がついたのか、女の子の声が聞こえた。
「旅の者だ。」
「…何用…?…ここにいては…だめ。来ては…だめなのに.......」
彼女の声を余所に、私は疑問をぶつける。
「なぜ君はこんなところにいるんだ?」
「なぜ君に近づくと呪われる?」
「なぜ村人たちは君を嫌うんだ?」
「………………」
「答えてくれ。」
「…。」
「頼む…。」
長い沈黙。
私はドアの向こうで声が発せられるのをひたすら待つ。
「……てない。」
「え?」
「わたしは……呪われてない。」
「…っどういうことだ…?」
彼女は一気に、これまで喋れなかった分を全て吐き出すように、詰まりながらも喋り出す。
「嫌われるために…こ、ここにいるの。
だから、わたしは、呪われてなどいない、
村が…平和になるように、……必要。」
「母さまにそう教わったの。
人は誰かの上に立っていないと、不安…だから」
「それで、村は平和になるように…
そのために、ここに……居るの。」
「私は、ここにいれて、幸せ」
あまりにも酷すぎる。そう思った。
「だから…大丈夫だよ、旅人さん」
私は何も言えなかった。
何が良い事か、悪い事か分からなかった。
大勢の平和のために、彼女を犠牲にするか彼女を助けて、
大勢の平和を壊すか流れ者の私には、決められないことだった。
その後、私は何も出来ないまま村を去った。
ただ、もし彼女のような境遇の子が助けを求めていたら救いたいと、思った。
最後、彼女は笑っているように思えた。
だから、私は彼女に手を差し伸べられなかった。
今、あの子は幸せだろうか。
雨が降る。
私のなき声は、誰にも届いていない。
この瞬間にも同胞たちは、誰にも知られずいなくなっていく。
降りしきる雫が、地面に落ちる様に。
私は今日も空を見上げている。暗い狭い路地裏で。
今にも街に呑まれてしまいそうなほど小さい翼。
次第に灰色の雲が立ちこめる。
雫が1つ、また1つと落ちてくる。
それでも、上を見上げる。狭い空に、同胞の姿。
黒い翼を広げて、雨など諸共せずに駆けていった。
いつかの日を思い出す。
…あれほど、引き留めたのにあの人は行ってしまった。
悔いなきその微笑みが、こびりついている。
大空をかけていくその背中は、
とても勇敢で、憂うものなどないようだった。
彼らの最後は知っている。
誰にも知られずに朽ちていくと。
私もその1部になる、それが許せない。
でも、でも。もっと許せないのは、
この狭い路地で独り、あの人に置いていかれたまま、
朽ちていくこと。
次第に空が晴れる。
私は少し大きくなった翼を広げて、飛び出した。
空がオレンジ色に染まって、太陽が眩しく輝いていた。
ここにいるよ。ってあの人に届くように鳴く。
私の鳴き声は、届いているだろうか。
朝露が一粒落ちて、私は起きる。
朝一番に群れを飛び出していく。
あの頃の私とは、見違えるほど大きな翼を羽ばたかせた。
最後にあの人がいたのは、この山だと聞いた。
あの背中を追ってここまで来た。ただそれだけの理由。
突然の雨。
これまで何度も同胞の死に際を見てきた。
今回も看取ってやるだけの話だったのに。
横たわった「その人」
私の泣き声は、誰にも届かない。
こんなに呆気ないものだったなんて。
涙が雨に消えていく。命も、消えていく。
それでも私は、飛んでいく。
最後に朽ち果てるその日まで。
目を閉じた。
真っ暗な世界に私は色を創造する。
快晴の青、雲の白、唇の赤、瞼裏の黒。
どれだって素敵で、どれだって容易だった。
じゃあ色が無かったらどうだろう。
空も、雲も、人も、夜も。
ありはしない世界、存在を許されない世界。
もちろん私の居場所もないだろう。
立つべき地面も、そこに立つ足だって無い。
だからこそ、自由にわくわくできる。
無色の世界を描くこと。そこに色をつけること。
それはこの世にない唯一の「色」を描けることだと。
私は目を開かない。
開けば、たくさんの色が輝いて見えるから。
これは見ないふりじゃない。
私が立つ地面を、私だけの色を、描くために。
今日も無色の世界を塗り替えていく。
「わたしを連れ出して!」
声が聞こえた気がした。
真夜中、無音の泣き声の中で。
私が閉じ込めていただけだった。
探していた心はすぐそばにあった。
筆を走らせる、無我夢中で。
無邪気なわたしを掬い出す為に。