「君は本当の夜空を見たことがあるかい?」
そう聞かれたのは私が大学2年生の頃、教授の展望台のお手伝いに来た時だった。
「そりゃ見たことありますよ。誰でも。」
至極当然の文字を貼り付けたような顔でそう返した。すると教授が悪戯っぽい笑みを浮かべながら「本当かな」と言いながら望遠鏡の席を私に貸してくれた。
私は天文学ではなく地学が専攻だったので星については少し齧った程度で実際に望遠鏡で天体観測をするのは初めてだった。
のぞいた時私は望遠鏡ではなく万華鏡を誤って見たしまったと勘違いしてしまったくらいその景色は美しかった。
一等星や二等星など光がバラバラで色もバラバラに夜空に散りばめられている様子は宝石箱をひっくり返したようだった。
この経験から私は地学から転科届を提出して天文学を専攻するようになった。
そしてそれから数年経ち私が天文学者になると私は2年ぶりに教授に会った。
教授はあの日と何も変わらずに穏やかな笑みを浮かべていた。
「どうかな。天文学者になって」教授がそう聞いてきた。
「毎日、楽しいです」と返す。
それから数回の会話を挟んで私と教授は別れた。
今も浮かべる教授の顔はいつもあの夜空と結びついてきらめいている。
お題きらめき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
最近不定期で申し訳ないです。
生まれつき私の目には光が無かった。
目の前すらもはっきりと見えずに私を育ててくれてた両親の顔すら分からなかった。
生まれて3年経った頃自分のこの状態は世間では盲目と言われるものだった。
一生完治しない呪われた目だった。
それでも両親は私を愛してくれた。
音楽と出会ったのはその日から5日後だった。
私の父が夜、バッハの曲をCDで流していたちょうどその時水を飲もうとして父に声をかけようとした時、私もバッハの曲が聞こえた。
その時に私は自分の盲目を補うための超感覚の存在に気づいた。演奏者の息遣い、些細なバイオリンの音のズレ全てが聞こえた。
この日から私は指揮者になることを決めた。
両親は何も反対しなかった。
莫大なお金がかかると知っていながら心から喜んでくれた。
盲目の私が一音一音、音楽記号を理解するのは困難を極めたが親の励ましと努力で乗り越えた。
こうして史上初の盲目の指揮者が誕生した。
自分の初の演奏会当日、私はステージに立つ。
今宵奏でるのは、あの日聞いたG線上のアリア。
バッハの穏やかな郷愁を誘うようなその音色は私の曖昧な世界に光を持ち運んだ。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
更新不定期ですみません。
私は赤子の頃、実の親に捨てられた。
けれどその後、私を拾って育ててくれた人がいた。
私はその人のことをいつも「先生」と呼ぶ。
平時ならば昼の刻を打つと私たちは昼御飯を食べるのだが今日は違った。
拠点の近くである訓練所と私が呼んでいるその場所で私と先生は対峙していた。
私が聞く。「先生、本当に始める気なんですね…」
先生が答える。「そうだ。言葉はいらない。ただ剣を持て」
先生は獅子殺しという門派の剣術の師範であった。
そのため私も幼少のみぎりから先生に剣の理を学んでいた。そして今日、私は獅子殺しの師範となるために先生と対峙していた。
試験内容は簡単だ。ただ先生を殺すということだけ。
私はこの話を聞いた時、激しく心を乱した。
どうすればいいのか。そう頭が今も回転する。
けれどそうこうしている間に戦いは始まった。
「では参る」
ズシリ
辺り一体の空気が一段と重くなるような気がする。
私もおぼつきながら剣を構える。
刹那、銀の閃光が煌めく。
先生の剣が私の髪の切れ端を捉えたのだ。
チリッという音と共に数本の髪の毛が地に落ちる。
本当に先生は私を殺す気でかかっている。
そう確信した。
その後も鍔迫り合いが続く。
先生が瞬く間に横薙ぎ切り下ろし切り上げ乱れ斬りと、私を翻弄する。その一撃一撃が重くまともに受け止めた時には両腕に岩が乗せられたかと錯覚するほどであった。
足が少し地面に沈む。
獅子殺しには流派がある。
一撃必殺の雄獅子。一撃一撃は軽いが圧倒的な手数で敵を翻弄する雌獅子。の二つである。
そして先生が雄獅子、私が雌獅子であった。
つまり本来は私が有利な領域で先生に圧倒されているのだ。
それは私の剣先に迷いがあるからだ。
このままでは負ける、そう確信した。
残りわずかな思考領域で考えていた先生への慈悲を捨てただ目の前の敵を斬り倒すことに頭をフル回転させた。
それまで防戦一方だった私が先生の剣を跳ね返す。
足のバネを使ったその剣戟はそれだけにとどまらずに先生の喉元を捉えた。
ツーと薄皮一枚先生の首が切れる。
だがそんなものをものともせずに先生は攻撃を続ける。
そしてついに私の剣が根負けした。パキンッと耳障りな音を鳴らしながら二つに刃が割れる。
呆然とする暇はなかった。短くなったリーチでまた先生の剣を受けなければならなかった。
手は擦りむけ血が流れ始めた。
もうダメかと思ったその時、死が顔をのぞいたその時、私の生存本能が生きるための最適解を実行した。
ズブリ嫌な音を聞きながら私が見たのは肩を私の剣に刺された先生の姿だった。
鮮血が溢れ出し老いた先生にとっては致命傷だった。
ジュボボボと音を立てながら止まっている蒸気機関車の前で私は師とのお別れの挨拶をしていた。
師の名前は知っているがなんとなく師がしっくりきたのでこう呼んでいた。
私は師からいろんなことを教わった。
師は元士族なので教養があり文武両道の方だった。
今日は私の家庭教師としていた師の最後の日である。
「本当に行ってしまうんですね…」
私は暗い顔をして顔を伏せる。
すると師は少したじろぐようにほおを掻きながら
「そうですね」と返す。
しばし沈黙の時が流れる。
そして私が口を切るように「師よ、さよう…」
さようならそう言おうとすると師は私の口を押さえて
「そのさようならは今生の別にとっておくものですよ。」と冗談のように言った。
そして師は蒸気機関車に乗って故郷である長野へ帰って行った。
師との別れから5年が経ち、あの時は青臭かった私が立派な青年になろうとしている時、一通の手紙が私の元に渡された。
それは師の死を告げるものだった。
すぐに長野へ行き、師のもとへ行くともう火葬した後だった。
師の生前の知人だったらしい人に墓を案内してもらうとそこには真新しい玄武岩のお墓があった。
その時、師が、言っていたことを思い出した。
「私がもし死んだら少し風変わりなお墓を建てようと思うんです。」
「どうしてですか?」と私が聞くと師はイタズラっぽく「だって後世の人たちが私の墓を見て心に残してくれるかもしれないでしょ。」
そう言ったんだ。
なんだか懐かしくなってきて涙が溢れてやまなくなった。
これが今生の別れですよね。師よ。
もうこの世にいない人にそう聞くと私ははっきりとした声で「さようなら」そう言って私は長野を後にした。
お題さようならを言う前に
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雷がゴロゴロ、雨がぴしゃぴしゃ降っていた日に私は生まれてきたそうだ。
だからその日のことにちなんで私は風雲と名付けられた。私は他の同じ歳の子に比べて発育が遅かったので喋るようになったのは3歳、歩けるようになったのは4歳になってからだった。
ぬぼーといつも日向ぼっこするのがお気に入りでよく周りから突然いなくなって日向ぼっこしたりしているので渾名は「亀」だった。
中学生3年生になっても変わらずかろうじて偏差値60程のごく普通の高校へ通うことになった。
そして高校生も変わらぬ生活をし、またしてもギリギリで今度は偏差値58程のそこそこの大学へ行くことができた。
大学生3年生になると私こと風雲は相も変わらず日向ぼっこが大好きな「亀」だったが、周りはみんな就活やら資格取得やらなんやらでバタバタしていた。
自分もそれを見て少しはやらないとなと思ったが3日で辞めてしまった。
このままでは、ただの無職ニートになってしまう。
ちょっとした危機感に心を削られながら道中をのんびりと歩いていた。
昔からよく来ていた道だったので店の一つ一つを見るたびにその日の記憶が蘇ってくる。
しかしその中の一つだけ全く思い出せなかった店があった。
「雑貨屋晴れ空」
そう錆びついた看板が上に貼り付けてありいかにも怪しげな雰囲気を漂わせていた。
いつもならそそくさ退散するのだが今日は気まぐれで行こうと思った。
意を決してチリーンと鈴を鳴らしながらドアを開けると外の雰囲気とは打って変わってまるで太陽の下のような明るい柔らかな照明の下で、色とりどりの雑貨がずらりと並んでいた。
奥には、モナリザを想起させるような柔らかな笑みを浮かべた店主らしき年配の女性が座っていた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、あの聞きたいことがあるんですけど」
そういうと店主は笑みを浮かべたまま
「なんでしょう?」と聞いてきた。
「ここで働かせてもらえませんか」
この店に入った時から私はこの店に魅せられていた。
ここなら自分も自分らしく居心地良く働くことができると思ったのだ。
店主は最初は「うちの給金安いよ。」とか「お客さん来ないしつまらないよ。」とか諭してきたのだが、私が何を言っても去る気はないとわかるともう何も言わなくなった。
こうして私はここ雑貨屋晴れ空で働くようになった。
鈴の音が珍しく聞こえる。私は笑顔で店主と一緒に
「いらっしゃいませ」と出迎えた。
お題空模様
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更新遅れてすみません。